27  真相


「見回りに行ったら息していたぜ? だから、出過ぎた真似かもしれねーけど、医療院に連れて行ったんだ。いくら罪人とは言え、死にかけた命を見過ごすわけにはいかねえ。おれたちにそんな権限はないからな。なあ、よかったろう? 天使さんよう。こいつの証言、あったほうがさ」


 老虎はにんまりと笑みを見せた。それとは対照的にマジェスティは表情を険しくさせた。彼の瞳の色が濃くなる。その瞬間。少年の前に黄金色の魔法の防御壁が現れた。大臣席に視線をやると、エピタフが立ち上がり、口元に指を立てていた。


「いけませんね。マジェスティ殿。この少年は貴重なる証人です。何人たりとも、介入することはできません」


「ち、なにを。私はなにも」


「いいえ。貴方は今、彼の意識に働きかけようとしていました。私の目はごまかされませんよ」


 そこでサブライム様が口を開いた。


「裁判長。この少年は医療院で保護した時、何者かが意のままに操れるように催眠状態にされていたそうだ。この者にかけられていた術は医療院で解除してある。彼は真実を述べてくれることだろう」


 マジェスティは憎々し気にサブライム様を見つめていた。法廷内には不穏な空気が流れていた。傍聴席にいる者たちも息を潜めているようだった。


 ディグリーは「わかりました」と頷いた。それを受けて、老虎は少年を僕の隣まで連れてきた。


 彼がちらりと僕を見下ろした。僕も彼を見返した。彼の瞳は深い闇のような色をしていたけれど、その中に見て取れるのは光。


「術にかかっていたとはいえ、嘘を言っちまったって後悔しているみたいだぜ。な、兄ちゃん」


 老虎は少年の肩に手を置いた。彼は小さく頷く。ディグリーは「それでは、まずお名前を教えてください」と言った。


「私の名前はアドアと申します」


「どういう経緯でここに来たのですか」


「私の生まれは西部にある犬族の村でございます。数か月前、村にカースの使いという者がやってまいりました。その使いは、村から王都を攻める兵士を出すようにと言いました。族長は乗り気ではなかったのですが、協力しないと村人をすべて殺すと脅されました。それでは致し方ないと、村から寄せ集められた数名が戦争に参加することになったのでございます。その中の一人が私でした」


 彼は淡々と語った。少年の言葉にしては、少々堅苦しいような、丁寧な物言いだった。


「私の姿は見ての通り、犬とは言え、尾も細く変わった犬種でございます。祖先は、死の使いとも言われ、死者の門の番人をしていた頃もあると言われておりました。ですから、私は、仲間たちから好ましく思われておりませんでした。不吉なる存在だと言われて。そのため、戦いを機に村から追い出されたのだと思います。


 私は戦いに駆り出された仲間たちと一緒に、最前線に向かいました。仲間の大半は死者の門を潜りましたが、私は幸か不幸か助かりました。しかし、村からは追い出されるようにされた身でございます。村には帰ることも叶わず、あれからずっと、王都をさまよっておりました。そんな時に、声をかけてくださったのが、月の神殿での王暗殺未遂事件の中心人物である黒兎の獣人でございます」


 法廷は彼の語る言葉に耳を傾け、しんと静まり返っていた。


「彼は私に、こう言いました。『我々は崇高なる仕事を成し遂げる仲間だ』と」


 そこでマジェスティが声を上げた。


「この者の言うことに耳を貸してはなりません」


「いいえ。偽りは申しません。私はヘイディズに誓って見聞きしたことをここでお話しております」


 スティールは口を挟んだ。


「彼の証言を信じ、今回の一件を騒ぎ立て始めたのは貴方ですよ。彼の証言を信じないということは、そもそもが覆されます。それとも、彼を催眠状態にしていたのは貴方だった——とでもいうのではないでしょうね? まさか。天使が。無実の少年に危害を加え、術までかけ、そして我々の国の大臣を罪に陥れようとしていた。なんて、ことはありえませんよね? マジェスティ殿」


