10 憂鬱


「獣族と和平を結んだことで、人間族の戦力が上がったということは、他の種族にとっては脅威である、なんて言われて。おれたちはここから先、自国の防衛や平和維持のためにしか軍を動かさないって言っても、聞き分けがないんだよね。特に天使族の奴らね。神経質で保守的な奴らだよなぁ」


 スティールは足をぶらぶらを振りながら、文句を言った。


(そうか。みんな大変だったんだ)


 じっと押し黙っていると、「怪我はなかったのか」と問われた。


「大丈夫だった。護衛についてくれた師団長が駆けつけてくれて。助けられた」


「老虎かい?」


 スティールは笑った。


「知っているの? あの人を」


「もちろん。おれの親友だからね。王宮に戻る前、地下組織を作っていたんだけれど、そこであいつとは出会ってね。頼りになる奴だよ。口は悪いけれど。心は熱い」


 僕は老虎という男を思い出す。確かに口は悪い。大臣である僕にも、気安く声をかけてくれる。王宮の中にいたら、そんなことはあり得ないことだ。けれど、僕は嬉しかったんだ。


(あんなに気楽に話せる相手はそうそういない)


 僕はあの一瞬で、彼を信頼していた。スティールも同じ気持ちであるということを知って、なんだか嬉しくなった。


「本当にありがとうございました」


 僕が頭を下げると、スティールは「よせよ」とはにかんだ笑みを見せた。


「いや。軍事大臣として、国の要人を守るのはおれの仕事だ。それに、今回ばっかりは、おれの意見ってわけじゃないんだけどね……」


「いや。僕は、なにもできなかった。非戦闘区域だという言葉に縛られて。自分の身を守ることすらできなかった。あの場には、様々な種族が集まるのを知っていたんだから、老虎が持参してきた悪魔祓いの短剣のような、各種族に対抗できる準備をしていくべきだったんだ……」


 甘い考えだったのかもしれない。非戦闘区域だから大丈夫だという甘さ。タシットの言いつけを守らなかったのもそうだ。きっと大丈夫。いつも心のどこかでそう思っている自分がいる。


 けれど、守られていた子供の頃とは違うのだ。僕は今、大臣という席に座り、みんなを守らなくてはいけないところにいるというのに。


「僕は、無力だ。自分自身の力で、今回のことを解決することができなかったんだ」


 帰国してから、サブライム様からは「よくやったな」と労いの言葉を頂戴したが、そんなものは、僕にとったらなんの意味もない言葉だった。


 ボルケイノから帰ってきてからずっと。心の奥には憂鬱な気持ちを抱えている。人と会話するのも億劫なくらいに。もしかしたら、これが闇なのかも知れないと、心配すればするほど、その憂鬱な気持ちは大きくなる。みんなが心配をして声をかけてくれるほど、余計に自分が惨めに思えた。


 押し黙り、じっとしていると、ふとスティールは、あの会議の前みたいに僕の肩を叩いた。


「そう気に病む必要はないって。別にいいじゃないか。結果的にうまくいけば。万事オッケー」


 スティールという男は、あっけらかんとしていて、羨ましいと思った。僕は、そう割り切ることができないというのに。


「僕の心が弱すぎるんだ……。心が揺れ動いて。打開策も見出せなくて」


「そんなものは、みんな一緒だ。おれだって新米大臣だからさ。日々、迷って、悩んでいるさ。けど、おれには仲間がいる。おれを信じてくれる仲間が。だからおれは自分自身で決断できるのかもしれない。エアにだっているだろう? 心配してくれる大切な人たちが」


 スティールは片目を瞑って見せた。


「僕に、そんな人……いるのかな」


「おいおい。失礼しちゃうぜ。ここにいるじゃないか!」


 スティールは胸をドンと叩いた。「それから老虎もな」と笑った。


「あいつ、言っていたよ。お前の素顔見たって。すげえ美人だったって。なあ、おれだって見たことないんだけど? お前の素顔」


 僕は、はったとしてフードを両手で引っ張った。


「無理に見たりなんかしないさ。グレイヴ家のしきたりだろう。けどさ。いいじゃないか。いつかはみんなにその素顔を見せられる日がくる。おれたちを信頼しろ」


 スティールは「うん」と頷くと、視線を空に向けた。


「これから、南部に遠征だよ。猫族と鼠族が揉めているって言うから。けれど、帰ってきたら集まって祝賀会をするつもり。みんな来る。にぎやかでいいぞ。お前も来いって」


 すると、「付き合うことはありませんよ」という声が聞こえた。はったとして顔を上げると、そこには魔法省大臣のエピタフが立っていた。


 彼は、兎の耳を持つ獣人だ。そう。獣人なのだ。彼は。まだ獣人が王宮に足を踏み入れることが許されていない頃からここにいる。


 彼は正統な魔法省の血筋。けれど、彼のおじい様、つまり先々代が兎族と結婚したせいで、からだに獣族の証が出てしまっているという不運な人だった。


 今でこそ、獣人たちが歩いていてもおかしくない王宮だけど、大戦前は、獣人のかたちを持っている彼は、異端で、忌み嫌われていた。


 真っ白なふかふかの耳。白銀の髪。双眸はルビーの宝玉のように赤い。アルビノと呼ばれる体質だと本人が言っていた。


 とても美しい容貌だが、まるで氷のような冷たさも兼ね備えている人。ひとたび口を開けば辛辣な言葉が飛んでくる。僕はこの人が苦手だ。


「グレイヴ。迷いは戦場で命取りになります。貴方は戦場の経験が少なすぎる。今回は、老虎の短剣が助けてくれましたが、次回もそうなるとは限らないことを覚えておくといいでしょう」


「おいおい。そんな冷たい言い方するなよ」


 スティールはエピタフをたしなめたが、彼は静かに首を横に振った。


「私はグレイヴの為を思って言っているのです。大臣職に就いた時点で、貴方の命は常に狙われるという危機感を持つべきです。いつでも誰かが守ってくれるとは限りません」


 エピタフはその宝玉のような瞳を細めて僕を見据えていた。


「お気をつけなさい。闇に取り込まれぬよう。我が父のようにならぬよう。自分をしっかりと持つのです。それでは」


「おいおい。どこ行くんだよ」とスティールが声を上げると、エピタフはつまらなそうな顔をしてから答えた。


「これから西部地区に行きます。魔族が入り込んで騒いでいるようなので、静かにさせてきます」


 彼は一礼すると、廊下を歩いて行った。白地に碧色の雪の結晶が描かれた衣装は、風を孕み大きく翻った。それを見送ってから、スティールが苦笑いした。


「素直じゃないんだよ。あいつ。お前のこと、すごく心配しているみたいだ。老虎に短剣を託したのはエピタフなんだ。ま、お前は無理するな。休むことも必要だぞ」


 鳶色の髪を揺らして、スティールは爽やかに笑みを浮かべた。

 すると今度はピスが顔を出す。


「あいにく、休ませてあげたいのは山々なんだけど。いいかな? グレイヴ。仕事だよ」


「わかりました」


 僕はスティールに一礼すると、ピスについて宰相執務室に足を踏み入れた。





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