第6話


 人事課とプレートが掲げられている部屋の扉をノックすると、霧島の姿があったことに、佐久夜の顔が自然と引きつった。 

 彼は分身の術でも使えるのだろうか? 

 佐久夜のそんな心の声を読んだように、霧島は満足げだ。霧島が佐久夜の元にくれば、自然と見上げる形となる。 

 思わず、ひぃと息を飲みこむ佐久夜に対し、変わらず、霧島は楽しそうな顔で近づいてきた。佐久夜からしてみれば、腹のなかでどんな考えを抱いているのかが分からないからこそ、足を自然と後退させていく。

「佐久夜さん。お久しぶりです」

「お、お、お久しぶりです。霧島先輩」 

 久しぶりとはいうが、霧島とはさっき会ったばかりだ。佐久夜が後ろに下がれば下がる分だけなぜか、彼は距離を縮めてくる。

「今日のことは久しぶりでもないんですが、以前も僕、佐久夜さんをお見かけしているんですよ」 

 霧島の言葉に佐久夜はグッと喉が上下する。

「この前、僕の姿を見た途端、全速力で走っていきましたよね?」 

 陸上選手も驚きの速さでしたとまで言われる。

 霧島は後ろに目でもついているのだろうか。目目連もくもくれんという妖がいると書物で読んだことはあるし、霧島なら人間ではなく妖でしたと言われても驚きはしない。   

 なるべく会わないように霧島の部署にだけは近寄らないようにはしていが、他の神にでも用があったのか、彼の姿が目に入ってしまった佐久夜は、霧島で気づかれないよう、忍び足で部署から去ったあと、競走並に走った。

 廊下は走らないと学生を叱るような注意を受けたことは記憶に新しい。 

 僅か、数秒のことだったのにどうして分かったんですか! と問いつめたくなるが、彼が口元を綻ばすのと同時に佐久夜は青ざめていく。

 これ以上後退をすれば、後ろは扉の為、逃げ場はない。

「これこれ、霧島。か弱いうさぎをいじめてはならぬ」

「すいません。初音さま」 

 霧島は自分よりも立場が上の初音に言われてあっさりと背を向けてくれたが、佐久夜からすれば、これ以上、彼と一緒の空間にいたくない。なるべく、彼とは距離を保つようにする。

「あ、あの。初音さま。今日、呼ばれたのは」 

 そうじゃと思い出したように羽を叩くと整理された巻物のなかから一つをくわえ、佐久夜の手に落とした。


『このたび、一身上の都合により、人界に転生致します。少しでもあなた方に私の苦労を分かって貰うために、異世界へ転生するためのシステムのコードを変えさせて頂きました。今後の皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。』


 一見、鶏にしかみえない初音は、天界で機嫌を損ねてはいけない神の一柱だ。天照大御神の補佐もしている神の顔を佐久夜は伺う。   

 霧島も彼女の後ろに立ったまま口を聞かない。

 まだまだ下っ端の神である佐久夜はどうして、初音に呼ばれたのかが、未だに分からなかった。長く続く沈黙に耐えられず、つい口を開いてしまう。

「えっと、これは」

「佐久夜。妾はデジタル化が憎い」

「は、はぁ」

「初音さまを含めた上の神々方は、現在の天界のシステム化をよく思ってはいないんですよ。まず、佐久夜さんは『異世界転生課』の部署のことは知っていますか?」

「神々のミスで新しく作られた、と人伝えに聞いたことはあります」 

これは一歩、間違えば、初音の機嫌を損ねてしまうのではないかとおずおずと、佐久夜は話す。

「のぉ、霧島。妾はなにから話せばいいかのぅ」

「まず、佐久夜の理解度から、確認してみるのはどうでしょうか?」 

 苦手だった教師が自分だけの補習担当となり、前触れもなしに試験を行うと言われた気分だ。

「そなた。今までにいた部署はどこじゃ?」

「事務課で神の助手をしてました。最近はバーチャル参詣も始まっている神社が多くあるので、信仰力を測る仕事が主です」 

 人間が神社や寺に参詣をすると、事務課の神の力でどれだけの数値が得られたのかが分かる。実際は上級神の口に出した数字を入力するだけでしたが、という言葉は言わないでおく。

「そうか。異世界転生課のことは知っておるかの?」

「聞きかじった程度ですが」 

 天界には人間の信仰を運営費に変える事務課や、願いを叶えるための営業課などの部署があるがデジタル化に伴い、『異世界転生課』という新たな部署が出来た。 

 天界の業務は最近では〈アナログ〉から〈デジタル〉に移行をしてはいるものの、慣れないシステムで間違った命数、寿命の管理入力をしてしまい、本来は寿命がきていない人間が人生を終えてしまう。

 そんな人間からすれば、迷惑な初歩的のミスが続いていた。    

 間違った寿命のため、命数よりも早く天界に来た人々に『貴方の死因はこちら側のミスが原因です』とは言えない。 

 そんなことを伝えれば『自分の寿命、命数を戻せ!』と訴えられることは想像せずともわかる。 

 しかし、一度、お迎え課に連れてこられて来た人間を地上に戻すことは難しい。どうしようかと上級神たちは日々、頭を抱えていたが、命数をなくした人間に希望を聞くのはどうかという案が出された。 

