05 罠
代表にはそれぞれ控室が割り振られていた。そう広くはない部屋だが、中には長椅子やテーブルなどが置かれていて、飲み物なども準備されている。壁には絵画などが飾られているが、ちっとも心の安らぎには寄与しないような代物ばかりだった。
こんな場所で休めと言われても。とても気が休まるわけがない。後半の議事がどうなるかを考えると不安でいっぱいだ。議場によっては終わっているところもあるのかも知れないと思うと、自分も早くこの場所から解放されたいという思いが強くなった。
「ヘイディズ様に助けられましたね。エア」
ソファに座ると、すかさずタシットがそう言った。
「情けないよ。本当。なにも言えなかったな」
ソファにからだを預けると、タシットは僕が好きな薬草茶をグラスに注いでくれた。
「いいのです。言葉は災いを招く場合もあります。時には沈黙も必要です。議論の場面では、真向勝負だけが正しいとは言い切れないのです。日頃からの準備も必要。ヘイディズ様との関係を良好に保っているからこそ、あの場ですんなりと受け入れてもらったのです」
「良好っていうか。ただ遊ばれているだけなんじゃないかって思うんだけど」
ヘイディズは死者の国を統治する女神だ。各種族で制定されている細かいルールはあるものの、大きくみたら、僕たちは生まれてから死ぬというサイクルの中で生きている。その最期の部分を管理する女神の影響力はとてつもなく大きい。天使や悪魔を覗いた種族は、みんなが世話になるのだから。
グレイヴ家は昔から女神との関わりが強い。ずっと前のご先祖様が、どうやら彼女と特別な関係にあったという話もあるくらい。本当かどうかはわからないけれど。
だから、女神とは子どもの頃から顔を合わせる機会が多かった。彼女は冷淡で感情など一つもないように見えるのだが、何故か僕のことを可愛がってくれだ。そういえば、僕が大臣に就任した時も骸骨の室内灯が送られてきた。祝いのつもりらしいけど、飾るところに困ったのは言うまでもない。
「でも。僕は僕の力でなんとかしたかった」
「大臣になられて、功績を上げたいのはわかります。けれども、焦りは禁物です。それに、人脈も能力の一つです」
「——そ、そう言われると」
「反省会をしている場合ではありません。後半も議題が目白押しです。次こそは発言の機会を求められるかも知れませんから。休憩時間はゆっくりとお休みになられるのがいいかと思います。私は少し、他の議事場の進行状況を確認してまいりますから。くれぐれもこのお部屋から出ていかれませんように」
「わかっているよ」
タシットは廊下にいた
「おう、わかったぜ」
老虎はにかっと笑みを見せて両手をバキバキっと鳴らした。なんだか、他のなによりも老虎のほうが危険な存在なのではないかと思うと、恐ろしくなった。
タシットが出て行ってしまうと、室内は静まり返った。廊下からは老虎たちの話し声が聞こえてくる。僕はタシットが準備してくれた薬草茶を飲みながら虎の巻をめくる。妖精族、魔族、天使族。あれ? もう一つ。悪魔族の代表は発言をしていなかったみたいだ。
僕は悪魔族のページをめくる。しかし、そこには『?』と書かれていた。どういうことなのだろうか。悪魔族は謎ってこと? タシットに尋ねたくとも、彼が戻ってくる気配はない。再開されるまで、後どれくらいなのだろうか。妙に静かすぎて怖い。僕は落ち着かなくなって、そっとテラスへ通じる窓を押し開けた。
死の谷は全ての命が成りを潜める場所だそうだ。その証拠に、庭には植物が一つも息づいていなかった。元々、ボルケイノに来てから、植物らしい植物を見かけはしていないけれど。あの、到着した場所とも違って、ここはなんとも寂しい色のない世界だった。もしかして、ヘイディズが暮らす死者の国はこんな場所なのかも知れない。
タシットの話だと、ヘイディズがこちらの世界に出てくるのは、滅多にないことらしい。何故なら、彼女は無意識に、周囲の命を吸い取ってしまうそうだ。だから、世界会議の時も、この場所以外の出入りを禁じられているし、彼女自身もそうしているとのことだった。
「第一の目的は、時間通りにきっちりと話し合いをまとめる。長くここには滞在できません。ではないと。貴方様の命もヘイディズ様に持っていかれます」
彼女との会合は、それだけ危険を伴うということだ。ぼんやりと灰色の世界を眺めていると、どこからともなく声が聞こえてきたような気がした。すぐそばで枯れ木が折れる音がした。
「助けて」
そう聞えた。気のせい? いやどこからか声が……。
「助けて!」
今度は、もっとはっきりと聞こえた。僕は、はったとして周囲に視線を巡らせた。灰色の世界の中、ちらりと明かりが見えた。僕は迷わず死の庭へと走り出す。
(どこだ?)
