第7話 大丈夫ではないんだけども
行動せねば、何も変わらない。
生雲はほんのわずかな勇気を握りしめて、教室に戻ると、人がいないかを探す。
同じ新入生の中から見つけるのであれば、入る部活に悩んでいる人がいい。その方が入部する可能性が高い。さらに、音楽に興味がある、もしくは経験があると猶更いいだろう。最低限の条件を満たすとしたら、軽音楽部へ入部意志さえあればいい。
だが、思ったようにはいかないのが現実。
生雲が戻った時、教室に残っていた人はたったの五人。しかも、そのうちのほとんどが部活の道具を持っている。
バットが入りそうな長い筒、有名スポーツメーカーのロゴが入った大きなエナメルバッグ、シューズが入っていそうな袋、楽器が入っていそうなケース……それらを持つ人が何部を希望しているのか容易に想像できる。
そんな彼らを勧誘はできない。
「はあ……まいったなぁ」
溜息交りの小さな声でつぶやいた。すると。
「何がまいったの?」
「わ! え、えーっと、昨日の人?」
「そだよ。小関夏菜。まーた落ち込んでいるね? 軽音部、見つかった?」
生雲の隣に立って声をかけてきたのは、先日吹奏楽部の前で出会ったクラスメイト、夏菜だった。
彼女の肩には、楽器が入っていそうな小さく黒いケースがかけられている。これから吹奏楽部の見学に向かうところのようだ。
「見つかった、見つかったよ。見つかったけどねぇ……人が足りないみたい」
「人が? 部員がってこと?」
「うん。部活にするにはあと二人必要らしくて。その人集めを任されて途方に暮れてるとこ」
「あーなるほど……」
端的に言ったところ、夏菜は汲んでくれた。
愚痴っぽくなってしまったが、口に出すことで幾分か晴れた気持ちになる。
「ごめん。こんなこと言われても困るよね。じゃ、俺、どうにか人探してくるから」
疲れも落ち込みも全部覆い隠し、笑顔を作る。いい人を演じるのは得意だ。何事もなかったように振る舞い、置いてきぼりになっていた自分の荷物を取る。他の教室を見て回ろうとしたのだ。
「待って、生雲くん」
「ん?」
引き留めたにも関わらず、夏菜はバッグからスマートフォンを取り出して、何か操作する。
「あのね、私の友達にね。音楽に、ううん。楽器に詳しい子がいるの。その子の周りだったら楽器できたり、興味がある人がいるんじゃないかな。あ、こっちに来るって」
屈託のない笑顔でこちらを見る彼女に、今更「遠慮しておくよ」などとは言えない。彼女はかなりの世話焼きなのだろう。彼女の中では、人助けをしているに過ぎないのだ。
「小関さんには友達が多いんだね」
生雲は複雑な気持ちを押し殺し、得意の笑顔の仮面を身に着けて言う。
「そうかなあ? その子はずっと仲良しなんだ。だから、なんでも相談しちゃう。相談されることもあるしね。生雲くんにはそういう友達いないの?」
「ちょっと思い浮かばないかな」
今まで上辺だけの関係を築いてきた。心を完全に開いた友はいない。もしそんな存在がいたのなら、ここまでねじ曲がった性格になって、嘘つきになることはなかった。
彼女のことが羨ましいのと同時に、憎くなってくる。その感情を理解したとき、彼女の目が生雲の背後に向けられていた。
「あ、来た来た。
振り返ると、そこには平然と眉ひとつ動かさない女子生徒がいた。
清々しさのある立ち姿。黒いショートヘアは真っ直ぐにそろえられており、涼し気だ。少しツリ目な瞳は夜のように深い色をしており、見抜かされそうで思わず生雲は分厚い笑顔の仮面を崩さないよう警戒する。
「この子が
「ども。それで? 夏菜に呼ばれてきたけど、なに?」
夏菜を太陽とするなら、波留は月。そんなイメージを抱くほどに、対局な二人。
波留の動じない様子にふと、部長の堀の姿が頭をよぎった。
「波留ちゃん楽器詳しいから、軽音楽部どうかなって? もしくは興味ありそうな子とかいない?」
「興味?」
「うん。お店に来てるとか、話をよく聞くとか」
「んー……ああ、あの人、よく来る」
波留が指し示した。その先を目で追っていくと、ひとりの生徒が猫背のまま静かに周囲の雑踏に気を留めることなく帰り支度をしている。
猫塚だ。
三人がじっと見ていることに気が付いた彼は、戸惑いながらも小さく会釈して見せる。
「猫塚くん。ちょっとこっちに来て来て」
夏菜は躊躇いなく、猫塚を手招きして呼んだ。入学初日の簡単な自己紹介で、クラスメイト全員の名前を憶えているのだろう。持前の明るさに引き寄せられるかのように、猫塚はやってくる。
三人のそばに来れば、彼の背が高いためにみな見上げるように上を向き、反対に猫塚は顔を下に向けて窮屈そうだった。
「僕に用事?」
「うん。猫塚くんって楽器屋さんによく行ってるの?」
「え、まあ、そこそこに? 姉の付き添いで」
夏菜の唐突な質問にも猫塚は素直に答える。
「へえー。部活はもう決めた?」
「ううん。まだ何も。悩んでいるところかな。バイトもしたいし」
「そうなんだ! じゃあさ、軽音部なんてどう? 生雲くんが人集めしてるんだって」
「えっ」
あまりにも率直すぎる夏菜の勧誘に、猫塚の声が上擦った。生雲もまさかこの流れで言うとは思ってもおらず、ぎょっとする。唯一彼女と親しい波留だけが、表情を崩さない。
「羽宮ってWalkerの母校だし、よかったらどうかなーって。楽器屋さんに行ってるなら、興味あるかなって思ったんだけど」
かつてないスピードの勧誘。生雲だったらこれに対してどうにか相手を傷つけない言葉を考え抜いて絞り出してから断る。後腐れないように対応するのは困難であるが、これからの高校生活を握るかもしれないというのに、素直に頷くことはない。だが猫塚は。
「うん、いいよ。僕でよければ」
即答だった。
糸目をさらに細くして答えた彼に、まるで時間が止まったかのようにシンとする。
まさか了承するなんて。
もっと考えてから答えを出すべきでは?
メリットとデメリットを踏まえて、本当に入るべきか悩んでもいいだろうに。どうしてこんなにすぐ入ると決めたのか。何か裏があるのではないか。もしかして、誘った夏菜に気があるからでは? だとしたら誤解を解かなくては。でもそれで部員が足らないことになったら嫌だし……。
「えと、何したらいい? 僕、楽器はあんまりやったことないけど大丈夫? おーい、生雲くん? おーい」
「わ、ごめん。まさかオッケーもらえるとは思ってなくてビックリしたから」
生雲は眼前で手を振られて、やっと我に返る。
「驚かせてごめんね。それで、僕は何したらいい? 楽器も持ってないし、どうしたらいいのかな?」
「えと、大丈夫! 俺も楽器やったことないから!」
無駄に自信満々で胸を張る生雲に、再び場の時間が止まったのは言うまでもない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます