30 死者の門


 僕の耳元でマジェスティの笑い声が聞こえた。彼は静まり返った法廷内に向かって、勝ち誇ったように言った。


「最後に勝つは天使なり。下々の者たちよ。天使こそ崇高なる存在。命を散らすなど下等なる者の証拠。そしてそれに寄生は更に下等なる存在。我々がこの世界を取り仕切っている。世界の均衡を保ち、平和をもたらす。それが我々天使の使命」


(違う……僕はそんな風には思わない)


「命とは短い。だから大切で輝くもの。どんな命だって、生まれてきた意味がある。お前たちは命の大切さを知らない。だから、魔族やアドアを粗雑に扱うんだ。まるで使い捨ての駒みたいに」


「あの者は村でも忌嫌われていた。必要とされぬ存在だ」


「アドアはそういう扱いを受けていたのかも知れない。けれど、彼は死の使いを担っていた種族。みんなが嫌がることだって、誰かが担わなければ世の中は回っていかないんだ」


(僕もそうだ。死者の門の鍵。どうして僕がって何度も思った。けれど、今は違う)


 ——僕じゃないとできないことだから。僕がやる。


 例え、顔を隠して、身を潜めるような役割だって。自らの目を差し出し、そこに死者の門の鍵を入れ込まれようと、それは僕に課せられたものなのだから。


(それが。僕が生きている理由だ)


「お前たちにお前たちの役割があるように、僕たちには僕たちの役割がある。アンドラスがいる意味だってそうだ。彼らがここにあるのは、必要とされているからだ」


 アンドラスは「違いない」と肩を竦めた。


「我は人の欲が消えればそれと一緒に消え去る存在。しかし、消えないということは、必要とされているということだな」


「そうだよ。僕には必要だ。アンドラス。お前が必要だ」


 僕はアンドラスをまっすぐに見つめた。彼は口元を上げる。


「ほらみろ。だから言っている。最初からな。お前にはおれの力が必要だと」


 初めて出会った時から、ずっと。僕は彼に魅入られている。僕には彼が必要だったのだ。僕も思わず笑みを浮かべていた。人質になっているというのに、不思議と怖くはなかった。そうだ。僕にはアンドラスがいる。僕とアンドラスなら、どんなことでも乗り越えられる。そう思ったのだ。


「そ、そんなものは詭弁だ。命の大切さを知らないだと? 知っている。知っているからこそ、私は世界の均衡を保つために……」


 頭の上から聞こえてくるその声は、か細く、そして不安に支配されているようだった。彼は迷っているのだ。いつもの雄弁な彼ではなかった。僕は静かな声でそっと言った。


「堕ちるつもりなの? 貴方は、自分の使命を全うするために、地に堕ちても構わないと?」


「構わない。私は、自らの任を全うできるのであれば。あの方の為なら。例え堕天したとしても——」


「間違っているよ。マジェスティ。本当の主は、そんなことはさせないものだよ」


 マジェスティの手の力が緩んだ。アンドラスの口元が上がった。


 それはまるで時間がゆっくりと動いているようだった。

 僕は緩んだマジェスティの腕から抜け出すと、屈みこんで床に手をつく。それから思い切り、蹴りを繰り出して、マジェスティを後方に飛ばした。


 それと同時に、飛び込んできたヤミがマジェスティに襲い掛かり、そしてあっという間に彼を床に磔にした。


 アンドラスは彼の額に剣先を突きつけていた。マジェスティは肩で息をし、そして両手を上げた。戦う意志はないということだろう。彼の部下たちも、自らの指揮官が敗北を認めたのだ。武器を投げ捨て、両手を上げた。


(終わった)


 だが、ここからが問題だろう。ピスは一糸乱れぬ姿のまま、サブライム様を見た。


「解決は致しましたが。どのように納めましょうか。このままでは、人間族と天使族の戦いの火種になりかねませんが」


「おれは怒りを覚えている。おれの仲間を陥れ、この国の治安を不安定にさせたこと。許しがたき所業だ」


 サブライム様はマジェスティを冷ややかに見降ろしていた。


「お前たちは均衡を守るどころか、均衡を破ることをしでかした。そしてそれは、お前ひとりの意思ではなかったということは、すでに明白にされているのだぞ」


「いいえ。王よ。これは私一人の個人的な思い。天使族は関係ありません」


「そうか。そこまで言うのならば、お前を天使族に送り返し、しかるべき処罰を与えてもらう必要があるな。大天使に話を聞かねばなるまい」


 サブライム様は剣を鞘に納めた。すると、耳元で、ゴーン、ゴーンと重い鐘の音が鳴り出す。地面が揺さぶられるように、轟音が足元から鳴り響いた。するとどうだ。僕とアンドラスの目の前に突如として大門が立ち現れた。


 鳩羽色のそれには、たくさんの髑髏や羽の生えた地獄の番人たちの彫刻が施されている。


「死者の門——!」


 僕の叫びに、その場にいた皆が、死者の門を見上げていた。


 ギシギシと重苦しい音が響き、その扉がゆっくりと開いていく。死者の門とは、どこにでも現れるわけではない。通常は死者を受け入れるために開かれている門ではあるが、ヘイディズが生者の国へと現れる時にも出現するのだ。


「これが、死者の門……」


 ヤミに拘束されたままのマジェスティは目を見開いた。死を知らぬ種族は、この門を見る機会がないのだろう。


 重々しい扉が開かれると、そこからナベリウスが姿を見せた。七色に輝く、三つの首を持つ鳥の姿をした悪魔。死者の門を管理する者。


 マジェスティは死者の門を自由に操ろうとしていたのかも知れない。けれど、そう簡単な話ではないということ。ナベリウスを殺したところで、後ろに控えているのは天使よりも格上の神だからだ。


 そこにいる全ての命を吸い取ってしまうような、冷たい吐息が洩れたかと思うと、ヘイディズが静かに、その姿を現す。ナベリウスは彼女に寄り添うように、その足元にいた。僕を始め、皆が胸に手を当てて、頭を垂れる。女神のお出ましだった。


「随分と派手にやらかしたものよのう。エア」


 彼女は僕の目の前に立つと、そう言った。


「申し訳ありません。しかし、鍵は守り抜きました」


「そうか。それはなにより」


 彼女は黄金色の瞳を細めると、それから、マジェスティの元に歩みより、そしてゆっくりと彼を見定めるように周囲を巡った。


「困っておるのだろう? この件、私が預かろうか? 人間の王よ」


 彼女はサブライム様の目の前でピタリと歩みを止めた。

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