第18章 霧島の告白(霧島視点)

第31話

 烏森尊。

 兄は烏森の名がなければ、なにも出来ない屑だ。だからこそ、自分よりも弱い者に当たり散らすのだろうと、智は身を持って知っていた。両親の見ていないところで小突かれたり、兄には見つからないように隠していた宝物を壊されたことは、一度や二度の話じゃない。 

 尊にとって弟という存在は自分の精神的な重圧を解消する道具だと思っているようだった。 

 名家の烏森家に生まれた。それだけのことで、他人は自然と尊にへりくだった態度で接する。そのことに勘違いをした兄は、自分が誰よりも優れていると思っていた。 

帝国大学に入学するには成績が足りず、政府筋に顔がきく祖父が学長に願い出て、やっと入学ができた兄のことを智は内心では見下していた。

 祖父の顔を立て、今度こそ、真面目に勉学に励むかと思えば、高校時代からの悪友たちと変わらず、花街に出向いてばかりいる。

 珍しく、兄の部屋の灯りがついていると思えば、花街に行く金が尽きたのか、部屋で遊び仲間たちと騒がしく、酒盛りをしていた。

「尊は可哀想だな。あんな地味な女と結婚するんだろ?」

「仕方ないだろ? あんな、醜く女でもじいさんが決めたことだからな。小遣いが強請れなくなる」

「妹の方は美人なんだってな」

「あぁ。じいさんに婚約者を変えられないかって聞いたんだけどさ。妹は直系の血じゃないから無理だとさ」

「まぁ、結婚するだけ結婚して、あとは今と変わらず、あそび歩けばいいじゃないか。どうせ、お前のことだ。贔屓の女とも縁は切らないつもりなんだろう?」

「しょうがないだろ? あっちが俺を離してくれないんだから」

「ハハっ、お前は顔だけはいいからな〜」

「言ってろ」 

 そんなことを仲間と言い合いながら、兄が笑いあっていることが智は信じられない。彼が醜いと批難する兄の婚約者より、兄の方が智からしてみれば見苦しい存在だ。もっとも智は一度として、姉を醜いだとは思ったことはない。 

 兄との見合いで初めて出会った姉は優しい人だった。

「二度と俺にそんな口を聞くな‼︎」 

 顔合わせのあと、よほど機嫌が悪かったのか。両親からふたりで庭を見て回るように言われていたのに、尊は婚約者を置いて、自分の部屋へと戻ってしまった。

 母から尊に戻るよう言ってくれないか、と頼まれた智は突き飛ばされて、傷を負わされる。 

 あのまま、兄は婚約者の元には戻らないつもりだろう。仕方がなく、尊の代わりに智が彼女の元に向かうと、兄を待っているのか、藤棚に佇んでいる女性が見えた。

「すいません。兄は急に具合が悪くなったみたいで」 

 女性は智の前に屈むと手をとる。良家のご令嬢の手なのに、水仕事をしているように荒れていることが気になった。

「これ、どうしたの?」

「こ、転んだんです」 

 自分の言葉はすぐに嘘だと気づいただろう。しかし、彼女はなにも言わずに、髪を結んでいたレースのリボンを解く。

「包帯とか持ってないから」 

 兄に暴力を振るわれたことでついた手の傷に、自身の髪を飾っていたレースのリボンを巻いてくれた。

「き、気にしないでください。戻って、手当てをすればいいだけなので」

「私が見てて、痛そうだから。尊さまは来ないんだよね? 怪我が大丈夫そうなら、きみが案内してくれるかな?」

「えっと、じゃあ。お姉さまはどんなお花が好きですか?」

「きみは?」

「あっ。僕は智っていいます。お姉さまは、佐久夜さんってお名前ですよね」

「知ってたんだ。恥ずかしいんだけど、私、花には詳しくなくて。智くんが好きなお花を教えて貰ってもいいかな?」

「じゃあ、案内しますね」 

 智のたどたどしい案内を、楽しそうに聞いてくれる彼女は、年上の人なのに可愛らしく感じた。 

 血が止まったことで包帯代わりに借りたリボンを洗って返すと言ったのに、遠慮しないでと貰ってしまったリボンは兄には奪われたくない宝物となった。 

 その後、尊は佐久夜と会わなくてはいけないときは、妹の姫子も呼び出しているらしい。

「あいつも妹くらい美人なら、結婚してやったのにな」 

 そんな風に他人を顔で判断する兄が気に食わなかった。兄が彼女のことをいらない、というのなら、自分が彼女の婚姻相手になるのはどうだろう? そんな思いで智は祖父に佐久夜のことを投げかけてみた。

