第27話 かげがいたい
「悪いね、智哉」
生雲がいなくなった物理室。メンバーひとり欠けるだけで、かなり部屋が広くなったようさえ感じる。
ボーカル不在のまま練習を続けようとする堀は、ギターから目を離さない。ピックで弦を弾くスピードを緩めない。音を確かめながら、普段と同じ様子を見せる。そんな彼に作間はどこか申し訳なさそうに言った。
すると、堀はピタリと手と音を止めた。
「別に。人のこと言えたものじゃないが、あいつにはデリカシーが欠けてる……と思う」
確かに、という言葉が喉元まで上がって来たが、それを飲み込んで先輩二人の会話を静かに聞く。
「生雲ちゃん、落ち込んでないかなあ? あの子、人のコトなんでも知りたがりっぽいけど、その分へこみやすいというか。素直な子だけども受け身な子だし。表向きは人がよさそうにしてるけど、心は弱いタイプだよ。だから、智哉に言われてへこんじゃったかも」
「それはそれでいいだろ。それで辞めるなら、そこまでの人間だったってことだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「厳しいねえ」
へらっと笑う作間だったが、そこに明るさはない。言葉と顔が一致していない。流石にここまでくると、猫塚も気づいていた。どこか元気がない。表情に曇りがある。いつもならすぐに出る軽はずみな言葉もない。
当たり前にあったものがない。生雲の言葉の意味が分かってきたところで、猫塚にできることはない。生雲を追いかけるべきかと頭をよぎるも、度胸が足りない。自分のふがいなさを感じつつ、ベースのネックを強く握りしめる。
「おっと、連絡きちゃった。ごめん、今日も帰るね。埋め合わせはー……ま、そのうちってコトで」
「ああ」
作間は一度スマートフォンを見た。その際渋い顔を浮かべる。すぐに振り払ったが、いかにも『何かある』ということを示している。
猫塚があれこれ思う間に、作間はそそくさと荷物をまとめ終え、「じゃ」という短い挨拶だけで帰ってしまった。
訪れる静けさ。
弦楽器二人だけになったバンド。
猫塚が抱く不安を知ってか知らずか、堀は曲の冒頭を軽やかに弾く。
いつもの音。いつものリズム。このギター音だけは変わらない。
猫塚もベースを奏でる。
堀の音に引っ張られるよう、弾くことで気持ちを落ち着かせる。
変わらないことが安心をもたらす。きっと、彼はみんなが戻ってくると思っている。今はバラバラでも元通りになると信じている。そう伝わってくるようで、猫塚はただひたすらに弾き続けた。
帰路についた生雲は、昇降口の前にあるベンチに座って頭を抱えていた。
とっくにホームルームは終わっているため、今から帰ろうとする生徒はいない。部活動へ向かったか、あるいはどこにも属さない人はすでに帰っている。誰も出てこない昇降口を見つめる生雲に気づく人はいない。
堀や作間が出てきたときに謝ろうとしていたわけでもない。家に帰れば、家族に心配される。だから今はただ、居場所がなくて座っていただけ。せっかく得たはずの、憧れへの道が閉ざされた気がして、何をするにも気力が湧かなかった。
いつ戻ればいいのだろう。
戻ることができるのだろうか。
それともこのまま解散、そして退部になるのか。
溜息を吐いては気持ちが落ちる。自分の影がやたら小さく見え、自分の価値なんかないのだと思わせる。自分だけひとり、おいてけぼりになるのが怖い。
血が冷えていく。頭が凍っていく。
「――生雲くーん」
影とにらめっこしていたら、遠くで声がした。
だが、昇降口には誰もいない。一体どこからなのかと、弱弱しいながらも目で探す。校庭、校舎。次々に目をやって、やっと呼んだ人と見つける。
夏菜だ。
本校舎と特別棟をつなぐ通路の二階。窓から大きく手を振っている。
同じクラスということもあり、何度も話しているし挨拶もしている。軽音部を維持するにあたって、手を貸してくれた彼女をないがしろにできるわけがない。だが別に彼女に気があるわけでもなく、かといって無視もできないので、生雲は弱くそして小さく手を振って返し、その後すぐに視線を逸らす。
太陽のような彼女を見ていると、焦がされるような気がしたのだ。
そんな生雲の反応が気になったのか、夏菜は窓から姿が消えて間もなく、夏菜の姿は昇降口にあった。
「生雲くん」
項垂れる生雲の元へ夏菜はやって来た。
軽快な足音。生雲の気持ちと正反対な音。
「部活、終わったの?」
目の前に立たれて言われる。
今の時間、本来ならまだ部活動中。なのにこの場にいることで疑問に思ったのだろう。
予想はつく。けれど、答えたくはない。
まさか部活から追い出されたなんて。
「……まあ、そんなところ」
とっさに嘘をつく。
「そっか。お疲れ様」
夏菜は笑顔で返した。
嘘だと気づいていたとしても、気づいていないふりをしてくれるのなら、生雲にとってはありがたい。
「……」
「……」
それ以上の会話はなかった。
ふたりとも黙ったまま。
生雲は早く、彼女がどこかへいってくれることを願うばかり。
夏菜も声をかけたのはいいものの、居づらい空気に戸惑う。
そんな中、遠くで音が聞こえた。
ギターの音、そしてベースの音。
軽音楽部の音。
「あ……」
夏菜も分かったようだ。
吹奏楽部の夏菜は、自分たちが練習している曲以外のものが聞こえればそれが軽音楽部のものだと推測できる。
部活が終わったという生雲の嘘がバレた。
「っ……ごめん。嘘ついた」
「ううん。平気」
素直に謝る生雲だったが、その顔は一切あげない。ずっと俯いたままだ。
「生雲くんって、Walker好きだよね?」
「うん」
突然降られた話題。ひとまず答えるが、その質問の意図がわからない。
「Walkerの曲っていいよね。へこんだとき、よく聞くんだ」
夏菜の一人語りに耳を傾ける。
「コンクールには散々落ちたし、一回も賞を取れたことはないけど、楽しいと思えるから続けているんだって思い出させてくれる。音楽って素敵だなって改めて思えるから」
夏菜は生雲のとなりに腰を掛ける。
距離が近い。高い声が鼓膜を揺さぶる。
「なんだろうね、歌詞なのかな。声なのかな。曲全般? 吹奏楽もそうだけど、いろんな音が合わさってできるものって、言葉にするのは難しいんだけど何かあるよね」
だから何だよ、と心の中で叫ぶ生雲。
ずっと聞き流していたが、いい加減夏菜の話を聞くことに対して苦痛を感じ始める。
ひとりになりたくて。生雲は立ち上がろうとしたとき、夏菜はどこか悲しそうな顔をしていた。
「ごめんね」
彼女の真意は分からない。
けれど、生雲は小さく頭を下げるだけにとどまり、今度こそひとりになれる場所を求めて学校を離れた。
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