第9章 佐久夜のついていない一日

第18話


『佐久夜さん‼︎』

「……へっ?」 

 霧島の驚いた声と同時に佐久夜は、背に誰かの気配を感じて振り返ろうとしたところで滑り、階段から転がり落ちていく。 

 階段が柔らかい絨毯張りになっていてよかったと心底、思った。

 もしも、頭から落ちていたら、普通の人間なら大怪我に繋がっていただろう。下級神とはいえ神である佐久夜は不老不死ではあるものの、怪我をすれば痛みを感じる。

「……馬鹿な」 

 どこかで耳にした男の声に先程までいた自分の場所を見上げたが、すでに去ってしまったようだった。

『ぼくが声をかけない方が良かったですね』

「いえ。やっぱり、なにかしらの強制力みたいなものが働くのでしょうか。ゲームでも似たようなことありましたよね。リリアナさんがアンネさまの取り巻きに階段から突き落とされる事件。もし、リリアナさんが階段から滑ったら、下手したら大事故ですし」

『いえ、強制力などはないはずです。もし、あれば、それは佐久夜さんではなく、リリアナさんにあるはずなので』 

 霧島は佐久夜に謝罪をするが、階段から落ちたのは自分のせいだ。しかし、佐久夜は誰が自分の背後にいたのかが気にかかる。

「霧島先輩。相手の顔を見ました?」

『それが不思議なんですよね』

「不思議?」

『クリストファーさんといつも一緒にいる眼鏡の青年を覚えていますか?』

「あぁ! あの陰険眼鏡‼︎ 宰相の息子のサイモンさんですね」

『……佐久夜さん、ご本人の前では決して、言わないでくださいね』

「気をつけます。でも、どうして、あの陰険眼鏡が私の後をつけていたんでしょう。私は彼を知っていますが、彼は私のことを知りませんよね」

『彼は佐久夜さんをこの階段から突き落とすかどうかを悩んでいたようなんです。しかし、佐久夜さんが自分から転げ落ちていったことに驚いたようで』

「……それは申し訳ないというべきか。でも、私、彼に恨まれるようなことをした覚えがないんですが」

『……様子を見ましょう』

「おーいっ‼︎ イワナガ‼︎」 

 奥歯に物が挟まったような気持ちを抱きつつ、佐久夜が教室に戻ろうとしたところ、『熱血騎士』こと、騎士団長の息子のカインが差し入れとして小さなシュークリームをくれる。 

 一度、騎士課の男子が佐久夜を突き飛ばして以来、罪悪感があるのか、こうして偶に、彼はお菓子をくれるようになった。 

 彼にお菓子を貰いつつ、佐久夜は天界で自分にお菓子を作ってくれていた武田を懐かしく思う。

「わぁ! ありがとうございます‼︎ これって並ばないと買えない有名なお店のですよね?」 

 クラスメイトたちからの話で聞いてはいたのだが、売られ時間帯は授業に被るため、行くことができない。そんな貴重なお菓子を貰ってしまってよいのだろうか。 

 佐久夜の嬉しそうな顔をみて、彼は顔を顰めると、何個かのプチシュークリームを鷲掴みにする。彼も食べたかったのだろうかと思うが、食べたあとに顔が真っ赤になっていることに佐久夜はびっくりしてしまう。  

 せめて、水を差し入れようとするが、彼は首を振り、慌てながらも走り去ってしまった。

「だ、大丈夫でしょうか」

『佐久夜さん。それをひとつ食べてみてくれますか?』 

 霧島の許しも得たことで、佐久夜はひとつを手にとり口に入れるが噂通りの美味しさだった。

 口の中に天使が訪れる。

 そんな謳い文句通りの味に、自然と顔が綻んでしまう。

「食べ過ぎて、喉にでも詰まったのでしょうか?」

『今日、遭った出来ごとを、すぐにアンネリーゼさんに報告をしてください』と霧島に言われた為、佐久夜は彼女の教室へと向かう。

 いつものことだが、ナタリーが応対をしたあと、アンネがすぐに来てくれた。

「ごきげんよう、サクヤさん。今日はどうしたのかしら?」

「あの、アンネさまは、殿下のお友達とも親しかったりしますか?」

「親しくはないけれど、顔見知りではあるわ」

「そうなんですか」

「なにかあったの?」

「少し、不思議なことがありまして」 

 先程の王子の友人たちとの不可思議なことを話すと、アンネは驚いたように瞬きをし、長いため息を吐いた。

「ごめんなさい。私のせいだわ」 

アンネは何故か、申し訳なさそうな顔をして謝ってくれたが、佐久夜にはわけがわからない。

「殿下には私から言っておくから、あなたはもう大丈夫なはずよ」

「? ありがとうございます」 

 どこか、腑に落ちないが、アンネはそれ以上、話す気はないようだ。アンネと別れたあと、佐久夜は系統に向かって、声をかける。

「霧島先輩はなんだったのか、分かりますか?」

『佐久夜さんは、クリストファーさんに疑われたんじゃないでしょうか』

「疑われる?」

『日頃、アンネさんと仲良く接していて、急に自分に話しかけてきた。そのように考えれば、佐久夜さんがアンネさんのスパイとして使われたのかもしれないと、彼は考えたのかもしれません』

「それで嫌がらせ? みたいなことをしようとしたんですか」

『アンネリーゼさんに伝わるように彼なりの牽制ですね。今後、佐久夜さんを使えば危ない目に合わせると。アンネリーゼさんと彼は椅子取りゲームをしていると話していました現在、皇太子なのは、クリストファーさんの方なので彼が王座に近いのは間違いないですが、他の貴族たちがこぞって反対をした場合、彼が王冠を被るのは困難になります』

「……リリアナさんの行動は、意味があるものなんでしょうか」

『盗み聞きはよくないですが、やはり、彼女たちの会話を探る必要がありますね』 

 霧島が茶会で読み取ったふたりの場所に行くしかないだろう。

「私、なんとなく、〈憑依者〉はあの人じゃないかなと思っているのですが、霧島先輩は分かっていましたよね」

『さぁ、どうでしょう』 

 微かに系統から霧島の含み笑いのような声が聞こえる。やはり、彼は油断ならないと佐久夜は改めて思った。

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