第14章 似ているようで異なる世界

第24話

「……ここは」

「お嬢さま?」

「……っ!」 

 いつの間にか背後にいた人物に声をかけられた佐久夜は、悲鳴をあげなかった自分を褒めたい。 

 周囲を落ち着いて見渡せば、この場所が前世、自分が住んでいた家の玄関であることが分かった。西洋風の家の造りに反するように、祖父が好きな書道家から購入した自慢の掛け軸が飾られていることで確信する。 

 生真面目さを一つ縛りに体現した妙齢の女性は佐久夜をみるなり、『お帰りなさいませ』と丁寧なお辞儀をする。

 彼女の格好をみれば、自分の家の女中だとは分かるが、こんな女性がいただろうかと佐久夜は首を傾げた。 

 系統のエラーで自分が飛んでしまった世界は、過去、佐久夜が生きてきた世界のようだが、周が世界を創った世界に感じた違和感から、似た世界に来たのだろうと佐久夜は思う。

 しかし、系統からの反応がない為、不安になってくる。

 仮に過去の自分の世界なら、佐久夜は自身が憑依者になってしまうのかがはあやふやだ。憑依者を見つけるために系統を使って、異なる世界に来たのに、自分が憑依者になってしまった時には、なにかしらの罰則はあるのだろうかと前髪をいじった。 

 自分のまわりを回っている系統は相変わらず、エラーの表示が続いている。

みことさまもお嬢さまにお会いしたいとのご伝言を承っております。連絡をしておきますので着替えたら、リビングに行ってくださいませ」 

 彼女に引きずられるまま、佐久夜は部屋へと引き込まれる。自分の部部屋だと言う場所に連れられて、佐久夜は目を見張った。 

 陽当たりのいい、この部屋は佐久夜ではなく妹の部屋だった筈だ。 

 今、自分がどういう状況にあるのかが分からないが、この世界の〈佐久夜〉として、系統が復帰するまで過ごすしかないだろう。

「尊さま。お待たせいたしました」

「いや、疲れているところ、悪かった。久しぶりだったし、一目だけでも会えたらってな」 

 彼らしくもない、佐久夜を労わる言葉に鳥肌が立ちそうになる。

 どうして、この男は妹ではなく、佐久夜に会いに来たのだろうか。 

 烏森尊からすもりみこと。 

 佐久夜の名前だけの婚約者だった男だ。見た目は優男風の端正な顔立ちの男なので、彼の腐った中身に気づくことが出来る人は稀だ。どうして霧島を見るたび、苦手意識を持つのかと、佐久夜は考えてもわからなかったが、目の前の男の面影を感じたせいなのかもしれない。 

 佐久夜が生まれる前から決められ婚約者が尊だったが、彼が欲っしたのは美しい妹だった。

「今日はお前を誘いに来たんだ。良ければ、俺の家に遊びに来ないか? 桜の木がそろそろ、花を咲かせそうなんだ」 

 口角をあげて微笑んでくる彼に、佐久夜は薄気味悪さを感じてしまう。

「姫子は誘わないんですか?」

「……姫子? お前の友達か?」 

 考えるように尊は顎に手を当てる。 

 彼の反応を見れば、ふざけているのではなく、姫子のことが本当に分からないようだ。佐久夜の表情をみて、行きたくない気持ちを尊は悟ったのだろう。

「久しぶりに、さとるもお前に会いたがっているしな」

「智くんが……」 

 尊とは一緒にはいたくない。しかし、佐久夜は自分の弟のような智には会いたいと思う。

「ああ。あいつは兄の俺より佐久夜に懐いているから」

「分かりました。お伺いいたします」 

 よかったと言いながら、約束だけを取りつけると、尊は佐久夜の家を足早に去る。お茶を持ってきた女中が不思議そうに、尊がいた場所をみた。

「お嬢さま。尊さまは?」

「お帰りになられたわ。ねぇ、姫子とお義母さまはどちらに?」

「? ご両親は別宅におりますが、姫子さまとは⁇」

「……お祖父様は、ご健勝よね?」

「ええ。佐久夜さまにもお会いしたがっています」 

 女中の言葉で確信することが出来た。 やっぱり、この世界は佐久夜の生きていた世界とは異なる世界だ。

「ありがとう。お茶は私が頂くわ」 

 咄嗟に出たアンネたちを真似てみた、ご令嬢の振りに佐久夜は肩が凝りそうだ。女中が部屋から出ると、佐久夜は自分が生きてきた世界とこの世界との違いを確かめる為にも、妹のことを思い出す。



