29 戦闘

 マジェスティは唇を震わせて僕を見ていた。怒りに支配されているのだろう。

 アンドラスに抱きかかえられていた僕は、床に降りる。それからまっすぐに彼を見返した。


「アンドラスは強がりを言っているけれど、悪魔封じの剣をあんなに刺されて平気でいられる悪魔はいないと思った。なんとか彼に力を与えようと思った時、あの剣を媒介にできないかって思ったんだ」


「主の体液は我らの好物だからな」


 アンドラスは舌なめずりをする。


「僕がアンドラスを助けようと剣に触れることを予測して、トラップ魔法をしかけていたみたいだけど、逆に助かったよ」


 僕は負傷した左腕を見せた。


「まさか。我々のトラップを見抜いていたとでも?」


「僕が邪悪なる存在だって、みんなに見せつけるためには、アンドラスにトラップ魔法を仕掛けるのが一番いいものね」


 マジェスティは「く」と眉間にしわを寄せた。

 そう。僕は読んでいた。マジェスティの策を。あえて左手で握ったのはそのため。僕の血が、悪魔封じの剣を伝い、アンドラスのからだに触れた瞬間。彼は力を取り戻す。アンドラスはすぐにでも動きたくて仕方がなかったみたいだけど、僕はそれを許さなかった。


「主の血で力を得た、ということか」


 アンドラスは肩を竦めた。


「別に。主の血などなくとも、あれくらいはなんてことはないのだが。哀れな姿をさらしておけば、いい思いができるというものだ。ほら見てみろ。契約者の血肉は我に力を与える」


 アンドラスは指の先まで闇の瘴気が満ち満ちているようだった。彼を包み込む闇が、より一層深く立ち込めている。


「嘘ばっかり。動けなかったくせに」


「いいや。動けた。あんな悪魔封じの剣など。子どもの玩具と一緒」


「強がり言って。随分と疲弊していたじゃないか」


「そんなわけがあるか。お前こそ、いい加減なことを言うものではないぞ。人間は事実を捻じ曲げ、自分のいいようにしか受け取らぬ。まったくもって不愉快な生き物だ」


「また! そんな可愛くないこと言って。僕の力でいい思いしているくせに。もう力を分けることはしないんだからね」


「このおれが可愛いと言われて喜ぶとでも思うか? 主のくせに。主の役割を担わぬというか。失敬な奴め。今すぐにでもお前を殺し、その魂をいただく」


 アンドラスは剣を僕に突きつけた。

 するとスティールが「おいおいおい。やめないか」と仲裁に入ってきた。


「味方同士でいがみ合ってどうする」


(あ、そうだった)


 マジェスティは「愚弄するか、人間如きが」と呟く。それから、両腕を広げて声にならぬ声を上げた。


 アンドラスの瘴気が押されるくらいの神々しい光が法廷内に充満した。視界が光で塞がれたかと思った瞬間。その光が一瞬にして消えた。その直後、法廷を揺るがすような轟音が響き、天井からたくさんの天使たちが姿を現した。どの天使も武器を手にしている。加勢だ。


「マジェスティ、戦争でもする気か」


 サブライム様も剣を抜いた。マジェスティは不気味な笑い声をあげていた。


「これは私が一人でやっていること。責任はすべて私にある。さあ、負けはせぬ。お前たち人間如きに、天使が屈することなどないのだから」


 アンドラスは猫のように光る金糸雀色の瞳を細めた。


「殺り合おうぞ。こんな楽しいことは他にない!」


 彼は口元を歪めて歓喜の笑みを浮かべると、剣を抜いた。それから、あっという間にヤミとビフロン伯爵の鎖を断ち切る。ヤミは燃えるような眼を見開き、ひと鳴きすると、アンドラスをその背に乗せた。


