第28話 あずみ
入学してからひとりになることはあまりなかった。
日中は友人たちとともに、放課後は猫塚とともに。いつだって誰かと一緒に行動した。
それが普通であり、揺るがないものであった。
だが、今は生雲にそれらが一切ない。
進路で悩んだときよりも、軽音楽部の部員を集めるよう言われたときよりもずっと孤独で、虚無に包まれる。
翌日も、さらに翌日も。登校しては項垂れたまま、まるで魂が抜けた姿で授業を受ける。
猫塚や夏菜から声をかけられても、うまく答えられず、結局二週間、部活を休み続けた。
ほとぼりが冷めたら部活に参加することも考えた。しかし、合わせる顔がない。「今更なんの用だ」と言われたらそれまで。
原動力だった憧れが見えなくなってしまい、身動きが取れない暗闇に放り込まれたようだと気落ちしてしまっていた。
そんな中で、唯一、生雲の調子を伺うこともない人が、放課後を迎えて人が少なくなった教室にやってくる。
「ねえ。暇なの?」
「え? あー、まあ。そうかな」
波留だ。
部員集めをしているとき以来の会話だった。
軽音楽部で使用している機材関係を管理している彼女は、ほとんど部活には来ない。毎日メンテナンスをしているわけでもなく、演奏するわけでもないので帰宅部と一緒の時間帯に下校していることもあって、顔を合わせることもなかった。
そんな彼女が一体何の用事だろう。生雲は曖昧な返事をしつつも、彼女の様子を伺う。
「暇なら手伝ってほしい。家の人手が足りないの」
何をと聞かずとも面倒だとは思った。彼女の何を考えているのか分からないほどの無の表情。断ってもその顔色は変わらないだろう。
だが、行く当てもなく無駄な時間を費やすことに疑問を抱いていた生雲は彼女の依頼を受け入れる。
「うん。できることならやるよ」
生雲と波留は初めて二人で下校する。二人に会話はない。並んで歩いていく姿を、堀と作間が二階の窓から見下ろしていた。
☆☆☆☆☆
「何するんだって思ったけど、まさかこれを全部運ぶってこと?」
生雲の眼前にあるのは、多数の楽器や機材たち。
ここは波留の親戚が経営する楽器店である。
壁一面に飾られているギターやベース、ショーケースの中のトランペットやフルート。さらにドラムセットやアンプだけでなく、譜面やその他の道具が多く並ぶ。
どれもこれも目を引くものばかり。
その一つ一つを移動させ、丁寧に掃除をし、数えている店員がいた。
「あらぁ! 波留ちゃん。来てくれたのねえ」
特異的な声を出す店員――安住。
骨格、声質から判断すれば男。だが、着ている服は短いスカートに長いブーツであることから、初めて会う人の思考を混乱させる。生雲もその例外ではない。
「そのコが軽音部の?」
「そう。連れてきた。人手になるから」
「ありがとねえ! 助かるわあ!」
受け入れにくい安住の姿に困惑している生雲をよそに、話は進められていく。
「まだ金管楽器のところだけしか終わってないのよ。波留ちゃん、説明しながら進めてくれるかしら?」
「わかった」
安住はそう言うと仕事に戻る。手元のバインダーに挟んだ資料を確認しつつ、商品を数えて清掃も同時に行っているようだ。
「棚卸しているの。数を数えるのと一緒に掃除もする。おじさんだけじゃ終わらないし、手伝って。これが一覧表」
渡されたバインダーには分厚い量の紙が挟まれている。
決してこの店が広いわけではないのに、これだけの物が置かれており、すべてを数えなければならないと考えるとかなりの重労働になることが予想される。
「高いところのものからやる。傷つけないように気を付けて。何十万するから」
波留が指さしたのは、壁に掛けられたギター。そのそばには値札がかかっており、金額を数えては息をのむ。
決して傷をつけてはならない。壊してはならない。そのプレッシャーを感じながら、生雲は足場を上ってギターを取って波留に手渡しふき取ってからまた戻す。そして資料の中から該当するものを探してチェックを入れる。
