第29話 別の顔
筋肉痛の身体を無理やり動かし、生雲は翌日の放課後には物理室に向かった。
部屋からは人の気配がする。だが、扉はしっかりと閉じている。
扉の窓から中を伺うこともできるはずだが、覗く勇気も開ける勇気がない。
果たしてどのような顔をして会えばいいのか、まずは謝罪をしなければならないが、受け入れてくれるだろうか。その後許してもらえるのか。
考え始めると手が止まってしまうのだ。
まずは挨拶。そして謝罪。頭を下げて、謝って。そして次は。
やらねばならないことを頭の中でシミュレーションすると、手が汗でべたつく。心臓が強く鼓動し、周りの音も聞こえなくなる。
「おや? 生雲くん。お久しぶりですね、入らないのですか?」
足音立てず近寄って来たのは、顧問の立花だった。
「あっ、先生。こんにちはー……ちょっと、入りにくくて。もう、みんな来てます?」
「んーっと、ああ。作間くん以外はもう来ているみたいですね。確か作間くんは今日は――そうでした、大会に出ていますね。公休扱いになっています」
「大会?」
生雲の反応に、立花が「あれ?」と不思議がったが説明してくれた。
「作間くん、もともとフルートが上手なんですよ。中学時代は吹奏楽部で全国にいったりするほどの腕前で。今は各大会へ向けた練習やら予選やらが多いみたいですよ」
「先輩、フルートができたなんて一言も言ってなかったです」
ここ最近の先輩が多忙な理由が分かった。
部活とは別で練習もしなければならない。学校でも家でも音楽に浸っている。
すさまじい練習量をこなしつつ、いつもどおりの笑顔を振りまくことは大変だろうに。
心配をかけない、迷惑をかけない。先輩の大変さと素晴らしさ、そして偉大さをひしひしと感じるのと同時に、物理室から聞こえるギターとベースの音に寂しさを覚える。
「多分、作間先輩。他にも何かある……」
「ん? どうしたんです?」
「フルートとドラム、練習……大会。久しぶりって言いつつドラムを叩いた先輩は楽しそうだったし、ミスもなかった。堀先輩を引き戻したいっていうのも嘘じゃなかった。ちょっとミスするぐらいなら先輩は変わんないはず。なら、先輩がいつもと違う理由は軽音じゃなくて――」
生雲はぶつぶつと自分の世界に入る。頭の中を整理するようにつぶやいていく。そしてひとつの答えにたどり着く。
「先輩はドラムをやりたいんだ。きっと……」
やりたいことをやれないもどかしさ。
遅れてきて申し訳なさげに部活に参加する。しかも短時間。
もっとやりたいだろうに、できない。どうにかしたくても、どうにもならない。誰かに伝えても何も変えることはできないと分かっている。だから余計なことも言わないのだ。
「先生。先輩が出る大会って、見に行くことできますか?」
「はい。今日は隣の市で行われていますので、今から行けば……そうですね、三、四十分程度で着くかと思います。会場はここですよ」
立花はするするとメモをし、それを生雲に手渡す。
そこには会場の住所が書かれており、生雲もかつて訪れたことのある場所でもあった。
☆☆☆☆☆
メモとスマホの道案内を確認しながら会場にたどり着いた生雲。
あたりに歩いている人がいない。静かなホールだ。
恐る恐る会場入り口へ近づく。
エントランスホールはガラスばりになっており、中の様子が伺えた。ちらほらと人がいる。
緊張しつつ、中へ。先に受付と書かれた場所に行った。係の人の案内を受けて簡単な記名をし、タイムスケジュールが書かれた用紙を受け取った。
時間とスケジュールを交互に見てみると、作間の出番はもう間もなくであった。
急ぎつつも、静かにホールの中へ。
重い防音扉を開けて入ると、重たい空気感が漂っていた。
扉付近に立っている人は数人。
ほとんどが空席の座席。
しかし、前方には明らかに威厳のある人が五人並んで座っている。
皆がみているステージには、ひとりの女性奏者。
制服姿からして、高校生だろう。
広いステージにたったひとりで立って、フルートを奏でている。
生雲には、音の良し悪しはわからない。まともに聞いたことのないフルートなら尚更。
綺麗な曲だな、そんな感想しか浮かばない。
ひとしきり終わると、女性奏者は深く頭を下げてステージ袖にはけていく。すると、威厳ある五人が手元のタブレットを操作する。
きっと、五人が審査員なのだ。生雲は、そう受け取った。
そこから少しの時間をおいて、次の人が登壇するのと同時にアナウンスが入る。
『羽宮高校、二年、作間響さん』
先輩だ。生雲は他の人の邪魔にならないように、静かに空いている席に座る。
ステージ中央へと向かう作間はとても小さく見える。それほど生雲との距離がある。されど、歩き方からもいつもの作間らしさが垣間見えた。
作間は深く頭を下げてから、フルートを構える。そしてさっき聞いた曲と同じものを演奏し始める。
バンド練習と同じように、ミスなんてない。細かくも丁寧な音を奏でる姿に釘付けになる。心を撫でるような優しい音が沁みる。こんな綺麗な音があることを知らなかった。
数分間あるはずの曲が、生雲にとってほんの一瞬に感じていた。
拍手は送らないのが定式なようで、作間の出番が終わりステージから去った後、生雲はぐっとかみしめる。
こんなにも上手い奏者なのに、一緒にバンドをやっている。どちらの道に進むのかは彼次第。自分が引き留める資格はない。
けれど、一緒にバンドをやりたい。
わがままな自分に嫌気がさしている間にも次々とステージは人が入れ替わっていった。
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