第16章 霧島と石上(石上視点)
第29話
「あのぉ、霧島先輩。ぼくたち、お会いしたことありませんか?」
まるで口説き文句のような言葉を口にしてしまった石上に霧島は声を立てて笑う。
「石上さんはどう思いますか?」
「……思い出さないほうが幸せな気もするんですが、それもそれで、なんか気持ち悪いんですよね」
「石上さんは真面目ですね。僕は思い出さない方が幸せなこともあると思いますが」
佐久夜の教育係の担当が変わったことで、『今度こそ自分の担当は霧島がいい』と、下級神が上級神たちに押し寄せる。ただでさえ予定が詰まっている新人研修で仕事が押し、各部署の仕事が回らなくなった。
武田の『お前、モテるな』という嫌味に対しても、『光栄なことですね』とだけ返し、他の神々から言われても自分から教える下級神を選ぼうとは決して、しなかった。
そんな様子を見かねた上級神のひとりが、『お前、磐長と仲が良かったよな』という理由から、佐久夜に変わって霧島の教育係という白羽の矢が立ってしまったのが石上だ。
本来なら周りから憧れている教育係が担当になって、喜ぶべきなのだろう。
この機会に端正な霧島とお近づきになりたい女神たちには始終、睨まれ、男神たちからは同情されたのが救いだが、自分はどこまでついていないのだろうと、石上は思ってしまう。
なぜ、佐久夜は他の神たちからの妬みや嫉みをかわなかったのだろうと石上は考えたが、彼女が目に見えて、霧島に怯えていたことと、霧島自身が初音に佐久夜の担当をしたいと申し出たという噂があってのことだろう。
石上は暫く、霧島と接しているが、どうして、佐久夜が優しい彼に怯えているのかが分からなかった。しかし、自分も彼女と似た感覚を覚え、朧げであった影が一つの形となってひとりの男を思い出す。
「あ、あんた、烏森……」
「お元気でしたか? 石上さん」
「……佐久夜が怯える理由がようやく、分かった気がします。霧島って」
「母の旧姓なんです」
霧島はあっさりと石上の質問に答える。
佐久夜は未だ、彼が婚約者だと気づいていないようだったが、過去、自分を貶めた男に嫌悪感を抱いても仕方がないだろう。
天界が人を神に認める条件は分からないが、長年、婚約者を傷つけ、自分の恋人だった人を間接的にでも殺めた男に嫌悪感を抱くのは人として当然だ。
「石上さん。僕はあなたの弱みを握ってます」
「……だから、なんですか」
「もし、貴方が僕に協力をしてくれなければ、このことを喋ってしまおうと思うんです」
「今更、誰に言っても」
『ぼくは構わない』と告げようとしたところで、霧島の笑みが深くなる。
「佐久夜さんは貴方が妹さん、姫子さんとのお付き合いされていたことを知りませんよね?」
「なんで、それ」
「呪いに悩まされていた両家が知られないとでも思って、交際をしていたんですか? 随分とのんきだったんですね。だから、あんな結果になるんですよ」
なんども尊の従者を辞めたいと思ったが、辞められなかった理由のひとつがまず、烏森家と石上家との繋がりだった。
尊の監視役も兼ね、彼の使いっぱしりとなっていた石上がもう彼の機嫌をとるのは、こりごりだと父に訴えたところ、寡黙だった彼に頭を下げられて、石上は驚いた。『諦めてくれ』と予想もしなかった言葉に、石上は目を見張る。
石上には悪いとは思うが、石上家は烏森家に多大な恩があるのだという。
『多大な恩って?』
『破産しそうだった我が家を救ってくれたのが、烏森家なんだ』
先祖の恩なんて関係がないといっそ家族と縁を切り、田舎にでも行こうと思ったときに佐久夜の妹の姫子に会った。
元々、尊が自分のような優れた男に佐久夜は似合わないといい、彼女の妹の姫子を見てこいと命じられたからだ。
磐長家の屋敷の近くには、家を覗けそうな大木がある。木の上から磐長家を観察しようと登りかけていたところ、女学校の帰りだったのだろう、観察対象であった姫子と目があった。
彼女に悲鳴をあげられそうになったことが分かった石上は木から急いで降りると、咄嗟に姫子の口を手で覆った。これじゃあ本当に不審者だと、石上は慌てて手を離す前に後ろ足で向う脛を力一杯に蹴られ、痛みでそのまま、しゃがみこんでしまう。
『ぼ、ぼ、ぼくは怪しいものじゃ』
彼らを呼ばれては大変だ。きっと、尊は自分なんかを庇ってはくれないだろうし、烏森家は自分を彼のお守りから外すだろう。ふと羅卒に捕まってしまえば、家や尊から逃れられるんじゃと考えて、心のなかで石上は首を横に振る。
彼のために石上は人生を棒に振る気はない。
『どこからどう見ても怪しいわよ。あなた、私の家を覗こうとしていたでしょう?』
『いえ、ぼくが興味があったのは、あなただけで』
姫子は石上の言葉に綺麗な顔を真顔にした。手を拳の形に変えると、頬めがけて殴りつけてくる。
令嬢が繰り出したと思えない、いい拳だった。
そのまま、気絶をしてしまった石上は、自分が殴られた頬の上に、濡れたハンカチが載せられていることに気づく。
不器用な刺繍で、姫子のイニシャルが縫われていたことに、久しぶりに笑ってしまい、痛めた頬を歪めた。
『お嬢さん。可愛らしいハンカチを返しにきました』