足場を上って降りてを繰り返す。最初は問題なくできていたものの、疲労がたまり、ステップが遅くなっていく。
ギターが終わればベース、さらにはアコスティックギターまで。一通りの弦楽器を終わる頃には、みっともないくらいに足が震えていた。
「休憩にしましょうかしらん。はい、お茶菓子でもどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
ふらふらの生雲を見かねた安住が、店の奥からペットボトルのお茶と饅頭をいくつか持ってきた。それを近くのテーブルに置いて、安住も小さな椅子からはみ出る身体をできるだけ小さくして座る。
生雲はそんな安住の言葉に甘えて、足場に座って一休みする。饅頭の甘味が疲労の溜まった身体に染み渡る。
「波留ちゃんから聞いたんだけど、羽宮の軽音なのよね? えっと、生雲くん?」
「はい、一応。最近行ってないですけど……」
「あらん? どうして?」
そこを聞いてくるのかと、生雲はいったん口を閉ざす。
そこから安住は察したようで、軽い口調で「ごめんなさいね、ただのおせっかいだから」とおしゃべりなおばさんのようなことを言う。
「そうよねえ、部活って嫌なこともたくさんあるものよね。懐かしいわ、ここにも鋼太郎ちゃんが駆け込んだこともあったわね。アタシ、お悩み相談室できるんじゃないかしらん?」
鋼太郎。生雲はその名を持つ人物はひとりしか知らないが、人違いの可能性もある。生雲は安住の話を聞き続ける。
「鋼太郎ちゃん、みんながうまいのに自分だけ初心者だから悩んでいたのよね。それでアタシがしごいたんだけど、まさか大会で勝っちゃったんだもん。アタシの教えがうまかったのかって錯覚しちゃうわ。あ、鋼太郎ちゃんっていうのは、今をトキメクWalkerのドラムの人ね」
生雲の頭に浮かんでいた「鋼太郎」と安住の話に登場していた人物は同一だった。
かつて、Walkerの結成秘話を記事で読んだことがあった。そこにはバンドフェスティバルで優勝するまでの話が載っていたものの、詳細については量的に無理があったのか書かれていなかった。
それゆえ安住の話を興味深く聞き入る。
「自分だけができないっていう敗北感っていうのかしら? そういうのを沢山持っている子たちだからこそ、あの曲が生まれたのかもしれないわね」
「あの曲?」
「そ。デビュー曲にもなった曲」
デビュー曲と言えば、大会で優勝した時の曲でもある。生雲も好きなその曲の生まれについて知ることができるのは喜ばしいこと。生雲は興奮する。
「他の人を見て聞いて勉強するのもいいわね。けれどその前に、今の自分を見つめ直して、足りないものが何かを見つけてみて。技術不足かもしれないし、練習不足かもしれないもの。いや……貴方に必要なのは対話。そこから生まれる絆かもしれないわね。だから……まずは今の自分を認めてあげて。きっと貴方にはそれが一番必要かもしれないわ。ね」
安住にじっと見つめられた生雲。
生雲自身は気づいていなかったが、長い期間悩みぬいていたことで表情は暗く、クマもできていた。加えて瞳には光がなかったのだ。
波留から経緯を聞いていたのかもしれない。自分の知らないところで、自分のことが知られていることに恐怖を覚える。
(作間先輩もそうかもしれない)
作間に迫って訊き出そうとしたことを思い返す。
何も語ってはくれなかったが、自分のことを知られることが怖いことなのだということが今わかった。
自分の行動を悔い改めた。
「さあーって、そろそろ再開しましょうか。この辺りのアンプも退かして床も拭いてほしいの。よろしくね」
再び待っていた重労働。
波留と共にもくもくとこなしていく。やることが分かっているときの生雲は強い。
おしゃべりすることもなく、ひたすら仕事をこなしていく。その間、自分が軽音楽部の部員でボーカルなのに練習に参加していないことを忘れられた。
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