第31話 さらに向こうへ
「いい? 開けるよ?」
作間曰く、フルートについては一区切りついたとのこと。なのでこれからは軽音楽部の活動に集中するとのことで、生雲は作間と一緒に物理室の扉の前にいた。
ひとりでは心細く、合わせる顔がないと生雲が嘆くこともあって作間が同行した次第だ。
なんやかんや嘆く生雲の表情がコロコロと変わることに面白がって同行したことも否めない。
「ま、待ってください。心の準備が……」
「んもう。生雲ちゃんの意気地なし。待たずに開けちゃいまーす」
「え、ちょ、ま――」
最早答えなど聞いていなかった。作間はるんるんしながら、扉を開けた。
「遅い」
「お疲れ様です」
先にやってきていた堀。続いて猫塚が挨拶を送る。
「おつー。いやあ、メンゴメンゴ~……ほら、早く」
片手で挨拶をする作間はすぐに物理室に入った。だが、その後ろにいたはずの生雲が続かない。なので無理やり手を引っ張る。
「ま、まだっ……」
「ひえっ! あ、わ。えと。その」
まるでコミュニケーションが取れない恥ずかしがりやな子供のようなことを言いつつ、久しぶりの物理室へ入った生雲。射抜かれそうな堀の視線。同じクラスなのに猫塚からも逃げるように過ごしていたこともあって、居づらさから顔のパーツが中心に集まる。
「あはははは! 生雲ちゃん、変な顔ー! 写真とっとこ」
唯一笑う作間が、何度もスマホでシャッターを切る。
「おい、響。こいつ……」
「えー? 生雲ちゃんのコト? 何にも問題ないよー、だいしょーぶ。俺、生雲ちゃんのこと知り尽くしたプロだから。今の生雲ちゃんは『合わせる顔がないけど、逃げられない、どうしよう』って思ってるだけ」
「はあ? 意味わかんねえ」
「ま、そーいうことー」
ひとしきり写真を撮り終えてから、作間は今度、保護者のように生雲の肩を叩く。まるで言いたいことがあるならいいなさいと言うように。
それが生雲の背中を押した。
「空気を悪くしてすみませんでした!」
腰を直角に曲げて言った声は、物理室だけでなく特別棟全体に響いた。
だが、堀も猫塚も何も言わない。静かということは許されていないということ。生雲は頭を下げ続ける。
黙っている堀と猫塚は許すも何もなかったのだ。堀にとっては「頭を冷やせ」という意味でしかなかったし、猫塚にとっては「自分が何か言う立場ではない」と考えていた。
二人とも謝ってほしかったわけでもないので、今更どうしたらいいのか分からず困惑している。
その空気を遮るのは誰でもない、作間である。
「はいっ、これで暗い空気はおしまい! 平和にいきましょーねえ。んじゃ、練習しよっかねえ。ほら、上手くなったら校内放送ジャックしないとさ。ライブもしたいしねえ。はーい、生雲ちゃん、マイク準備して」
再び生雲の手を引っ張って歩かせる。先に来ていた二人が準備してくれていた機材の中にマイクも含まれていた。
生雲が来ない間も毎日準備していたのだ。
久しぶりにマイクを手に取る。
少し重くて、冷たくて。それが懐かしくて。心は熱くなる。
思いに浸っている間に、誰も何も言っていないものの、堀がイントロを弾き始めた。
アンプが音を広げる。心地よいボリューム。軽やかな音。そこに加わるベースとドラム。
いつもの音――のはずがさらに洗練されて磨きかかった音になっており、生雲は身体が浮き上がるような力を感じた。
そしてみんなの音に上乗せするよう、生雲の不安をかき消した高音が特別棟に響き渡るのだった。
後日、校内には噂が流れていた。
『軽音楽部にプロがいる』
根も葉もない噂。そもそも軽音楽部が存在していたことすら知らない生徒が多数を占めていた中で流れた噂は、どんどん尾ひれがついていく。
当事者たちの耳に入るころには、『今度プロが学校でライブする』という原型のない噂に変わっていた。
「プロって何ですか? 誰がプロ?」
猫塚が噂を聞きつけ、堀に訊いた。もちろん彼も知らないことなので、答えられるはずがない。
「知らねえ。響じゃねえの」
「作間先輩、プロなんですか?」
「んなわけあるか」
「……んもう」
二人の会話はいつだってこんな感じだった。冷めているわけでも、とりわけ仲がいいというわけでもない。だけども、それが二人にとって気楽な形で満足している。
「ライブっていつやるんですか?」
「知らね」
「Walkerの曲、増やします?」
「知らね」
「そういえばそもそも、ネットに動画あげようって話でしたよね。いつ撮りますか?」
「……あいつらに訊け」
あいつら、と指を刺した先では、生雲と作間が言い争っている。
「ですから、ここはゆとりがっ!」
「十分ゆとり持たせてるじゃん? え、もっとなの? もっとなの? 長いってば」
「先輩が早いんですよ。あとちょっとだけ」
「でもさー」
埒が明かない争いの内容は、オリジナル曲の間奏部分について。
一度すべての音がなくなる瞬間があり、その長さについて揉めている。無音の中、先陣を切って鳴らすのはシンバルなので、作間のタイミングで変わってくるのだ。
生雲的には余韻がほしい。けれど、作間は早くしたい。
意見が合わず、揉めていた。
「生雲ちゃんはゆっくりしすぎなの。もっとルンルンしていかないと、あくびでちゃうでしょ!」
「先輩こそせかせかしすぎです!」
「してないしー。普通ですー」
「一呼吸置いたほうが落ち着きますよ!」
子供みたいな言い方で流すので、さらにヒートアップして言い返す。
そのやりとりを、つまらなそうに堀と猫塚が眺めているのだ。いつになったら終わるのかと、見続けていたが飽きが来る。堀が音量を上げ、ギターを構える。
そして耳を裂くように弦を震わせた。
二人の声が音に消され、やっと黙る。
音の主は分かっている。それに怒っていることも音から分かる。
ビクビクしながら二人は堀の方へと顔を向ける。
「揉めるなら俺が決める」
そもそも作曲は堀だ。部長も彼だ。
反論もすることなく、二人は「はい」と小さな声で返事をする。
その様子が面白くて猫塚は笑う。
この中にプロはいない。けれど、揉めながらもよりよい曲に仕上げようとしている。
ゆっくりだけれども、確かに前進しているのだった。
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