31 死と魂
サブライム様はじっとヘイディズを見つめていた。
「お前ひとりのしでかしたこととは思えぬな。どうせ、大天使の気まぐれだろう? 昔から気が合わぬ奴だ。私のかわいい子を利用して、混沌をもたらそうとするとは。少し灸を据えてやれねばなるまい」
ヘイディズは屈みこむと、彼の顔を覗き込んだ。
「堕天が始まっているようだな。もうお前は天界には戻れぬぞ。お前は、お前がしてきたように、切り捨てられるだけだ」
「そんなはずはない。そんなはずは……。あの方はそんなことはしない」
僕はマジェスティを見下ろした。
「貴方が切り捨ててきた人たちもみんな、同じことを言っていたね」
「頼む。助けてくれ。私は……私は」
彼は僕の足に縋りついてきた。光を失い、すっかりしおれた翼は哀れに見える。ヘイディズは僕を見た。
「私だったら、ここで翼をへし折り、露頭に迷わせることもできる。お前はなにを望む。エア」
何度も何度も「助けてくれ」と呟くマジェスティを見下ろして、僕はため息を吐いた。それから「助けてやってください」とヘイディズに願った。
「お前を陥れた者を救いたいか。エア」
「やり方は卑劣です。気に食わないです。けれど、彼は彼の正義を貫こうとしたのです。それは理解しています」
「再び、お前を付け狙うかもしれないのだぞ」
ヘイディズは目を細める。彼女の言いたいことはよくわかる。僕はアンドラスを見た。彼は肩を竦めて見せた。それからその長剣を肩に担ぐと、笑った。
「まあ、おれがついていれば問題あるまい。ここのところ、魂を食い損ねているのだ。今度こそはいただく。そのためには、他の誰にも横取りはされたくないな」
思わず笑ってしまった。
「素直じゃないんだから。僕のこと、守ってくれるんでしょう?」
「守るだと? ふざけたことを抜かすでない。自らの魂も守れぬ奴など、おれが殺す」
「はいはい。わかりました」
僕たちのやり取りを見て、ヘイディズは口元を緩めた。
「わかった。では、この者はしばらく、死者の国で預かろうか。死というものをよく理解できるであろう」
マジェスティは、弾かれたようにからだをこわばらせると「や、やだ。やめてくれ。死者の国になど行くものか」と叫んだ。
「大丈夫だ。私がついておる。心配するな」
「ああ、嫌だ。死の国は嫌だ」
彼は呪文のように繰り返すが、ヘイディズは聞く耳を持たない。彼女が右手を前に突き出すと、その手に黄金の鎌が現れる。ヘイディズはそれ握りしめたかと思うと、迷うことなく、マジェスティの背に深々と鎌を突き立てた。
「ぎゃあああ!」
断末魔。耳障りな悲鳴が法廷内に響き渡った。
「苦しい、ああ、なんだこれは。寒い。寒いぞ……。痛みではない。これはなんだ。これは―—」
ヘイディズは冷ややかに彼を見下ろしていた。
「命が終わる時の感覚をお前に与えた。お前はこれから死というものがなんであるかを学ぶ。死と向き合え。天使よ。さあ、ナベリウス。連れていけ」
マジェスティの肌はたちまち光を失い、唇は紫色に変わる。彼は震える指先を必死に伸ばし、僕の足に縋りつくが、ナベリウスが彼のからだを咥えたかと思うと、死者の門へと放り投げた。マジェスティはあっという間に門の中へと吸い込まれていったのだった。
それを見送ったヘイディズはサブライム様の前に歩み寄った。
「お前が国内を統一したという勇敢なる王だな」
「サブライムでございます。ご挨拶が遅くなりまして、申し訳ありませんでした。女神よ」
サブライム様は胸に手を当てると頭を下げた。ヘイディズは笑う。
「構わぬ。よきに励め。エアはお前に預けておこう。おお、それからピス。まだ生にしがみつくか。いい加減、私の話し合い手にならぬか」
ピスは弱った顔をして頭を掻いた。サブライム様は吹き出して笑った。
「勘弁願います。ピスは我々にとって必要な男。もう少しお待ちください」
