第10話 照れちゃうゾ


 練習し始めてからまだほんの一時間程度だ。それで一曲弾けるはずがないと言わんばかりに、作間は食い気味に聞いていく。


「猫ちゃん、音楽できちゃう系なの?」

「いや。そんなことはないかと。あ、合わせてみてもらってもいいですか? そこからちょっとまた練習しようかなって思っているんで」

「お、おう……んじゃ、ギター音源入りのはスマホで流すから。アンプとかマイクはもう一回点検してからの方がいいだろうから……お、いいものみっーけ!」


 作間は棚を何やら探り、小さな機械を取り出す。


「それは?」

「小さいアンプ。アンプラグっていうんだけど、ヘッドホンとか繋いで音が聞こえるやつだよ。いつものでっかいアンプを久しぶりに使って壊したら嫌だもんねえ。アンプラグが壊れる方が安く済む」


 アンプラグと呼ばれる小型アンプをベースに繋ぐ。

 通常のアンプは大きく、コンセントを使う。しかし、アンプラグの電源は電池でアンプ同様の基本的機能を持つ。

 異なるのは電源だけでなく、音の出力方法だ。

 スピーカーなどは内蔵されておらず、出力端子としてイヤホンやヘッドホンを必要とする。

 なので作間は、どこからともなく取り出した有線イヤホンもアンプラグに繋いだ。


「猫ちゃんはコッチ。俺と片耳ずつつけて音を聞かせて? 大丈夫、こう見えてもお兄さん、聞きながら叩ける万能お兄さんだからね」


 椅子を作間のすぐ隣に持っていき、猫塚と作間はひとつのイヤホンを共有する。こうすることで猫塚の音は二人に共有される。

 それを羨ましそうに生雲は見つめるのだった。


「やだぁ、生雲ちゃん。そんなに見つめないでよぉ。お兄さん照れちゃうゾ☆」

「あ、はい」

「んもう。反応薄いよー、寂しいなぁ」


 一通りふざけてから作間はスマートフォンを操作し、準備を整える。そして「準備はいいかい?」と確認をしてから、音源を再生した。

 生音ではないので、音割れしている。それにボリュームにも限界がある。だが、スマートフォンの音を消さない程度に控えめなドラムのリズムが重なった。




 ギター音源と生演奏のドラムとベースによるイントロ。生雲にはベースの音が聞こえていないが、形はこの短時間で本当に弾けるようになっている猫塚に驚きを隠せない。

 あまりにも大きい衝撃に、イントロを過ぎ、唄い始めを忘れてしまった。


(まずい)


 練習とはいえ、迷惑をかけてしまった。焦り始めた生雲は途中から唄おうとするが、うまく入れない。初心者の生雲には難しい。それが分かったのか、作間がドラムを叩きながら唄ってくれる。

 それに合わせるように、生雲も自分なりに、自分にできる範囲で唄った。


 もともとはゴリゴリのロック。すべての音が尖っていて、ボーカルは叫ぶような曲。けれど、それを再現するには生雲の声が高すぎる。声が裏返ることも多く、途中で咳をして喉の調子を整える。