「みてみて、佐久夜。これって、噂の洋装よね? お嬢さま。このドレスを着て、社交界に行くのかしら」

「ちょっと、糸。勝手に持ち出しちゃ駄目だよ」

「いいわね〜。こんな綺麗な洋装を着て、素敵な殿方とダンスを踊るのね」 

 空想のなかで自分が洋装を着て、踊る想像でもしているのだろう。うっとりとしている糸を放っておきながらも、衣裳部屋の掃除をしていると、女中仲間のひとりが佐久夜を呼びにくる。

「佐久夜〜。田中さんが呼んでたわよ」

「またぁ? 佐久夜、あんたなんかしたの⁇」 

 ふたりに怪訝な目で見られて、佐久夜は苦笑をする。

「ほら、私、お嬢さまづきになって間もないでしょう? そのことだと思うわ」

「あんたもあんなわがままに付きあわなくちゃいけないなんて大変ね」

「疲れには甘いものよ! 今度のお休みに餡蜜を食べにいかない?」

「いいわね。最近、ライスカレーっていう食べ物も出来たそうよ!」 

 このまま、ふたりの会話に耳を傾けていれば、日が暮れてしまいそうだ。糸たちに仕事を抜けることを話すと佐久夜は家令室へと向かった。

「佐久夜です。入ります」 

 田中は佐久夜を見るなり、いたわしそうに目を細める。椅子から立ち上がると、床に正座をする。今にも額を床につけ、土下座をしそうな彼を佐久夜は留めた。

「やめてちょうだい、田中。おじいさまが生きていたら、私が怒られてしまうわ」

「いいえ、お嬢さま。是永これながさまが生きておられたから、今ごろ、この田中の首と胴体はなかったことでしょう。田中が力になれず、誠に申し訳ございません。実仁さねひとさまは、お嬢さまを一体、どうされるおつもりなのか」 

 疲れたように田中は呟くが、佐久夜にしてみても、どうして憎い女の娘を最愛の妻と娘がいる家へ置いておく理由が分からなかった。

 父の不幸は佐久夜の実母に見そめられてしまったことだろう。

 父は今でこそ、でっぷりとした狸のような外見であるが、若いころは女学生の間でも美男と名高い男だったらしい。佐久夜の母に一目惚れをされた父は磐長家に買われたようなものだった。 

 恋人とは無理矢理、別れさせられ、自分の家の借金を返すために母と結婚するしかなかったと聞いている。 

 母は産褥熱で亡くなり、佐久夜はそのまま、母の実家で幼い頃を過ごしていたところ、突然、父が一緒に暮らしたいと迎えに来たのだ。 

 今まで気にかけてはいなかった佐久夜を急に思い出したように引き取ろうとする父に、祖父も疑問を感じたのだろう。佐久夜の付き人として、田中を一緒に連れていくことを条件に佐久夜は磐長家に過ごすことになった。 

 初めて会った義母は佐久夜に目配せをしただけでなにも言わず、次の日から佐久夜は磐長家の令嬢としてではなく、女中のひとりになる。田中がすぐに祖父に抗議をしようとしたものの、祖父は階段から滑り落ちて、大怪我をしたらしく、面会謝絶の状態が続いていた。 

