01 法の番人
この世界には、色々な種族が住んでいる。人間族。妖精族。魔族。天使族。そして悪魔族。
種族間では、様々な取り決めがあり、互いに良好な関係が築けるように、外交が行われている。過去には、協定が破られ、世界大戦が起きたこともあると聞いているが、それも遥か昔の話。時々、その均衡が崩れそうになる時もあるけれど、それでも大きな争いにならずにいられるのは、一年に一度、開催されている「世界会議」のおかげだろう。
この会議には、各種族のトップや主要な役職に就く者たちが一同に介し、テーマについて、討議をし様々な取り決めをする。今回、僕はこの会議に初めて参加することになっている。
昨年。父が死んだ。人間界の王宮の地位は世襲制で、前任の死によってそれが引き継がれる。僕が引き継いだのは、司法省大臣の席だった。そう、僕の家系は司法省のトップを担う立場にいる。僕は十四代目。建国以来、続いている由緒ある家柄だ。
父が死んでから一年。今年二十歳になったばかりの僕にとって、国の司法業務を担う大臣職は、とても重すぎる、などと考える暇もないくらい、毎日が目まぐるしく過ぎ去っていった。
「何度もお伝えいたしますが、この書類には、安易にサインをしてはいけません。いくら罪人とは言え、人の命を奪う決定を下すものです。よくよく精査をしてからサインなされるのが良いかと思います」
僕の隣に立っている執事のタシットは直立不動のまま、そう説明した。
「死刑執行の許可証……だね」
「さようでございます」
タシットは「おほん」と軽く咳払いをした。
彼は父の代から僕の家に仕えてくれている。白髪交じりの黒い髪は、先細りながらも腰まで伸び、それを青色のリボンで一つに結えている。顔中に刻まれている皺が彼の生きてきた歴史を物語っているかのようだ。
眉一つ動かさない表情は、見る人のいいようにも受け取れる、と父さんがよく褒めていた。タシットは、生まれながらにして執事の資質を持っていた、ということなのだろう。
僕が彼に視線をやると、彼はまっすぐに前を向いていた。彼の視線は、僕を見ているようで見ていない。ピンと張られたシャツには皺ひとつなく、灰色のベストのポケットには、金色の鎖が繋がれていた。
「でも、この人たちの罪は、すでに裁判で明らかにされているんだから、サインをするのに精査する必要があるの?」
「いくら公平中立な法を守る番人たちでも、間違いを起こすことはあります。人の意見を鵜呑みにしてはいけません。どんな判断も、全て最終的には貴方に返ってきます。司法省の大臣とはそういうものです」
「わかってるけど。タシットは厳しいよね」
「ご自分を守るためです。エア。貴方はお若い。まだまだ世間知らず。何事も慎重に事を進めることが必要です」
僕は大きくため息を吐いてから、書類を眺めた。この国で死刑は極刑だ。書類には、罪人たちが犯した罪が詳細に書かれている。目も当てられないくらいの罪状に、書類を机の上に置く。
「どうしてこの人たちは、こんな罪を。不思議だ。彼らにだって、彼らの誕生を祝福し、迎え入れてくれた家族がいたはずだよね」
「ですが、彼らは、愛ではなく、愚かな選択をすることしかできなかったのです」
「——確かに、彼らのしでかした罪は重い。償い切れないものは、自らの命で、という考え方もわかるんだけど。彼らが、ここまで追い詰められた理由を僕は知りたいんだ」
前だけを向いていたタシットは、ふと僕を見た。
「罪人とは、自らに課せられた困難への解決策を暴力にしか頼れなかった者たちです。同情の余地はありません。この罪状の書面は精査が必要ですが、罪人たちに心を寄せてはなりません。貴方の心に闇を招きます」
——闇を招く。
歴代の大臣たちの中には、心を闇に染め、処罰されたり、御家断絶になったケースもある。大臣はとは、重責を担うとともに、孤独にもなる。一人で背負いきれないものに押し潰されて、闇に落ちていく者が後を絶たないそうだ。
父は冷たい人だった。死者への思いは切り捨て、そして事務的に職務をこなしていたという。タシットは父を褒めた。「グレイヴ家当主に必要な姿勢です」と。けれど、僕には理解できなかった。そんなに簡単に、感情と職務を切り離すことなんて、出来そうにない。
——死と隣り合わせの司法省は、特に危険度が高いのです。
僕が小さい頃から、タシットはよくそう言っていた。他省と比べると、歴代の当主たちの中には、闇に染まっていった者が多い一族であるというのだ。
——貴方は特に要注意です。エア。
わかっている。わかっているけれど。僕はとても父のようになれそうにもなかった。
僕は死刑執行の許可証にサインをした。すると、執務室の扉がノックされた。慌てて返答をすると、宰相であるピスが顔を出した。
「職務中に失礼するよ」
彼は銀縁の眼鏡をずり上げた。年の頃はタシットと同じくらい。白銀の髪は綺麗さっぱり切り揃えられている。長身で痩躯。あちこちが骨張っていて、骸骨みたいに見えなくもないが、その実、強靭な身体力を持つ怪物みたいな御仁だ。
彼は王に付き添い、僕たち大臣職を束ねている宰相。この国のナンバーツーだ。
父さんとは旧知の仲だったので、僕が子供の頃は、屋敷に遊びにくると、剣術を教えてくれた。
タシットは一礼すると、執務室を後にしようとしたが、ピスはそれを手で制した。
「お前にも聞いてもらいたい。タシット」
「承知しました」
タシットは再び頭を下げると壁際に下がった。ピスは応接セットのソファに「よっこらしょ」と座る。
「いやあ、腰が痛くてねえ。歳だねぇ。先日のカースの一件から、なかなか立ち直れていないみたいだよ」
彼は灰色の瞳を細めて、自分の腰を摩っていた。
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