 さらに猫塚のベースもところどころ指が止まる。

 唯一正確に音を出しているのは作間のドラムだけ。

 それでも生雲は初めての練習と合わせが、とても胸が熱くなっていた。



 ぎこちないまま曲が終わりを迎えた。

 上手いとは言えない。よかったとも言えない。満足はいかない。

 もっとうまくできたなら。もっと唄えたなら。ひとり反省会を頭の中で開催する。


「んー! 及第点にもいかないけど、初めてならこんなもんだよねえ」


 合わせてみて、レベルを把握できた作間が唸る。猫塚も思ったようにいかなかったからか、ひきつった顔をしている。


「俺、もっと声出るようにしたいです! まだやりましょ! ね!」

「いいねえ、生雲ちゃん。やる気満々じゃん。さっきの弱気も吹っ飛んだね」

「はい! 楽しいので!」

「よーっし! やろっかー……って、アレ? あれは……」


 作間の眼が物理室の扉へと向けられる。その視線の先を追って生雲も見た。すると、物理室の扉の小窓から誰かの姿を一瞬だけ捉えられた。


「生雲ちゃん! 追って!」

「ぅえ? はい!」


 ドラムセットから立ち上がって追いかけるよりも、何も持っていない身軽な生雲の方が動きやすい。

 どうして追いかけるよう言われたのか分かっていないが、生雲は作間に従い、物理室を飛び出して逃げる姿を追いかける。


 目先に逃げていくのは男子生徒。線が細く、黒髪。

 思い当たる人物はひとり。


「待ってください、堀先輩っ!」

「っ……来るなよっ」


 振り向きながら叫んだのは、部長の堀だった。

 十メートルほどの間隔を保ちながら、校内で追いかけっこが始まる。階段を上がったり、降りたりと校内の構造を把握している堀が有利に見えた。しかし、僅差の体力で勝ったのは生雲だった。

 階段下、暗い倉庫の扉に背中を預けて肩で息をしている堀を前に生雲が立ちふさがる。


「お前、何なんだよ……」


 堀は汗で張り付いた髪を手で払いのけ、射貫くような鋭い眼でにらみつける。


「ただの、一年です。先輩が追いかけてって、言うから」


 生雲もぜえぜえと息を切らしながら話す。

 追いかけるよう言われたのはいいが、この後どうしたらいいのかわからない。けれど、あの場にいたということはぎこちない演奏を見ていたのだろう。


「お、俺。先輩と一緒に軽音部やりたいんです」

「は? 何お前。なんのつもり……俺、やらないって言っただろうが」


 蛇の睨みのように、鋭く恐ろしい眼差し。すっかり縮こまって、一瞬だが呼吸が止まる。

 だが、生雲は自分を奮い立たせる。少しでも時間が稼げれば、作間が来てくれると考えたのだ。


「で、でも。見に来た、ってことですよね?」

「うるさい」

「聞こえたんじゃないですか?」

「黙れ」

「気になるんじゃないですか?」

「黙れって言ってんだろ」


 否定はしない。堀は音楽をやりたいのだ。そう確信した。


「……俺、もっとうまく唄えるようになりますから! 先輩、やりたいんでしょう? 好きなんでしょう? だったら、一緒にやりましょうよ!」

「うるさいっ!」

「ひっ……」


 堀が強く大きな声で言われ、生雲は半歩足を引く。


「うるせえんだよ、なにもかも。好きだけでやっても意味がねえんだよ。聞き手もいねえ、認められねえ音楽なんか、意味がねえ……」

「先輩……」


 堀はずるずると背中を扉に着けたまま座り込む。


「中身のない音楽にも意味がねえ。そもそも中身がないやつが作る音楽に中身なんてねえんだ。意味もないものを作って何になる。邪魔でしかねえ」


 堀は顔を伏せた。

 どんな思いで今話しているのか。どう反応してほしいのか。

 相手の求める姿を演じてきた生雲だが、この場面でどうすべきか悩ましい。

 選択を間違えれば堀を傷つける。堀が上級生から受けた心の傷をさらにえぐることになる。心が壊れてしまうと、立ち直ることは困難を極める。今の傷を広げないように、そしてよい方向へ向かわせるようにすべきことは――。


「中身がないなんて言わないでくださいよ……。俺のほうが何もないし、イヤなところだらけですし。先輩の曲、すごいかっこいいのに」


 絞り出した言葉だったが、それが生雲の限界だった。

 落ち込んだ人へ向けた言葉としては無難。ありきたりで、平凡で想定内。

 そんな言葉で、堀の表情は変わらなかった。


「お前さ、周りにいい顔するタイプだろ。つまらないタイプ」

「えぇ……そうかもしれないですけど。いや、そうだと思います」


 どうして見抜かれたのか。わかりやすかったからだろうか。

 頭をよぎったことはすぐに振り払い、生雲は堀を見る。

 疲れ切っているようだが、堀の呼吸は元通りだ。冷たい目と生雲の目が合ってしまい視線を逸らす。


(重い……なんで俺が見られてるんだ……?)


 痛いほど刺さる視線。生雲が顔どころか身体までも斜めにする。

 早く助けが来ると信じるしかなかった。

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