14 闇


「エア様は後継者としては不適切——」


 タシットの声が聞こえた。


「わかっている。そんなことは、重々承知。だが、あの子以外に、誰がグレイヴ家を継ぐというのだ」


 父の声が聞こえた。


「この際、大臣職をお返しになられたらいかがでしょうか。魔法省のリガード様とて、生きながらに大臣職を辞することが許されたのです。なにも世襲制を踏襲しなくとも。グレイヴ家はここで終わりにするという決断をするべきです」


「タシット。口が過ぎるぞ」


 暗闇から二人の会話が聞こえてくる。

 目の前には頭を抱えている父の姿。そして険しい表情で立ち尽くしているタシットの姿が目の前に立ち現れる。


(ああ、そうだよね。タシットは小さい頃からそばにいるから。呆れられているんだ。僕にはグレイヴ家を継ぐ資格がないってこと)



 暗転。

 目の前にピスの顔が大きく見えた。


「まったく。お前というやつは、腰がふにゃふにゃで、そんなんで剣は握れぬぞ」


 彼には皺がない。若い頃のピス。そうか、僕は子供の頃のことを見ているのだ。


「さあ、サブライム様を見習って」


 彼の視線の先には、輝かしい光を放つサブライム様が剣を構えて立っていた。彼はまだ幼い姿だけれど、すでに神々しく、王の風格を持っていた。


 彼の剣裁きは鋭く、そして迅速。神速と謳われたピスの流儀を色濃く受け継ぐ腕前だ。それなのに、僕ときたら。地面に尻もちをついたまま、サブライム様をじっと見上げているばかり。


「お前は命を賭して王を守らねばならぬ立場にあるのだぞ。エア。お前が王に守られてどうする」


 ピスの声が耳に響く。


(羨ましい。僕にはないものをたくさん持っている人だ。僕には、なにもない)


 暗転。


「今日から、あなた様はグレイヴ家第十四代目当主となられます」


 タシットの声。僕の視界は彼の足元しか見えない。


「それでは。これより、鍵の授与式を執り行います」


 僕は歩みを進める。すると足元に獣の足が見えた。そっと上を向くと、そこには、鳥の首が三つ生えている奇妙な獣が座っていた。


 ナベリウス侯爵。鳥の首を三つ持つ悪魔。ヘイディズに仕え、死者の門を守る悪魔でもある彼が、そこにいた。なんと美しい悪魔だろう。七色に輝く細長い口ばしが輝いてみえた。しかし―—。


「なんとも貧弱。弱き存在よの」


 頭上から物憂げな、低い声が響く。


「申し訳、ありません」


「謝るか。謝るということは、非を認めることだぞ。グレイヴ。大事なのはその先だ。お前は弱き自分を乗り越えられるのか」


「それは……」


 僕のフードが外された。目の前にヘイディズの顔が見えた。彼女はただ黙って僕を見下ろしていた。しばらくの後、彼女は言った。


「お前は母親に似ている。この美しき器は、戦いのために使うべきものではないかもしれぬ。お前は危うい。心が揺らぎ、まるで儚げな炎のようだな。それで、この鍵を持つことに耐えられるか。グレイヴよ」


 わからない。わからないけれど。僕は。


「グレイヴ家の当主として、それ相応、ふさわしい者を連れ来るがよい。今日はやめじゃ」


 ふと彼女がそう言った。タシットが慌てた様子で声を上げた。


「それでは困ります! ヘイディズ様」


「老いぼれ。血筋だけで選ぶは愚か。力ある者を連れてくるがよい」


「他にはおりませぬ。エア様は紛れもなく、グレイヴ家の血を持っております。どうか。どうかエア様に鍵を授与していただきたい」


 ヘイディズは僕から目を逸らさない。じっと僕を見下ろす。彼女の隣に控えているナベリウス侯爵もじっとそこにいた。


(やっぱり。僕では役不足。僕ではなにもできない)



 僕の心はどんどんと闇に沈み込む。僕はなんのために生まれ、そしてここにいるのだろうか。一つも満足なことをしていない。タシットや、みんなに助けられてきた。生きていればなんとかなるって信じてきた。けれど、なんとかならないこともあるってこと。僕の存在など、なんの価値もないものだ。


(闇は心地いい)


 ずっとフードをかぶって、外の世界と隔絶した場所にいて。光に憧れて。けれどそれに触れたら、たちまち火傷しそうで怖くて触れられない。

 僕はずっと一人で、いつもここにいて。


(そうだ。闇はいい。なんの心配もないのだから)


 光は眩しすぎる。僕には不似合いで、僕には不必要なものだ。


(だから。ずっと。ここにいたい)


 目を閉じても、開いても同じだ。周囲は真っ暗でなにも見えない。だからこそ、余計なことを考えなくてもいいのかもしれない。


(ああ、この闇はとても心地がいい)


 闇に落ち込んでいく中、この前、出会った悪魔のことを思い出した。燃えるような赤い髪を揺らし、黒い狼にまたがる悪魔。アンドラス侯爵。背中に生える白い羽は天使だった証拠。彼は、一体どんなことをしでかして悪魔に落ち込んだのだろうか。


(あの凶悪な性格じゃ、当然か。むしろ、なんで天使だったんだろうか?)


 なんだから笑ってしまった。

 辺りかまわず攻撃してきて。人の命なんて、なんとも思っていない。ある意味、どこか突き抜けていて、破天荒で、色々なものに縛りつけられている僕とは大違い。愉快な気持ちになってきた。


(僕にはないものばかり。迷って、弱くて、人のことばかり気にして。それに引き換え、あの悪魔は自分に正直で、そして真直ぐ)


 そうだ。僕とは違う方向を向いているけれど、真直ぐな悪魔だったと思った。


(ねえ、もっと違う方向を向いたら、お前はきっと、すごくいい悪魔になるんじゃないのかな)


 ——いい悪魔だと? なんだそれは。悪魔に「いい」も「悪い」も存在しない。それはお前たちの受け取り方だろう? おれは方向転換するつもりはないが。


 どこからか、アンドラスの声まで聞こえてきた。こうしてビフロン伯爵の幻影に捕まった者は、自分の闇を彷徨い続け、現実の世界に戻ることはできないという。


 僕はもう、光を見ることもないし、こうして自分の中にこもっていられるのだから、これはこれでいいのかもしれない。心のどこかでそんな気持ちがわいてきた。


(なんだか疲れたな)


 ずっとこのまま、この闇に漂っていたい。もう辛いことは嫌だった。ここにいれば、誰も僕を傷つけない。誰も僕に干渉しないのだ。


 ——心を闇に染めてはいけない。


 ピスはそういうけれど、僕は闇が好きだった。光に恋焦がれていても、結局、僕に安寧をもたらしてくれるのは闇なのだから。


(ここにいよう。ううん。ここにいたい。僕はずっと、ここにいたい―—)


 僕は目を閉じて、膝を抱えて丸くなった。

 




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