第4話 自分のためでもあって
翌日の生雲の頭の中は、相変わらず軽音楽部でいっぱいだった。
担任教師の話は聞こえているが頭に入らない。隣の席の女子があれこれ話しかけてくるも、上の空だ。生返事を返すのが続くと流石に生雲に声をかけようともしなくなる。
白い目で見られ、煙たがられる。
生雲がもっとも嫌う視線であったが、いっぱいいっぱいになっていて、その目に気づいていなかった。もし気づいていたのならば、気が動転してはがすことのできない偽りの仮面を何枚にも重ねることになっていただろう。
ひたすらに考え込む今が、素の生雲だ。
考えることはただひとつ。
『どうすれば軽音楽部の先輩は戻るのか』
いや、戻らないとして新しく部員を集めるべきか。しかしそれではあまりにも勝手がわからなさ過ぎる。せめて今までの活動について確認できれば。でもそうしようとしても、先輩は何も語らないだろう。ならば顧問の先生に訊く? あの先生主体でやっている気がしないが……。
生雲が悩み考え続けるうちに、いつの間にか放課後を迎え、クラスメイトたちは散り散りになっていた。それにも気付かぬまま、時間が過ぎていく。
今のままでは変えられない。変わらない。
憧れが手の届かない場所に消えてしまうのではないかという不安で、異様なオーラを放っていた。
そんな生雲にゆっくりと近づいていく姿がある。
「生雲、くん?」
「……」
「生雲くん」
「へ? え? 呼んだ?」
肩をたたかれてやっと生雲は呼ばれていたことに気が付いた。
生雲を呼んだのは、開いているのかわからないくらい細い糸目に長身の男子生徒。座っている生雲が顎を真上にあげないと顔を見ることができないほどの背ではあるが、見た目とは裏腹におっとりとした優しい声をしていた。
「うん。生雲くんをさっきからずっと見てる先輩がいて。生雲くん、気づいてなさそうだったから」
ほら、あそこに。と指し示す先を見れば、昨日会ったばかりの先輩――作間と目が合う。すると作間ははち切れんほどに大きく手を振って生雲を呼んでいる。
「ホームルーム前からちらちら見てたよ。行った方がいいんじゃないかな?」
「だね、ありがとう! ええっと……なんとかくん!」
「ふふ、僕は
小さく手を振る猫塚に別れを告げ、生雲は急いで作間のもとへと向かう。
「やっほー、昨日ぶり。変わり者ちゃん。名前もクラスを訊きそびれちゃったから探すのに苦労したよー」
「はっ! そうでした。俺――」
「それはもう訊いたんだよねぇ、さっきの糸目ちゃんに。ね、変わり者の生雲ちゃん」
「ちゃん付け……」
糸目が猫塚のことだというのはすぐわかる。それよりも気になるのは呼び方だ。誰でも、男でも。ちゃん付けの呼び方なことに、気を取られてポツリとつぶやく。
「まあまあ、呼び方なんてどうでもいいんだけどさ」
いちいち反応するなというように言う作間は続ける。
「生雲ちゃんはさ。軽音部、入りたい?」
「はい!」
「じゃあさ、ちょこーっとお手伝いしてほしいんだけど」
「手伝い?」
相槌を打つように繰り返す。軽音楽部に入りたいこととなんの関係があるのか。
「そ。昨日の俺たちを見て薄々わかったかもしれないけど、俺、智哉の退部届を持ってるんだよね。でも、提出してない。なんて言ってもやめてほしくないからね」
作間の長い人差し指が上に突き立てられる。
「そこでだ」
真剣なまなざしで、作間は姿勢を正すとおもむろに頭を下げた。
「お願い。智哉を、軽音に引き戻す手助けをしてほしい。なーんてことはないよ。バンドが、音楽が楽しいってことを思い出させてやればいいんだ」
生雲の心臓が強く鼓動した。
会ったばかりの人に頼まれて、それをこなすことができるのかという疑問が残る。
それでも、軽音楽部のため、しいては自分のためにもなるので、この人の期待に応えたい。
やりたかったことをやるために、憧れに近づくために、軽音楽部に入部しなければ。きっとこの手助けは、自分自身の物語の第一歩であり、最も重要な出来事になるはず。今後の生活に大きな変化が生まれるのだ。
答えは決まっていた。
「もちろん、俺にできることならなんでもやります」
生雲は言った。
「ホント? 助かる~!」
顔を上げた作間は目尻にシワを作るほど笑顔だった。さっきのが演技だったのではないかと疑う程の笑顔だ。
いや。きっとこの人は、全てが演技なのだろう。本当の顔は見せない。けれども、信用出来ないほどの言動でもなさそうだ。
人の観察が得意な生雲でも、本当の姿が見抜けない人がいることに驚きはしたが、顔には出さなかった。
「でも何をするんです? 俺にできることって?」
「ん~、まずは作戦会議だよ。善は急げだ。それじゃ、早速行こうか!」
「へ? どこに?」
「ヒ・ミ・ツ!」
「ええ!? あ、ちょ、階段……あっぶな」
「足元気を付けてねー」
「言うのおそっ!」
生雲は手首を掴まれ、ぐいぐいと引っ張られる。行先もわからぬまま連行されていく。学年も異なる凸凹コンビの組み合わせは奇妙であったものの、部活動勧誘に忙しい時期のため、大きく目立つことはなかった。
二人は階段を降り、特別棟へ。
作間はそこの一階にある物理室の扉を勢いよく開ける。
五、六人がひとつの机を共有するように、固定された大きな机が寂しく並んだ無人の物理室には、閉め切っていたせいでジメジメした空気が肌にまとわりつく。
「ほーら、座って座って」
作間は手前の席に座ると、隣に座るよう促す。なので生雲は作間と隣り合うように座るのだった。
それにしても、どうして物理室なのか。まだ授業も始まっていない生雲にとって、初めての物理室だ。前方には大きな黒板は上下の二面式になっていて、長年の落としきれない汚れや傷が歴史を感じさせる。後方には、資材を並べている棚と共に、大きな何かに布をかけて置かれている。
廊下とは反対側に窓があるものの、そこから人の姿は見えない。あまりこの近くを通る人はいないようだ。
すべてが新しいものばかりで、きょろきょろと見渡していると、隣で作間がクスクス笑っていた。
「どう? 静かで人もいない、いい場所でしょ?」
「いなさすぎ、って気もしますけど?」
「まあね~。でも、ここが軽音楽部の正式な練習場所だよ」
「え? ここが?」
「そ。ここが」
まさか。
物理室は防音構造になっていないはず。それに軽音楽部なのに、どうして音楽と関係のない物理室なのか。疑問は浮かんだが、言葉にはしなかった。
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