縫った刺繍のことだと気づいた姫子は、石上にむっとした表情を隠そうとはしない。こうして、姫子のハンカチを渡しに行ったことをきっかけに、姫子とは自然と仲がよくなっていった。
神社の御籤に混ぜて結び文をし、通りすがりの他人を装い、姫子の爪に塗られた薄紅インクで会う約束を確認したりと、自分たちの仲を疑われないように隠した。
姫子はどうしてそんなに隠す必要があるのかと不思議そうだったが、尊にふたりの仲を知られれば、彼女には二度と会えないだろう。
『お姉さまのお出かけついでに、あなたのご主人さまにあったわ』
日傘をくるくると回しながらも、姫子は不機嫌そうにいう。一見すると尊は女性が好みそうな顔をしている。
姫子も彼に惹かれたかもしれないと思いつつも、石上は彼のことを聞いた。
『ぼくと違って、色男だったよね? 尊さま、女学生たちにもよく恋文を貰っててさ』
『最悪な男だった! 私にアイスクリンを食べさせてくれたのはいいけど、お姉さまには水しかあげなかったのよ? おまけに弟さんをいじめているみたいだし。あんなのがお姉さまの結婚相手になるのは、お可哀想だわ』
『きみはお姉さんのことが好きなんだね』
姫子に想われる姉が羨ましいと漏らしてしまった言葉に日傘で顔を隠してしまった彼女が可愛らしく思った。
あるとき、姫子は烏森家の尊との縁談が自分に来たと石上に話す。
『お姉さまが協力をしてくれるって言ったの。私と一緒に逃げてくれない?』
『ぼくの前だと素直に呼べるんだ?』
『こんなときに茶化さないで』
『……茶化さないとやってられないだろう? お嬢さまがどうやって、生活していくんだよ』
『出来るわ! 初めはうまくいかないかもしれないけど、頑張るもの。それとも、あなたは私が嫌なの?』
彼女の手をそっと握ると石上は覚悟を決めた。
そのあとは佐久夜に話した通り、石上が考え足りずだっただけだ。
幼いころから、彼に付き従ってきたからこそ、尊のことを知っていると勘違いをしていた。
そもそも、姫子は直系の血ではないだから諦めろと諭したところ、どこからか、
他の使用人たちからは悲鳴があがったが、彼の弟が行方不明になったのと同様、周囲から自分も烏森家を辞職したと思われるだろうし、両親も石上が事前にやめたいと話していたことで逃げたと思うはずだ。
そのまま、石上は事切れた。
尊が石上を斬り捨て、きっと自分を信じて待ってくれていた子を見捨てたと知られたら、佐久夜はまた傷つくだろう。
尊のことを思い出したくもないはずだ。
彼女は親しくなったと思った自分の前でさえ、前髪を上げたことがない。
「霧島先輩。あなたはなにがしたいんですか」
「僕は過去を取り戻そうと思っているんです」
これでも佐久夜さんには悪いことをしたと思っているんですと霧島は石上から顔を逸らしながらも言う。どこか、霧島に違和感を感じつつも、石上は天界の禁則事項を思い出して告げた。
「まず、過去には戻れませんし。戻れたとしても、他人の運命を変えることは天界の重罪ですよね?」
「石上さんは、〈異世界転生課〉をご存知ですか?」
「天界のなかで一番、ブラックな仕事日程でほぼ帰れないっていう」
「ぼく、そこの神さまと知り合いだったんです」
霧島は基本、顔に笑みを浮かべてはいるが、その目が笑っていることはないと石上は思う。
「元々は神々の罪だというのに、なにか問題があるたびに上から文句を言われる。世界の監視は作った創世神たちの観察なのに、関係のない自分たちまで引っ張り出されると。あまりに可哀想だったので、いっそ、人界に転生してはいかがですか? とおすすめしたんですよ」
霧島はなんてことのないように語るが、それは天界からしてみれば重罪じゃないか。
「彼がいなくなってしまったことで、天界は僕が思った通り、大騒ぎの状態です。なので初音さまに進言したんですよ。僕が異世界転生課を引き継ぎましょうかって」
誰も、彼を疑ってはいなかっただろう。
霧島は初音から異世界転生課の権限を疑われることなく、容易く、担ってしまった。
「系統さえ使えば、過去の時間に行くことは可能です。ただ、佐久夜さんの過去を変えたいと思った僕は却って、彼女を不幸な目に遭わせてしまいました。なので、考えたんですよ。いっそ、世界を創り直したほうが、僕の望み通りの世界が創れると」
「佐久夜が望んでいるのか、分からなくてもですか?」
「佐久夜さんの為でもあり、僕の為です」
石上が断ったとしても、霧島は自分勝手な思いをやり遂げるだろう。なら、自分が彼の監視役としてみていた方がいいかもしれないと石上は考える。
「分かりました。霧島先輩の共犯者になります。それでぼくはなにをすればいいんですか?」
「素直、ですね」
「逆らってもいいことはないって、身をもって分かってますので」
「では、そのときがくれば、お願いします」
石上は霧島に笑い返すことが出来ない。
胃のあたりを抑えつつ、どうして霧島が佐久夜の為だけに天界での罪を背負ってまで、過去を変えたいと思う理由が石上には分からなかった。
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