12 襲撃


 月の神殿とは、王都の中心部から少し離れた森の中にあった。カースとの戦い以前は、その場所には空まで届きそうな塔が建っていた。太陽の塔と呼ばれた建造物だ。


 太陽の塔は、神を祭るために建てられていた塔だった。神と取引するため、少しでも神の居場所に近づこうと、高く、高く、より高くと建造が続けられてきた。しかし、それもカースとの戦いで破壊され、無残にも崩れ落ちた。


 太陽の塔の崩落は、国中に衝撃を与えた。聖なる存在としてのシンボルだった塔が崩れ落ちた。これは不吉なことが起こる前兆だとか、国は亡びるとか。そんな噂が流れたのだ。 


 しかし、その跡から出てきたのが、この月の神殿だった。禍々しい存在であった、カースが千年もの間眠っていた場所だ。


 この神殿は地下に作られているため、太陽の光が当たらない。地上の騒々しさから離れ、静かに死者に思いを馳せる場所として、こんなに最適な場所はないと思ったのだ。


「出来上がったら、お前の管理下に置くことにするぞ。エア」


 サブライム様はそう言った。彼は白馬にまたがり、輝くばかりの笑みを見せていた。


「ありがとうございます」


「そう畏まることはない。一緒に剣術を習った仲ではないか」


「しかし……」


 言葉を濁すと、サブライム様はさらに笑って見せた。僕たちは馬を並べて歩く。


「先日の会議で、アンドラスと出会ったそうだな」


「あの悪魔を、知っていらっしゃるのですか?」


「ああ。知っているとも。やつは平和な世には不用な悪魔だ。何故、お前は悪魔と契約をしない。グレイヴ家は代々懇意にしている悪魔がいるはずだ」


「そ、それは。申し訳ありません」


 僕は慌てて頭を下げるが、彼は「責めているのではない」と笑った。


「いつか尋ねてみようと思っていたから、ちょうどいい機会だ」


「タシットにも怒られます。けれど。お恥ずかしい話ですが、……僕は悪魔という存在が怖いのです」


 王様にこんなことを言ったら怒られるだろうか。呆れられるだろうか。大臣を解雇されたりはしないだろうか。不安になった。けれど、サブライム様は大きな声で笑った。これは呆れられた。そう思った。だが。


「お前は正直者でいい。昔からそうだ。嘘偽りない。自分の気持ちに正直。いいのではないか。それはそれだ。人の真似をしてもいいことはないからな」


「……悪魔と契約しろとご命令されないのですか?」


「するものか!」


 サブライム様は豪快に笑い続けていた。ひとしきり笑うと、彼は僕を見た。


「確かに悪魔の力は有益だ。あのエピタフでさえ悪魔と契約をした。あいつだって、つい先日までは悪魔のことを毛嫌いしていたのに。今ではすっかり悪魔を使いこなしているようだ。けれど、強い力は時に我が身をも滅ぼす可能性がある」


 悪魔と契約をした魂は、死者の門を潜ることは許されない。父の魂は、今でもビフロン伯爵とともにある。それは、僕の考えている摂理に反することでもある。だから怖いのだろうか。


 そんなことを考えていると、ふとサブライム様が言った。


「お前にも、そういう場面が来るのかもしれない。その時、契約を交わすか、拒むかは自らの気持ちしだいだ。自由にしておけ。おれは大臣たちを面倒なもので縛るのは嫌なんだ」


 タシットは僕をルールやしきたりで縛りつける。僕を守ってくれるためだということは理解しているけれど、やっぱり窮屈に思えることも多い。


 それに引き換え、サブライム様は、昔から、剣技や遊びのルールなんて関係なし。自由奔放で、しきたりなどには縛られない。今回だってそうだ。獣族との和解。今までの王が成し得なかった、本当の意味での平和を手に入れたのは、彼のおかげだ。


