第26話 かくしごと



「……作間先輩は?」



 休みが明けて授業が再開。いつもと同じく、放課後物理室へ向かったところ、いつになっても作間がやってこない。

 彼と同じクラスの堀はもうとっくに来ているというのに。

 もう楽器のスタンバイは完了している。堀と猫塚はそれぞれチューニングをし終えて、ウォーミングアップが終わるところ。今までこんなに遅れてくることがなかったこともあり、生雲は堀に訊く。



「あいつは休みだ」

「え? 体調、悪いんですか?」

「いや。あー……表向きはそう」



 渋い顔をして言う堀からは、いかにも訳ありとわかる答えが返って来た。



「裏では?」



 すぐさま猫塚が追って訊く。



「家の事情」



 短い答えだった。それ以上は踏み込むなと言うように、堀はギターをかき鳴らす。

 声をかき消すほどの音は、会話すら許さないようだ。

 堀が頑固であることは知っている。話さないと決めたのなら、その意思は変わらないだろう。真剣な眼差しでギターから目を離さないので、生雲は口を閉ざした。

 作間のことが心配だけれども、どうにもならない。猫塚と目配せし、三人での練習に励むことにした。




 作間が登校したのは、結局一週間休んでからだった。

 何食わぬ顔で部活に現れるまでに何度も連絡をとろうと試みたものの、送ったメッセージに一切の反応はなく既読すらつかなかった。

 大きな事件事故に巻き込まれたのではないかと堀に訊いたが、「そんなわけがない」とあっさり言われた。

 堀に心配している様子は一切なく、それがまた生雲を不安にさせていた。

 ドラムなしでの練習では、物足りなさもあり、練習に集中できなくなっていたころになってやっと、作間が登場したのだ。



「やっふー。さあーって、今日は頑張っちゃおっかなっとね」



 作間が人よりも遅れて物理室に入って来た矢先、生雲と猫塚の眼がすぐに彼を捉える。

 見た目では特に変わった様子はない。事故に遭ったというわけでもないようだ。

 それだけでも安堵し、生雲は久しぶりの作間にすぐさま声をかける。



「先輩っ! 心配したんですよ!」

「あは、メンゴメンゴ」



 頭を掻きながら言う謝罪はとても軽い。さらにその表情すら、悪いとは思ってもいない明るい顔ときた。

 その様子が「いつもの作間」であると、胸をなでおろした猫塚とは打って変わって、生雲は彼にいつもとどこかが違うと感じていた。


 しかし見た目、声、表情は同じ。そこは今までと変わらぬ、軽薄な態度である。

 ならばどこが違うのか。具体的には分からぬとも、何かが違うことは確信する。



「どったの、生雲ちゃん」

「すみません。こう、何かが違う気がして……」

「ん? 何かって?」

「それが分かんないんですけど。分かんないけど違うというか。先輩、何か違います?」

「え? なに、その自己申告制。別になにもないよ」



 笑って答える作間を生雲はじっと見つめる。

 周囲に同調することが最善策とさえ考えるほど、他人の顔色を伺って行動することは得意だった。それで磨かれた感覚が「作間に何か重要なことが起きていたのではないか」と知らせている。

 それを裏付けるかのように、作間は目を逸らしてドラムセットの方へと向かっていく。



「久々だけど、身体は覚えているもんだよね。ちょっと個人錬させてもらうね」



 たったそれだけの言葉が、生雲に確信をもたらした。

 今までの作間であったら、ひたすら見つめるとちょっとふざけた発言があってもおかしくない。しかし今回はそれがなく、生雲から逃げ去っていった。

 加えて、彼の軽薄さの中に存在していた独特の緩さが消えている。

 ふわっとした空気感を漂わせつつ、芯のあった姿ではない。どこか気を張っていて、彼の中に眠っていた芯が埋もれてしまっている。彼らしさが消えている。



「ほら、合わせるからマイク持てよ」

「は、はいっ」



 バスドラムを何度か叩き、ポジションを確認し終えた作間を堀が見たのちに声をかけてきた。

 全員の準備が整っている。あとは合わせての練習をするのみ。

 今は直接問い詰める時間ではない。生雲はひとまずマイクを手に取って唄う。


 ブランクがあれど、全員の音はいつもと大差ない。

 生雲は杞憂だったのかと一瞬頭をよぎったけれど、演奏中にふと、作間の顔を見た時、彼の顔に楽しさが微塵もなかった。

 間奏中、生雲は再びドラムセットの前でじっと作間を見つめ続ける。

 すると彼はひきつった顔をして、ドラムを続けるのだった。



「おい、お前。あんまり響に付きまとうなよ」



 一曲終わったとき、堀が生雲に注意する。



「付きまといはしてないです。ただ、先輩がいつもと違うんです」

「は? お前何言ってんだ。違うってなんだよ。本人が何もねえって言ってんだろうが」

「口では何とでも言えます。嘘だって言えるけど、先輩の嘘は分かりやすいんです。ねえ、作間先輩。何があったんですか? 俺たちじゃどうにもならないことなんですか?」



 堀の圧を躱し、生雲はぐいぐいと切り込んだ。

 滅多にないその行動で作間の動きが止まった。



「先輩。俺はいつもの先輩でいてほしいんです。いつもの、軽くてふざけながらもやるときにはやる先輩に」

「おい、やめろ」

「話すだけでも気持ちは変わるから、なんてことは言わないですけど、俺にできることがあればやります。それで先輩がいつもみたいに笑ってくれるようになるなら」

「生雲ッ! やめろって言ってんだろうが」

「っ……、堀先輩……?」



 作間への本心を言っていただけなのに、怒りをあらわにしたのは堀だった。

 今にも手が出そうなほどの怒り。生雲はすぐさま作間からも、堀からも距離を取るように下がる。



「知らねえやつにあれこれ言われることなんかねえんだよ。テリトリーを土足で踏み荒らすんじゃねえ」



 冷たい眼差し。嫌悪・憤怒が入り混じる声。

 背筋どころじゃない。空気をも凍らせる。

 堀は生雲との距離を詰める。眼前に立たれ、生雲は蛇に睨まれた蛙のようだ。



「帰れ。今すぐ」

「ひっ……で、でも……」

「いいから帰れ。しばらく来るんじゃねえよ」



 堀は瞬きひとつせずに、出入口を指さして言う。

 本気だ。

 生雲の言い分を聞く耳をもたない。

 横目で作間を見ようとしたが、それすらも堀により遮られてしまう。

 猫塚に助けを求めてみると、動いてくれた。



「待ってください。僕ら、練習が必要なのにどうして帰らせるんですか?」

「決まってんだろ、コイツが乱すからだ」

「理由になっていません」

「あ? 練習にならねえってんだよ。お前が残るって言うなら俺らは帰る。二度と来ない。響、帰るぞ」



 堀はそう言ってギターの片づけを始めた。堀の呼びかけで、作間は静かにドラムセットから立ち上がって離れた。

 彼らの本気度が伝わってくる。



「い、いや。俺が、帰ります……」

「湊介……」



 二度と来ないという発言を撤回することはないと思えた生雲は、どうにか声を絞り出した。

 猫塚が心配してくれるが、生雲は「大丈夫だよ」と返す。決してそうではないが、今はそうするしかほかない。



「すみませんでした。帰ります」



 最初から荷物はひとつで、広げていなかったのですぐにそれを持って出入口に立つ。そこで振り返り、頭を九十度下げ一礼してから生雲はたった一曲だけを全員で合わせて唄ったところで物理室を後にするのだった。



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