「お祖父さま。お兄さまは磐長家との婚姻がお嫌なようです。僕では駄目、ですか?」

「智は磐長家のお嬢さんを気に入っているようだな」

「兄にはみる目がないんです」

「尊のやつは相変わらず、か」

「お祖父さまから注意は出来ないんですか?」

「私もお前の両親もあいつを甘やかしてしまったからな。奴自身がいかに自分が甘ったれかを気づかなければ、変わることはないだろう」 

 祖父が話題を変えたということは、婚約者を智に変えること気なないのだろう。

「僕じゃ駄目なんですか?」

「智、お前は聡い子だ。けれど、残念ながらお嬢さんと婚姻する資格がないんだ」

「資格? どんなことが必要なんですか? 僕、頑張りますから」 

 智の言葉に祖父は静かに首を振る。

「どんなに努力をしたところで無理だ」

「なんで、無理だって分かるんですか?」

「お前が長子じゃないからだ」 

 祖父は智に磐長家との呪いについて話す。ただ先に生まれただけの癖に家族たちからは甘やかされ、佐久夜と結婚する権利が持てる兄に対し、どす黒く煮詰めた感情が自分に絡みつくことに気づいた。

「さ、智?」 

 普段はおとなしい孫の異変に気がついたのだろう。祖父が緊張したような声を出すことに、あえて智は可愛らしくみえるように笑った。

「お話を聞いてくださってありがとうございました」

「あ、ああ」 

 祖父の部屋から出ると、壁に背中をつけていた兄が愉快そうに智を見下ろした。

「智がじいさんに会いに来るなんて珍しいな。お前も小遣いをせびりに来たのか?」 

 兄は使用人に金を握らせ、智の行動を見張っていたのかもしれない。ニヤついた顔をしながら自分の目の前に立つ兄を無視して、智は離れようとする。

「お前、あの不細工が好きなんだろう?」

「お兄さまの勘違いです」

「残念だったな。お前の欲しいものは手に入らないし、入ったとしても、俺に壊された運命だ」 

 感情を表に出してしまうことは、誰かに弱みを握られることだと兄によって智は知った。

 兄は勝手に智の部屋に入ったのか。

 佐久夜の母の形見だと聞いたレースのリボンを智に見せると地面に落とす。リボンが兄の足で踏まれそうになったことで、智は慌てて屈むと両手で防ぐ。

 兄が容赦なく、自分の手を踏みつけたことで、うぐっと智は声を出した。

 目障りだというように智を蹴飛ばすと、今度こそ、智に見せつけるようリボンを踏みつけて嗤った。

「なにをなさっているんですか!」 

 兄専属の召使いの声が聞こえて、尊は塵をみる目で自分を睨みつけると鼻息を鳴らして立ち去っていった。 

 智は目に涙を溜めながらも、リボンの汚れをはらう。 

 日に日に暴力的になっていく兄に殴られた智が、目を覚ませば、そこは白い世界だった。どうやら、智は柔らかな布団の上で寝かされていたらしい。目の前にはすらりとした背まである黒髪の優美な女性が智をみて目を細める。

「こ、こんにちは」 

 智が挨拶を返すと彼女は面白そうに笑った。

「此処がどこだか分かるか?」 

 女性の問いかけに智は首を振る。自分の身体に兄がつけた傷ひとつないことが見て分かると、此処が死後の世界だと気がついた。

 羽織っている白い着物のたもとの中に、佐久夜から貰った大切なリボンがあることに一息つく。 

 髪が短い智は無くさないように、自分の手首にリボンを巻いた。

「本来、そなたは次の転生を待つ為に石を積まなくてはいけない定めだった。けれど、われが気に入って連れてきた」

「……はぁ」

「天界はいつも神不足。そなたがそれなりの働きを見せたら、人界をみることを手伝ってあげる」

「……貴女は」

「そなたに縁ある者とだけ言っておこう」 

 彼女は全てを見通しているのだろうか。 智はリボンを握りしめると、目の前の女神に頷く。 

 あの人の運命を変えてみようと、智はリボンを握りつつも覚悟を決めた。 

 女神の言う通りの仕事をしていれば、上級神の覚えもよく、やがて、智は人界の様子も鏡を使って覗けるようになる。

「どうして、お姉さまばかりが辛い目に遭わなくてはいけないんですか!」 

 自分が尊の手によって神隠しに遭ったあと、恋した人は自分が生きていた頃よりも悲惨な目に遭っていた。

「それが、彼女の運命だから。もしも、彼女を救いたいと願うなら方法はあるぞ」

「どうすればいいんですか?」

「運命を書き換えてしまえばいい。これは神にしかできないこと。どうする?」 

 女神を信用していいものか、分からない。

 智は人の運命を変えることが神にとっての重罪だとは知りつつ、女神の言葉に頷いた。


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