 普段、神は人の前に滅多に現れることはない。神と人が婚姻を結んだ時代もあったが、今は時代錯誤の格好や言動をした神が街中を歩いていたら職質ものだ。 

 今回の事故は神たちの失態である為、命数を失った人間たちを集め、花札で一番、勝った人の子に真実を話し、どのように生きたいかを尋ねたらしい。

『魔法や剣の国があったら、そこで生活をしてみたいです! 俺、子供の頃から勇者に憧れていて、竜の上に乗って旅とか出来れば嬉しいなって』 

 上級神たちは、闘い好きの神がそんな世界を創ったことを思い出した。人は生まれた世界でのみ、同じ魂を持ちながら輪廻を繰り返すため、ほかの世界へ行くこと基本は出来ない。 

 人々の間で今まで自分が生きてきた世界と違う世界に憧れている人間が多いと知った上級神たちは、ほかに打つ手がないと、神が迷惑をかけてしまった人間たちを生まれた世界とは違う世界に生まれ変わらせることにした。

 こうして、生きてきた世界とは違う世界で安穏な人生が送れる『異世界転生課』という新設の部署が作られた。 

 まず、異世界転生者の権利として、前世の記憶を保持出来ることをほかの人間たちよりも有利な条件として、与えた。それに加え価値観が違う世界でも問題なく生きていけるよう、暫くは異世界転生課の神がサポートする。 

 神からそのように説明を受けた大抵の人間は、契約書に小さく書かれてある『今後、命数には一切、口を出しません』という言葉を読まずに、異世界転生することに同意することが殆どだ。 

 異世界転生課の運営は上手くいっていたはずだった。  

 しかし、〈異世界転生課〉のシステム管理をしていた神がある日、昼夜問わず仕事をしていることに嫌気が差し、今までのプログラムのソースを全て変えてしまうと、辞表だけを残し、勝手に転生してしまった。 

 そのことに気づいた、他の〈異世界転生課〉の神が慌てて追いかけたが、システム管理者の神はすでに赤ん坊になっていたらしい。 

 引き継ぎもなく、その神だけが管理システムを知っている状態であったため、仕方がなく、そのまま運用を行うしかなかったが、予想通り、問題が多発してしまった。 

 まずは、命数通りに亡くなった人間が、同じ世界ではなく別世界で生まれ変わった。その上、事故で生死を彷徨っている人間の魂が異世界の人間に憑依してしまうエラーが続出してしまう。 

 エラーが出てしまった世界を管理していた神、創世神たちは仕方がなく、サポート役として『系統しすてむ』という自身の分身を作り、憑依者の魂を現世に戻す為、世界が上手く回るように助言をすることになった。

 暫くは自分の世界の憑依者の様子を観察していたのだが、彼らは系統の言うことを聞かず、好き勝手な行動をし始め、それぞれ人に決められている運命を変えていく行動ばかりを起こしていく。 

 下手をすれば全ての世界が破壊されてしまうことに、上級神たちはようやく危機感を持った。 

 憑依者をなんとか元の人間から取り出し確認してみたところ、彼らの話には共通点があり、人によって漫画、小説、ゲーム、それぞれの媒体は異なるものの、自分はその世界の主人公なのだから、好きにしてもいいと思ったらしい。

世界を創る際、人界で流行っていた作品を、各創生神が好き勝手に取り入れた結果だろう。 

 そのことで人の記憶を管理する記録課に多くの神々から苦情が届き、『命数のミスが原因だ』『異世界転生課のシステムがおかしくなったせいだろう!』などの責任の所在をどこに求めればいいのか、という論争が日夜、蹴り広げられてる。

「あの、もしかして、刀や剣が注意をしないと刺さるかもしれない魔の廊下の原因って」

「恥ずかしいことに、部署同士の諍いの結果じゃ。そこで解決する策を妾たちは考えた」 

 今まで事態を静観していた天照大御神は自国の日本支部長に指示を出した。

「それで、そなたじゃ。妾たちを救ってたもう」 

初音は佐久夜の元まで霧島の手を借りて飛ぶと、その羽を手にあてる。

「は、はい⁉︎」 

 上級神たちが連日、廊下で刀や剣を取り出して、闘っている姿をみて、ストレス解消かなと思ってはいたが、そんなに大変なことになっているとは思わなかった。

「憑依者が乗り移ったあとの魂はどうなっているのかが今まで疑問じゃったのじゃが、元の魂と仲良くなったという奇特な憑依者がいてのう。かのものによれば元の魂は眠っているような状態らしい。元の魂を目覚めさせることが出来れば、憑依者の魂は自然とその体から出ていくであろうとの見解じゃ。だったのう、霧島」

「はい。初音さま」

「佐久夜よ。本日付で異世界転生課に異動を命ず。霧島と共に各創生神が運営している小世界へ入り、憑依者を連れて帰るのが、そなた達の役目じゃ」

「あの、憑依者たちがそのまま、好き勝手に世界を変えたら最終的にどうなってしまうんでしょう?」 

 初音は意味深に金色の瞳を細めるだけだ。嫌だ、とは言えない空気に、佐久夜は頷くしかない。

「よろしくお願いします。佐久夜さん」

「……はい」


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