11 心
執務室に入ると、開口一番にピスは「王が月の神殿への視察に出かけることになった」と言った。
「月の神殿、ですか?」
ピスは「そうだ」と頷いた。月の神殿とは、カースが眠っていた神殿でもある。今回の戦いでは、最終決戦の場にもなったところで、かなり損傷が激しい。その場所を再建すると言い出したのはサブライム様だった
カースという怨念が眠っていた場所だ。月の神殿は封印してしまったほうがいいという意見が大半の中、サブライム様は敵であるカースの魂を弔いたいと言った。
僕はその意見に賛同した。彼のしでかしたことは災厄としかいいようがない。国内に戦禍の火種をまき散らし、混乱に陥れた。そのせいで失われた命は数えきれないほど。けれど、彼もまた、悲しき思いに囚われた一人の男に過ぎない。
どんな魂であれ、然るべき扱いを受ける。そして、その魂は来世へとつながり、きっと前世の罪に報いるはず。僕は考えは、例え相手がカースであっても変わらないものだった。
月の再建は、古の技術研究所のシマリス博士の指導の下に進められていると聞いている。そこの視察に行くというのだ。しかし、よりにもよってこの時期。国内が騒々しく、大臣たちは方々に駆り出されている。
僕はピスを見つめる。すると彼も同じ気持ちなのだろう。溜息を吐いた。
「こうも国内が騒がしいのは珍しいことだからね。王には、視察は延期されるようにと上申しているのだが。お前もわかる通り、言うことをきいてくれるお方ではない。予定通り明日、視察をするとのことだ。私は、王宮に残る任がある。ここを空にするのも問題だからな」
ピスはいつもの軽い調子とは打って変わって、神妙な顔つきをしていた。
「なにかあるのですか」
僕は心配になって尋ねた。
「いや。わからない。カースの一件以来、国内ではカースの崇拝者たちが、未だに火種を持ち込んでいる。それはわかるのだが、こうもあちこちで事が重なるというのは、腑に落ちなくてな。なにかしら大きや力が働いているように思えて仕方がないのだ。考えすぎかもしれないが。こうも大臣クラスが出ていかなくてはいけない案件が各地で起こるというのは、前代未聞だよ」
僕はじっとピスを見返した。
「罠、ですか」
「可能性はゼロではない。相手がなにを狙っているのかわからぬ今。守れるものは守るしかない。私は王宮を守るとしよう。お前は王を」
「僕にできるでしょうか」
僕は不安でいっぱいだ。しかし、ピスは笑った。
「王は、私が直々にお教えした剣術がある。それにカースを滅するという偉業も成し遂げた。太陽の塔では、あの崩落の場面でも生還した方だ。我が身くらいは守れるであろう。お前も十分に注意をするように。騎士団長のアフェクションもついていくから大丈夫だ」
「わかりました」
話は終わり。僕はそう理解して、頭を下げてから腰を上げた。すると、ふとピスが言った。
「そういえば。ボルケイノで出会った悪魔に、ひどく心揺さぶられているようだな。エア」
どうしてそれを? タシットが言ったのだろうか。僕はピスを見据えた。ピスはそっと僕の元に来ると、両手で僕のフードを下ろした。眩しい光が目に映る。ピスの灰色の瞳が僕を見下ろしていた。
「若く美しいお前にこのフードは似つかわしくないが。慣習だ。致し方ないな」
「これがあったほうがいいのです。僕は、これをかぶっているほうが落ち着きます」
「そうだろうか。お前はこれに慣れ過ぎた。人との間に、いつもこのフードがあることで、距離がうまく推し量れていないような気がするよ。エア。みんながお前を受け入れる準備はできている。あとはお前の心しだい」
ピスは優しく笑った。
「憎しみは愛情の裏返しとも言う。無になるのがいい。アンドラス侯爵には、くれぐれも関わりを持たぬよう。お前にとって、激しい感情を呼び起こす相手は、あまりいい存在とはいえないかも知れないね」
「——僕は……」
ずっと胸に燻っている感情が。溢れて出てきそうになった。
「僕はあの時。あの悪魔が許せませんでした。彼に惑わされて、過度に反応したことは認めます。けれども。僕は、魂をないがしろにする者は誰であろうと、許せないのです」
するとピスの細い指が僕の唇に押し当てられた。
「それ以上は言葉にしてはいけないよ。エア。言葉は強い束縛力を持つ。恨み事、呪い事を言葉にすることは、お前の心が傷つくだけだ」
ピスはそっとフードを元のようにかぶせてくれた。
「お前のその信念は崇高なるものだと理解している。だがね。エア。一つのものに執着すると、うまくいかないことも多い。大切なものを失う危険も孕む。お前はまだ若い。私の言葉、理解できないかもしれないが、そのうちわかるときがくる。覚えておきなさい。一つのものに執着しないこと。いいね」
僕は「すみませんでした」と頭を下げる。ピスは「気にするな」と首を横に振った。
「人は失敗を繰り返して学ぶ生き物だ。色々な経験をして、気持ちをコントロールする術を身に着けられるだろう」
「——わかりました。エピタフにも言われました。迷いは禁物だって。僕に必要なのは気持ちのコントロールですね」
「ああ」とピスは笑った。
「あんな調子だけど、お前のことを心配しているようだよ。エピタフは。お前のことを気にかけてくれる人はたくさんいる。お前は一人ではないのだから。大丈夫だ。お前らしく、お前の心に従って行動するのだ。それがお前の未来を切り開いてくれるだろう」
ピスは「気をつけて行っておいで」と手を振った。僕は頭を下げてから、司法省に戻った。明日は大仕事。明日こそは、絶対にうまくやってみせる。気持ちばかりが焦っていた。
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