13 ビフロン伯爵


「お前たち——」


 サブライム様は細身の愛刀を抜く。アフェクションも続いてそれに従った。僕は慌ててカラの元に駆け寄った。彼はかなりの深手を負っているようだったが、まだ息はあるようだった。


「王様の視察だってよ」


 先頭にいた狼の獣人は、錆びついた大きな剣を肩に担ぐように持ち、舌なめずりをした。


「王様がノコノコやってきたぜ~。平和ボケしている証拠じゃねーか。待っていたぜ。この時を」


「罠か」


「みんな呑気過ぎて反吐が出るぜ。戦おうぜ。こんな平和な世の中、おれたちは望んじゃいねーんだよ」


 狼の獣人に呼応するかのように、後ろにいた獣人たちも騒ぎ始める。


「まあ、待て。お前たちの望みは混沌か? ふるさとをも巻き込んでの戦禍を再び巻き起こしたいとでもいうのか」


「おれたちは、みーんな腹空かせてんだよ。毎日、食うものも困るって話さ。なあ、みんな」


「そうだ、そうだ」と獣人たちからは同意の声が上がった。僕はその間に、カラや、周囲に倒れていた騎士たちに治癒魔法を施す。エピタフほど強力にはできないけれど、止血くらいはできる。サブライム様は、時間稼ぎをしてくれているようだった。


 しかし、それは長くは続かない。苛立ちを募らせた獣人たちは、雄叫びを挙げたかと思うと、一斉に切りかかってきた。その数、百はくだらないだろう。


 僕は口元に指をあてると魔法を発動させる。獣人たちの目の前に漆黒の池が出現した。獣人たちは足元を取られ、そしてゆっくりとその闇の沼に沈み込んでいく。


「なんだ、これは!」


「うおお。飲み込まれるぞ」


 アフェクションは口笛を吹いた。現場近くで待機していた騎士団への合図だ。僕の沼を飛び越えてこちらに飛びかかってきた獣人を、サブライム様は軽快にさばく。アフェクションも応戦していた。


「王!」


 騎士団が到着すると、そこはあっという間に混戦に陥った。王を守るという使命があるのだ。僕も剣を抜き応戦した。


「一体、なんなんじゃ。これは」


 シマリス博士が地上へと顔を出す。


「ダメです。出てきちゃ!」


 彼は地上の様子を認めると「これはやばい」と言って、顔を引っ込めた。それを見ていた獣人たちが、神殿への入り口目指して襲い掛かる。僕はその場で剣をふるった。


 ピスの剣術指導は厳しくて。いつもサブライム様に打ち負かされて泣いていた。けれど、こういう場面ではとっても役に立つ。力推しの獣人たちの太刀筋は荒く、僕でも軽々と受け流せるものだった。


「こいつ。ちょこまかと。陰気な野郎め」


(仕方ないじゃないか! 失礼しちゃう!)


 熊族の獣人が、僕めがけて斧を繰り出した。身を翻しそれを避けると、斧は地面に突き刺さった。僕はそれを足場に空中に飛び上がってから、彼の背後に回る。


「くそー」


 斧が抜けずにいる熊族の背後から、衝撃の魔法を一つお見舞いすると、彼はあっという間のその巨体を地面に沈めた。


 だが、休んでいる暇はない。次から次へと獣人たちは襲い掛かってくる。


「王は……」


 サブライム様は、まるでダンスでもするかのように、軽々と身を翻して獣人たちを倒している。数では圧倒していたはずの獣人たちは、いつしか僕たちに押されて、森へ森へと後退していった。


 やれる。そう思った瞬間。不意に、獣人たちが一斉に退いた。これは——。


(なにか来る!)


「サブライム様、アフェクション、退避してください!」


 そう叫んだのも束の間。そのぽっかりと空いた場所に空からなにかが降ってきた。ものすごい速さで、風を切って。固いものが擦り合うような、老いた動物の断末魔のような、耳を塞ぎたくなるような悲鳴にも似た音が周囲に響き渡った。僕は思わず顔をしかめて身を屈めた。


 空から降ってきた細長いそれは、寸でのところでスピードを落とすと、地面すれすれのところえ止まった。


 頭は橙色の炎が燃えている。髪の毛が炎みたいに燃えているのだ。それから、生気の感じられない蒼白な細面の顔には、半分閉じられた瞳がある。その瞳は、灰色の冷たい冷たいものだった。彼は妙に長い腕を広げて、そこに浮いていた。これは。この存在は——。


「ビフロン伯爵……」


 僕が呟くと、「そうだ。その通りだ。グレイヴくん」という声が周囲に響き渡った。さっきまで、青々としていた空は、今やどす黒い雲に覆われ、まるで夜みたいに闇に包まれている。


「お前たちグレイヴ家が好んで契約をする伯爵は、このおれがもらい受けたのだ!」


 獣人たちの中から、一人の男が前に歩み出てきた。彼は漆黒の兎の耳を垂らした、やせこけた男だった。耳と同じ漆黒のマントに包まれ、その姿はカースそっくりだった。


「お前は、いったい……」


 サブライム様の問いに、男はにやにやと気味の悪い笑みを浮かべていた。


「私はカース様の思想を受け継ぐ者。私はラッキーだな! ここで王の首をもらい受ける予定だったけど。なんと! 死者の門の鍵がもれなく一緒に手に入るのだ! こんなラッキーなことはないではないか」


 彼は一人で高らかに笑っていた。しかし、仲間たちで彼の言っていることを理解出来ている者はいないようだ。後ろにいた獣人たちは顔を見合わせて首を傾げてばかりいた。


 男は配下たちをきっと睨みつける。すると、隣にいた、犬族の男が「その通りっすね」と答えた。


「どうやら、仲間からの信頼はないみたいだな」


 サブライム様は笑った。男は険しい表情を見せた。


「バカにしやがって。おれが王になるんだ。この国の王の座はおれがいただく」


「そうか。くれてやってもいいぞ」


「え!」


 サブライム様はにっこりと笑みを見せると、「そんなわけなかろう」と言って、肩にぶら下げていた弓を射った。弓は男の服を巻き込み、そばの木に突き刺さった。男は磔にされた状態で唖然としていた。アフェクションが笑いを堪えているのがよくわかる。


 けれど。僕には笑えない。あの男はビフロン伯爵を従わせたのだ。それだけの力が、彼にはあるということ。侮れない相手だと思った。


 男の意識がサブライム様たちに向いている間に——。僕は指を口元に当てて魔法の発動を試みた。しかし。視界がぐにゃぐにゃと歪んで立っていることがままならない。


(始まっていたんだ。伯爵の幻影が……もうすでに、始まっていた!)


 後悔しても遅い。視界が歪んだ。


 ビフロン伯爵の幻影術は、人間と妙に相性がいい。人間の欲から生まれた存在だからだ。もちろん、他の種族にも効くが、人間でこの術を打破できた者はいないという。恐ろしい術だ。まさか、この術に自分がかかるとは思ってもみなかった。


「サブライム様……」


 彼に手を伸ばしても、無駄なことはわかっている。サブライム様もアフェクションは地面に突っ伏している。かくいう僕も、もう立っていることがままならない。膝を地面につき、そしてさらに支えていた腕も折れた。


「油断したな。ビフロン伯爵が地上に姿を現したときから、術は発動している。幻影地獄に陥ろ。お前たちに未来はない」


 男の言葉が微かに聞こえてきたかと思うと、僕の意識はあっという間に闇に落とされていった。






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