 マジェスティは押し黙って、椅子に座り込んだ。「続けてください」とスティールはアドアを促した。


「貴方は黒兎の獣人の誘いを受けたのですね?」


「そうです。今日食べるものにも困るくらいでしたから。なんでも構わないと思ったのです。ですから、その黒兎の獣人について、彼のアジトに行きました」


「そこでなにを見ましたか」


「たくさんの獣人たちが集まっていました。種族はバラバラです。どの獣人たちも、私と同じ状況のようで、これからなにが起きるのかわかっている者は一人もおりませんでした。しばらく待っていますと、そこに天使が一人、姿を現しました。彼は言いました。『世界の安寧のために、お前たちは集められた。お前たちには崇高なる使命が課せられたのだ』と。それから、黒兎の獣人に悪魔を授けていました。頭のてっぺんに炎が灯っている悪魔でございます」


 法廷内が騒然となった。


「嘘だ。すべて嘘。今度は、お前たちがその者を操っているに違いない」


 マジェスティは声を上げる。しかし、スティールは首を横に振った。


「お見苦しいですぞ。マジェスティ殿。彼は自らの意思でここに立つと言ってくれたのです。その気持ちに嘘はない。貴方たちみたいに、力で従わせるのが正義だとでもいうのですか」


 マジェスティは「く」と悔しそうに顔を背けた。スティールは黙って歩いていくと、マジェスティに手を差し出した。


「その銀の箱を。ビフロン伯爵をここへ」


「それはならない」


「いいえ。彼の話も聞いてみましょう」


「しかし——」


 スティールはディグリーを振り返った。


「裁判長。お願いします」


「認めます。マジェスティ殿。この場は法廷です。我々裁判官が一切のルールでございます。これは世界会議でも取り決めされているルール。被告人は同族によって処罰される。そのための法廷では、他種族が干渉することはあってはならないというルールです。もし拒否するというならば、法廷からの退室を指示いたします」


 スティールは「だってさ」と言って彼の手から銀色の箱を取り上げた。


「さあ、出ておいで。ビフロン伯爵」


 悪魔の臭気が再び、法廷内を満たす。じんわりと緩やかに。僕にとっては心地のいい空気だけれど、傍聴席からは悲鳴にも似た声が洩れていた。


 漆黒の臭気の合間から、うすぼんやりとした橙色の炎が揺らめいて見えた。そこには、銀色の鎖でからだを拘束された彼がすっくと立っていた。彼は賢い。大人しくしているのだろう。アンドラスみたいな目に遭わないのはそのためだ。


 僕はアンドラスを見る。彼はじっと目を閉じて動かない。まったく手の焼ける奴だ、と思った。


「ビフロン伯爵ですね」


「いかにも」


 彼の声はしゃがれていて、聞き取りにくい。


「お前に聞きたいことがある。お前はここにいるグレイヴと契約をする前、誰と契約をしていた?」


「誰と契約をしていたかは、答えぬことになっておるが」


「じゃあ、質問を変えようか。黒兎の魂は美味しかったかい?」


 スティールは口元を上げた。伯爵は半分閉じられている瞼をそのままに「食するに値せぬ魂だったな」と答える。


「どうしてそんな魂の持ち主と契約を? お前の流儀に反するのではないか」


「然り。ただし、そんな魂でも集まればそれなりに腹を満たすもの」


「集まれば……」


 少年はそこで声を上げた。


「私たち……あの場にいた者たち、全ての魂を引き換えに手を貸したということだったのですね」


 ビフロン伯爵は少年を見て「然り」と答えた。


「じゃあ、結局は食べ損ねたんだね?」


 スティールは笑う。ビフロン伯爵は「然り」と答えた。


「これで合点が行くでしょう。あの黒兎の獣人はとても伯爵と契約ができるような能力はなかった。けれど、そこに天使が仲介することで、契約条件が大幅に書き換えられたというわけですね。マジェスティ殿。その天使をご存じなのではないでしょうか」


 スティールはすかさず少年の肩に手を当てて囁く。


「ここにその天使はいるかい?」


 少年は小さく。しかし、確かに頷いた。

 彼はあの時。謁見の間で僕を指さしたように、マジェスティの隣にいる部下の一人を指さした。


「金髪で、水色の瞳。そして、少し左右の羽の大きさが少々違っています。間違いありません。あの方でございます」


 みんなが一斉にマジェスティの隣にいた天使を見た。彼は眉一つ動かさずにじっとそこにいた。アンドラスに剣を突き立てたそいつを、僕はじっと見つめた。




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