 今度は地面から漆黒の異形の者たちが姿を現す。今度はアンドラスが率いる悪魔師団の登場だった。天使と悪魔は互いに衝突した。


「ビフロンめ。寝てばかりいて、いい身分だ」


 アンドラスの声に、ビフロン伯爵はその重い瞼を持ち上げた。


「魂の移動には、それ相応の力を必要とする。休息が必要だ。それになにより、お前こそ、主の血をせしめたではないか。いい思いをしているのはお前だ」


 彼は面白くなさそうに両腕を大きく広げる。法廷内の床から、死者が這いだす。法廷内は大混戦に陥っていた。


 老虎たち騎士団は、傍聴席の者たちを避難させていた。マジェスティは切り離された腕を繋げると、槍を握ってアンドラスに襲い掛かる。アンドラスはそれを軽々と受け流していた。


(楽しいそうじゃない。まったく!)


「エア!」


 スティールが僕の拘束を解くと、剣を差し出す。


「戦えるか」


「そのために右手は残しておいたよ」


「お前……。陰気そうに見えて、賢いのな。それに、その目。いい感じだぜ。フードは外しておけ」


 スティールは僕の肩を叩いて笑った。


「ルール違反も時には悪くないね」


 僕はわくわくする気持ちが抑えきれない。安寧、平和。そういうことが必要だと思っていたのに。アンドラスのせいだろうか。僕はこの状況を楽しんでいた。マジェスティの部下たち相手に魔法を展開しているエピタフの加勢に回る。


「遅いですよ。エア」


「ごめん」


 サブライム様も、ピスも剣を抜いていた。法廷内は大混乱に陥った。

 僕は天使族の攻撃をかわしながら、アドア、カラ、そして裁判官たちを法廷の外に逃す。


「エア」


 アドアが心配気に僕を見ていた。僕はしっかりと頷いて見せる。


「全てが終わったら。ちゃんと話すよ。だから、みんなをよろしく」


「お任せください」


 彼はそう答えると、カラやディグリーを法廷の外に連れ出そうと動き出す。僕は戦線に戻った。アンドラスの細長い剣は、マジェスティの槍を威圧していた。


「くそ」


「おやおや。天使様でもそのような言葉を吐かれるか。愉快、愉快」


「うるさい! 悪魔めが。人間に寄生し、生きながらえる俗物が」


「俗物でなにが悪い? 人間が求めるのは救いではない。自らの欲を満たしてくれる者である。お前らには用はないのだ。お前たちが叫ぶ正義、平和。そんな綺麗ごとなど、人間たちは求めてはおらぬ」


 アンドラスの剣が、マジェスティの槍を叩き切った。マジェスティが悲鳴を上げた。


「なんたる力。この槍は——」


「グングニルか? その槍を持つ軍は必ず勝利へと導かれる。そんなものはおれが書き換えてやろうぞ。なにせおれは、戦いを好む悪魔、アンドラスだからな」


 マジェスティはすでに天使ではなかった。彼の表情はまるで悪魔そのもの。憎悪に支配され、我を忘れていた。


(いけない。堕天——。そうだ。彼は地に落ちてしまう!)


 マジェスティは血で染まった紅の瞳を素早く動かし、羽ばたいた。


「逃げるのか―—いや、違う! アドア!」


 彼の狙いはアドアたち。無力な人間を人質にでも取ろうとしているのだろうか。


「ええい。忌々しい犬めが!」


 マジェスティの手には銀色の短剣が握られている。僕は必死に彼とアドアの間に割り込んだ。


(もうごめんだよ。二度と。あんな思い、させないから……)


 マジェスティの短剣が僕の背後、右肩に突き刺さった。誰ともなく、僕の名を叫ぶ声が耳に入ったが、それも束の間。僕はあっという間にマジェスティに後ろから羽交い絞めにされていた。


「皆の者、戦闘やめい!」


 地面が揺らぐような低い、そして物々しい声が法廷内に響き渡る。そこにいた誰もがぴたりと動きを止めた。何故なら、マジェスティの持つ銀色の短剣が、僕の右目に当てられていたからだ。彼は顔半分が闇に染まっていた。堕天が始まっているのだ。


「一歩足りとも動くなかれ。死者の門をこじ開けるぞ!」


 サブライム様も「戦闘やめ」と声を上げた。






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