「そうか。仕方ないのう。もう少し待つとしようか。グレイヴの人間たちは、みな悪魔にその魂を持っていかれるから、誰も私の元へは来ないのだ。なんと寂しいことよ。ピス。待っているぞ」
彼女は笑みを浮かべてから、僕の頬に手を当てる。
「お前はあの者に似ている。歴代当主の中で一番な。本当はお前に鍵を預けたくはなかった。鍵を持てば、否応なしに問題に巻き込まれるものだ。だがしかし……」
彼女はアンドラスを見た。
「どうやらよき相棒を得たようだ。安心して鍵を預けよう」
「あ、ありがとうございます」
「それにしてもどうだ。あの灯かりは気に入ったか?」
僕がグレイヴ家を継いだ時に、祝いの品として頂いた骸骨の室内灯を思い出す。一応、寝室には置いているけれど。僕は笑みを作って「気に入っていますよ」と答える。まさか、女神から頂戴したものが「気に食わない」なんて言えるわけがない。
「寝室を仄かに照らしてくれます。あんな素晴らしいものをいただけるなんて」
しかし、隣でアンドラスが「嘘ばかり言うな。女神に嘘は通用しない」と小声で言った。
「こら! なにいうんだよ。う、嘘ですよ。嘘。悪魔は嘘ばっかり言うのです」
僕は慌ててアンドラスの口を塞ぐが、マジェスティは「ほほほ」と笑った。
「正直がよい。嘘は吐くな。お前はまっすぐが良い。のう、タシット」
彼女は目を細めて、そこに立っている獣族の少年を見つめた。老虎やスティールたちは目を丸くした。
「た、タシットだって?」
「どういうことなんだよ? あのじいさんは死んだって」
僕はビフロン伯爵を見た。
「彼に頼んだ。あの時。タシットの肉体から洩れだした魂を、ビフロン伯爵の力で、空っぽになってしまった獣族の少年、アドアの肉体に移したんだ」
アドア——いやタシットは、胸に手を当てると頭を下げた。
「じゃあ、法廷での証言って」
スティールの問いに、タシットはにっこりと笑みを見せた。
「あれは、私がアドアの記憶を読み、そのままにお答えしたまでです。なので、虚偽ではございません。あれは、この肉体の持ち主、アドアの生きてきた証でございます」
「くそー。だからじいさんみたいな話し方してたのかよ。年の割りに、古くせぇ話し方するなって思ったぜ」
老虎も悔しそうに足を踏み鳴らす。僕は目を細めてタシットを見た。
「ごめんね。自然の摂理に反しているって思ったんだけど。僕のエゴだ。だって、僕にはタシットも必要だもの」
「マジェスティ様のお許しさえあれば、の話でございますが」
彼はマジェスティを見つめる。彼女はため息を吐いた。
「魂の移植は、ビフロンの持つ術の中でも相当の力を消耗するもの。ビフロンがそこまでして主の願いを聞き届けたということだ。今回ばかりは目を瞑ってやろう。しかし、タシットはよいのか? エアのお守の日々が続くことになるが」
タシットは「ありがとうございます」と頭を下げた。
「まだ使者の門を潜るには心残りが多すぎますので。このままの姿で次の人生を全うする所存でございます」
「そうか頼もしいな」
彼女は漆黒のドレスを翻すと、ナベリウスの名を呼んだ。
「いつまでも口を挟むのはあまりにも庇護欲が強すぎるというもの。お前たちの手を離れ、人間たちは命を重ね、連なり、そして学んでいるのだ。私は人間たちの可能性を信じている。これ以上の滞在は無用。王よ。天使族とは私が話をしておこう。今回の件、私が預かる故、剣を納め堪えよ」
「——女神よ。この場は引きます。けれど、私の大事なものを傷つける者たちは断固として戦うつもりです。天使族には、そうお伝えください。人間界への介入は、今後宣戦布告と見なす、と」
「あい分かった。伝えよう」
彼女は口元を上げると、漆黒の髪を揺らし、ナベリウスと共に死者の門に姿を消す。門は重々しく閉じ、そしてその姿を消した。
残されたのは僕たちだけ——だった。
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