 祖父のことが気になりつつも、妹に声をかけられたのもその頃だ。

「ねぇ、あなたが佐久夜?」 

 父の面影を感じさせる美少女が、階段上から佐久夜に問いかけてくる。彼女の外見に気を取られ、返事をしないことに焦れたのだろう。 

 美少女は佐久夜の元まで、降りてくる。

「ふぅん、お父さまに似ず、地味なお顔ね。私、お母さまの代わりにあなたにいじわるをすることにしたの」 

 まさか、直接、あなたをいじめると宣言をされるとは佐久夜は思わなかった。

「えっと、私にどんないじわるをするのですか?」 

 佐久夜は純粋に気になって聞いてみる。美少女は佐久夜の問いかけに無言になると、目の前で悩み出した。

「えっと、そ、そうね。あなたの前で『あなたはこんなお洋服を持っていないでしょう?』って自慢してやるわ。あとは、お、お父さまから貰った贈り物を見せたり」

「あんな父でも、お嬢さまにはお優しいんですね」

「えっ?」

「正直、仕事にかまけて、家族なんてどうでもいい人だと思っていました」 

 好きな女性と再婚したのにも関わらず、父は家には寄りつかない。

 あれだけ、周囲には恋人だった義母が大事だと言っておきながらも、家族をないがしろにしている状態なので、佐久夜は父には他者からかわいそうだと思って貰いたい。そんな自分に酔っている性格をしているのではないかと思っていた。 

 義母と妹を引き取ったのも周囲から苦難はあったが、愛を選んだ立派な男だと思って貰いたい。そんな理由だと考えていたからだ。 

 だから、継母からのいじめや嫌がらせもなく、彼女の視界に入らない程度ですんでいるのだろう。

「お嬢さま?」

「……佐久夜」

「えっ?」

「佐久夜。今日からあなたを私専属にしてあげますわ、喜びなさい」 

 なにが妹に気に入られたのかは分からない。 

 その日以降、佐久夜は姫子付きとなり、妹と仲を深めていくことになる。

「なにかありましたら、この田中に仰ってください。いざとなれば、実仁さまと刺し違えても、お嬢さまだけは必ず、お守りします」

「……物騒なこと言わないで頂戴」



 使用人たちが姫子のことを知らないということは、彼女は別宅で両親と暮らしている可能性が高い。自分と出会ってしまうことで、この世界の姫子に同じ運命をたどらせるのなら、佐久夜とは会わない方がいいだろう。 

 続いていたエラー音が止み、ようやく系統が回復したことで、佐久夜は系統に声をかける。

「せ、先輩! 私、どうしても帰還が出来ないんですけど!」

『やぁ、元気? 佐久夜?』 

 系統の中から、友人の暢気な声が聞こえてくる。

「石上⁇ どうして、系統になってるの⁇」

『……機械になった覚えはないんだけど。ぼくは霧島先輩のピンチヒッターってところかな。バッチリ、佐久夜をサポートしてあげるから安心してよ』

「いやいやっ、安心なんて出来ないんだけど」

『アハハ、そうだよね。ぼくだって、びっくりだったよ』

「それで、ここは」

『うん。小世界の内のひとつだよ。ぼくたちの時代を模してるらしいから、びっくりしたことも多いんじゃないかな?』

「びっくりどころか、自分の過去を違う形で体験してるみたいよ。私は〈憑依者〉なの?」

『いや、佐久夜は〈憑依者〉じゃないよ』

「じゃあ、この世界の〈佐久夜〉はどこにいったの?」

『この世界の佐久夜は優秀だったみたいで、留学生として選ばれて、海外に行ってるみたいなんだよね。いや〜、よかった。どっちかが消えるかも? なんて心配しなくて』

「なんなの、その怖い情報」

『まぁ、佐久夜に残された時間は、本物が帰ってくるまでの時間ってことだね』

「なんて、適当な」 

 佐久夜は石上の言葉に頭を抱えたくなる。

『まぁ、なんとかなるって。なにか、ほか、聞きたいことはある?』

「〈姫子〉って子はこの世界にいる? 私の妹なの」

『妹? 佐久夜の妹の子ならいるよ〜』

「よかった。それだけが心配だったの」

『佐久夜も気づいているかとは思うけど、この世界の〈憑依者〉を見つけないと、きみは天界に帰れない』 

 試しに系統の一覧から『帰還』を押しても、全く、反応しない。

「石上は誰が〈憑依者〉か、分かっているの?」

『推測だけどね。そろそろ、ぼく、退勤時間だから切るね』 

 石上が変わらないことに佐久夜は安心する。 

 憑依者を探せば、天界に戻れるということだが、今回の件が人災だと判断をされたらどうしようかと嫌な考えが浮かんだ佐久夜は考えを振り払うと、布団の上に寝転んだ。

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