光が見えた場所に辿りつくと、そこには誰もいなかった。周囲に視線を遣る。すると——。目の前に二つの影が立ちはだかった。
「おうおう。人間族の代表ってよう、どんな野郎なのかと思ったら、随分と間抜けで陰気な野郎だぜ」
「おれたちの罠にもすぐに引っかかる。どんだけお人よしなんだよ」
(罠!?)
「けど、うまそうな匂いがするな。このマント取って、お顔を拝ませてくれよ。へへへ」
狼のような長い鼻を持ち、その下に覗く牙からは、だらしなく唾液が垂れている。
(魔族……か。これは僕をおびき出す罠だったっていうのか?)
二人は両手を鳴らすと、舌なめずりをした。僕よりも三倍くらい大きなからだだった。世界会議に同行しているくらいだから、中級魔族よりは上の実力がある魔族だろう。
(そんなことはどうでもいい)
相手の力量云々の話ではない。そもそも、ここは非戦闘区域だということ。いくら正当防衛とは言え、彼らと戦うことは禁じられているのだ。
「ここでの戦闘は禁じられているはず。お前たちにとってもいい結果にはならない。お前たちはコープスの従者ではないのか」
「へへへ。コープス様は関係ねえ。おれたちはとあるお方から」
「おいおい。余計なこと言うなよ。怒られるだろう?」
「おっと、危ねえな。お前、おれに口を割らせるとは、なかなかの手練れだな」
「……え?」
なにも言っていないけど。勝手に、一人で話しているだけじゃない。二人は僕の前でくだらない会話を繰り返している。
「だから言ったんだよ。お前とは組みたくないって」
「なんだよ。それはこっちのセリフだろう? お前、頭悪いし」
「そういうお前こそ悪い」
「なんだと! お前のほうが悪いだろうか。この前だってお前が、食い物に目を奪われるから……」
「腹が減っていたんだから仕方がねーだろう」
「あー腹減った。早くこいつをいただいちまおうせ」
そこで二人は僕に視線を戻した。
「魔力の高い奴を食うと、力が跳ね上がるっていうじゃねぇか。おれたち、昇進できるかも知れねえ」
「本当だ」
喧嘩をしたり、意気投合したり。結局は仲がいいというところなのだろう。「へへへ」と二人は薄気味悪い声で笑った。正直、勝てない相手ではない。それは本能でわかる。けれど、ここで手を出すわけにはいかないのだ。
こうなったら、ここは——、逃げるしかない。僕はそう判断をして、口元に指を当てた。頭の中でイメージすると、それが具現化する。それが魔法だ。
僕と魔族の間には、大きな光の玉が一瞬で発動した。灰色の世界のそれは眩しすぎた。薄暗い世界に慣れきっていた魔族たちはたちまち悲鳴を上げた。まあ、実をいうと、僕も同じなんだけど。
「め、目が。見えねえ!!」
魔族の悲鳴を他所に、僕は魔族から距離を取るように走り出す。このまま戦ったら、ピスから大目玉を食らう。初めての世界会議デビューで、そんなことをしたら。大臣失格だ。
僕は必死に走る。少しでも、遠くに。そして、控室に戻ることができれば——。そう思った瞬間。眼前に殺気を感じた。からだを翻し、横に避けると、そこには、先ほどの魔族の一人が立っていた。
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