第1話 軽音楽部には


「きた、きた、きたっ……!」


 広い体育館、窮屈なほど密集した入学式とホームルームを終えると、生雲の名前を呼んで止める声を聞きもせず、鼻息を荒くして一年二組の教室を飛び出した。


 まだ入学初日。新しい場所、新しいクラスメイト。張りつめていた糸がやっと緩んだ。「初めましてよろしくお願いします」というような初々しい挨拶を交わしている教室は騒がしい。これから一年間をともに過ごす仲間たちに目をくれずに、生雲は真っ先に抜け出したのだ。

 右も左もわからなくても、未知なる校内をがむしゃらに突き進む。


 昨日は緊張でなかなか寝付けていない。新しい環境というよりも興奮のせいだ。新品の学ランが、これからまだまだ成長するからと大きめのサイズで、生地が固くて着心地が悪い。加えて入学式。座りっぱなしで長い話を聞かされ続けた。行事ごとに聞かされ歌わされ続ける国歌と初めて聞く校歌。永遠と式が終わらないのではないかと思うほど今日の式典にうんざりしていた。

 たった半日の出来事であったが、蓄積された疲労にどう考えてもコンディションは最悪だ。それでも足取りが軽いのは、ここが憧れていた【羽宮はねみや高校】であることが起因している。


 廊下では家庭科部、書道部と主に文化部の部活が新入生を勧誘すべくあちこちでビラを配ったり声をかけて勧誘している。その様はまるでナンパのようだ、と思いつつも生雲は目的の部活――軽音楽部がないことを確認して突き抜けた。

 新入生の教室は本校舎の最上階である四階。そこから階段を使って一気に一階まで降りる。昇降口には屋外を活動拠点としている運動部の先輩たちが帰路に就く新入生の勧誘に精を出している。


(さすがにこんなところで勧誘はないよね……?)


 軽音楽部といえば、文化部。文化部といえば活動場所は屋内だろう。わざわざ帰ろうとして、外に向かう人を再び校内に引きずり戻すようなことはしないはず。

 生雲は校内に留まることにした。

 下へと降りる際や、登校時に確認した昇降口までの間にあったのは各学年の教室だけである。全学年八クラスあるので、それなりの数の教室だ。

 軽音楽部は音楽の一種なのだから、活動場所は教室ではなく、音楽室かほかの防音室のはず。

 校内の地図を頭の中で組み立てて、他にたどり着けていない場所を思い浮かべる。体育館や武道館は運動部が使っているだろうから、音楽室などがありそうな別棟へと足を向ける。


 教室がある本校舎。その隣につながる特別棟。一階の通路を経由し向かえば、遠くで声が聞こえる程度で人の姿は見当たらない。

 一階の端から端へと歩き、その後ワンフロアずつ上がって同様に音楽室を探す。すると、四階についてやっと音楽室と書かれたプレートが掲げられている部屋を見つけた。

 扉をノックするよりも先に、内側から扉が開き、一人の生徒が現れる。


「あれ? 新入生? うちは今日、体験入部をしてないんだけど……」


 音楽室から出てきたのは先輩とみられる女子生徒。その奥には弧を描くように椅子を並べ、金色に輝く楽器を持つ人の姿が複数あった。

 吹奏楽部で間違いない。

 そう見た生雲だったが、念のために確認する。


「ここって、吹奏楽部ですか?」

「そうだよ。明日からは見学もあるけど、今日はないんだ。ごめんね」


 申し訳なさそうに言う彼女からは、申し訳なさがにじみ出ている。


「ああ……そうなんですね」


 軽音楽部以外には微塵の興味もない生雲。それゆえ出た言葉はひどく平坦なものになった。


「ごめんね」


 呼応して彼女は謝る。決して彼女のせいではないし、生雲が被害に遭ったというわけでもないというのに。

 見るからに肩を落とした生雲へ、どうしたものかと先輩がおどおどし始めたとき。


「あれ? 吹部、お休みだったんですか?」


 高い声が背後から聞こえた。振り返ればそこには別の女子生徒がいる。

 ふわっとしたセミロングの髪。白い肌と大きい目。可愛い部類に入るであろう彼女が身に着けているのは真新しいスクールバッグと制服。学年で異なるカラーの上履きは、生雲と同じ緑色。彼女は生雲同様、新入生であるようだ。


「そうなの。今日まではまだ見学も受け付けてなくて。明日から見学も体験入部もやるから、よかったら明日の放課後来てくれるかな?」

「はいっ、わかりました。お話いただき、ありがとうございました」


 後輩らしく、ハキハキとした礼を伝えて頭を下げる彼女につられて、生雲も小さく頭を下げる。すると先輩はニコリとほほ笑んでから、音楽室へと戻っていった。

 残された同級生二人。初対面の関係かつ、異性同士。会話はない。

 生雲は重い空気に耐え切れず逃げ去ろうとしたところ、彼女が聞いてきた。


「生雲くん……だよね?」

「うん? そうだけど?」


 生雲はさすがに呼ばれてもなお、逃げるような陰湿な人間ではない。むしろコミュニケーション力は人よりも高く持っている。ただ、偽りの仮面を付けることを止めてからは顔や態度にすべて出てしまうだけだ。それがあだになることもあるが、裏表がないともいえる。しかし、今更それを直せと言われても難しい。そもそも直す気はないのだが。

 そんな性分だからか、初対面のはずなのに、なんで自分の名前を知っているのかという不思議そうな顔をしつつ、足を止めて彼女を見た。


「“なんで知ってるんだ?”って顔だね。知ってるもなにも、同じクラスだよ」

「え? そうだっけ? ごめん」


 思考を読まれて驚きつつ、今日一日の記憶を蘇らせる。

 入学式後のホームルームにおいて、四十人のクラスメイトが次々に自己紹介をした。淡々と告げる名前と出身校。仲良くなるためにも絶好の機会でもあり、情報でもあったのだが、生雲の頭は最初から軽音楽部のことでいっぱい。今覚えなくても、次第にわかるだろうとクラスメイトの名前は右から左へと聞き流していたのだ。

 きょとんとする生雲へ、彼女は改めて言う。


「覚えられないよね、あんなにたくさん名乗られても。だから改めて。わたし、小関こせき夏菜なつな。吹奏楽部に入ろうとしてたんだよね? よろしくね」

「どうも。俺、生雲湊介……って、違くて。吹部に入りたいわけじゃなくてさ、ちょっと探してたらこっちに来ちゃったみたいな?」

「違う? 何を探してたの?」

「軽音。どっこを探しても見つからないんだよなあ」


 頭を掻きながら、うーんと唸る。思い当たる場所は探し切った。しかし見つかっていない。もしかしたら、吹奏楽部のように入学式当日は活動しておらず、そのために見つけられないのかもしれない。日を改めるか、教師に聞いてみるぐらいしか方法はない。


「軽音? そっか、羽宮ってWalkerの出身高だもんね。でも」

「でも?」


 歯切れの悪い夏菜に続きを求める。


「羽宮の軽音楽部って、もうないんじゃなかったかな……?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る