 僕は「ありがとうございます」と頭を下げた。


 月の神殿が見えてきた。現在は復旧作業が行われている。技術者たちが汗水垂らしながら、からだを動かしているのが見えた。


 少し小高いところにあるテントで図面を見ていた男が、僕たちの到着に気がついたようで、小走りに駆け寄ってきた。


「お待ちしておりました! 現場を任されておりますカラです」


 彼は僕たちの前で直立した。サブライムは満足そうに頷くと、馬から降りた。僕や、騎士団長のアフェクションも真似て地面に降り立った。


 アフェクションは、連れてきた騎士たちを、現場の近くで待機するように指示を出していた。


「進捗状況は?」


「は。おおむね順調であります! ただ、気になることがありまして」


 カラは大きく頷いてから続けた。


「日没後、こちらの様子を伺う不審な人影を見たと言う報告がいくつか上がっております」


 サブライム様は「ふうん」と顎に指を当てた。


「ここはカースにとっての聖地でもある。奪還しようと狙っているのかもしれないな。アフェクション、スティールが戻りしだい、森狩りだ。潜んでいる者たちを一網打尽にしろ」


「承知いたしました」


「カラ、それまでは無理はするな。日没とともに作業を終えるのがよい」


 サブライム様は二人に指示をすると、そばにある入り口から、月の神殿へと降りて行った。


 僕とアフェクションもそれに続いて地下へと降りて行った。


 かなりの長さの階段を降りていくと中は、照明器具などは一切ないというのに、仄かに青白く輝いていた。この建造物が光っているのだ。どうやら、この神殿を構成しているこの石には特別な魔力が込められているらしい。


「千年もの間、こうして神殿は魔力を秘めたまま静かに眠っていた。不思議な場所だな」


 サブライム様の言葉に、僕も同感だった。この場所に来るのは二度目。けれど、いつ来ても厳かな気持ちになる。


 千年前、先代の歌姫がカースの魂を抱き眠りについた場所。歌姫の思いがこの場所に安寧をもたらしているのかもしれない。


 神殿内は、崩れ落ちた場所の修復作業が行われている。天井からつり下がった箱に乗っている者もいれば、梯子をかけている者もいる。


「おや。博士じゃないか」


 サブライム様が、ふと嬉しそうな声を上げた。


 梯子に上っていた男は、ゴーグルを外すと、こちらを振り返った。黄色の上下繋がっている薄汚れた服の後ろからは、ふかふかのしっぽが見えた。


「王様じゃないか。こんなところまで、わざわざ視察にお出ましか?」


 彼は素早い動きで梯子を降りたかと思うと、僕たちの目の前に立った。


 身長は僕よりも小さい。けれど、ピスくらいの年齢だった。しわくちゃの顔と、白い髪。口元には白い髭が生えていた。


「遅れていると聞いてな。復興のシンボルとして、早く稼働させたい。もう少し早められないか」


 サブライム様を見て、シマリスの博士は「無茶言うな」と笑った。


「そんなに言うなら、森に隠れている奴らを始末してくれ。みんな怖がっていて、日が暮れると仕事にならん」


「博士でも残党の始末は難しいと見える」


「私は科学者であって、兵士ではない」


 彼は「がはは」と笑った。サブライム様は僕を見下ろした。


「どうだ。使えそうか」


「もちろんです。出来上がりましたら、慰霊祭を執り行いたいと思っております」


「そうだな。それがいい。たくさんの犠牲が出た。人間にも、獣人にも。ヘイディズには世話をかけるが、正しく魂を導いてもらうことが一番だ」


「その通りでございます」


 僕は頭を下げた。すると突然。外から悲鳴と轟音が響いてきた。それと同時に、神殿が大きく揺らぐ。


「なんだ!?」


 サブライム様はすぐに駆け出した。アフェクションも続く。僕もそれに続いて地上への階段を上った。


 すると。そこには、たくさんの獣人たちが剣や槍を握って立っていた。現場監督のカラが血の海の中に倒れているのが見えた。カラだけじゃない。地上にいた者たちが、すでに何人か切りつけられていたのだ。



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