18 仇敵


 今回の一件は、王宮で大問題になった。カースの残党がかなりの数いるということ。そして王の命を狙い、また僕の命も狙っているということ。いや、彼らは王宮の人間だったら、誰でもいいのかも知れない。彼らが望むのは、「混沌」——。


 捕まえてきた獣人たちは、なにも知らない者ばかりだった。ただ、この復興の混乱の中、どうやって生きていったらいいのかわからずに露頭に迷っている者たち。彼らは「稼げる」と言われて集められただけだったそうだ。王は彼らに恩赦を与えた。働き口を斡旋し、自活できるようにしたのだ。


「人間は愚か。あっという間に獣人たちにその座を奪われる日がくるな」


 こっちはたまった仕事をこなそうと、必死で書類の精査をしているというのに。目の前のソファには、アンドラスが寝そべって、葡萄を食べている。


「仕事の邪魔!」


「お前は命を狙われたのだぞ。いつどこでまた襲われるか、わからないから、こうしていてやっているのではないか。人間界に姿を現すのは、おれにとっても、かなりの労力なのだ。それを推してまでここにいてやるのだ。ありがたく思え。人間」


「頼んでないのに……」


 隣に立っているタシットは、僕に耳打ちをした。


「だから、おやめなさいと言ったのです」


「そんなこと言われても。契約解除ってできないの?」


 それに答えたのはアンドラスだ。


「お前が死ねばいい。嫌ならさっさと死ね」


 しかし、彼は「ちょっと待てよ」と葡萄を食べる手を止めた。


「まだだ。お前の魂は、まだ成長段階。青臭くて、とても食べられる代物ではない。もっと成熟してから食したい。ダメだ。死ぬな」


 アンドラスがいると、まったくもって仕事にはならない。僕は腰を上げた。


「どちらへ?」


「ちょっと休憩」


「なんだ。おれも行くぞ」


「いいよ。来なくて」


「そう恥ずかしがるでないぞ」


 アンドラスは高らかに笑うと、僕の後ろをくっついてきた。ここのところ、いつもこうなのだ。アンドラスは僕につき纏っている。


 彼の肩には小さくなっているヤミも乗っていた。ヤミは夜行性だそうだ。こうして日中はアンドラスの肩の上でぐうぐう昼寝をしていることが多い。


 僕は司法省の廊下から、中庭に足を踏み出した。外は爽やかな風が吹いていた。


 王暗殺の事件から、国内は嘘みたいに静かになった。あんなに、あちらこちらで問題が起きていたというのに。やはりあれは王暗殺の伏線だったのかも知れない。


「嵐の前の静けさ」という言葉を思い出す。妙に静まり返っている空気に、何事かが起きるのではないかと不安が募った。


(今回の件は一体……)


「そう気に病むな。それよりも、腕が鈍る。戦いの場に連れて行け」


「戦うのは最終手段。僕は平和的解決を望む」


「なんとも腑抜けな奴よ。契約相手を間違えたか」


「そうだね。間違っているんだと思うよ。ねえ、あっちに行っててよ。必要な時に呼ぶから。一人にして」


 僕は葡萄を頬張りながら歩くアンドラスを見上げる。彼は長身だ。僕の頭一つ分は大きい。彼曰く、どんな姿にでもなれるそうだ。今のこの姿は人型。本来の姿は、梟の頭をしているそうだ。「ポポポ」と鳴くのだろうか。悪魔とはどうしてこうもヘンテコな形をしているのだろうかと不思議に思う。


「人間の世界は面白いことで溢れている。楽しませてもらってもいいではないか。ほら、あそこにも——」


 不意に舌なめずりをしたアンドラスは葡萄を投げ捨てた。すると突然、眠っていたヤミが大型の狼に変化した。アンドラスは腰に下げていた剣を抜き取ると、その白い羽を瞬かせて天高く舞い上がった。


「な、なに——、敵!?」


 僕は慌てて周囲を警戒する。しかし、なにも変わったところはない。剣と剣が交わる音に、はったとして顔を上げると、天空で剣を交えている二人の姿が見えた。


「まったく。王宮をなんだと思っているのでしょうか」


 冷ややかな声に、視線を地上に戻す。そこにはエピタフがいた。彼は口元に指を押し当てる。すると、周囲の草花が一気に成長し、ツルが伸びて行ってあっという間に天空で戦闘を行っているアンドラスと、もう一人の男を拘束して地面に叩きつけた。


 ぐるぐる巻きにされたアンドラス。それからヤミ。そしてもう一人は、鳩の顔を持つ男だった。彼の背中には漆黒の羽が生えている。


「悪魔?」


「私の契約悪魔のハルファス伯爵です」


 エピタフは軽くため息を吐くと、三人(?)の前に立った。


「いい加減にしなさい。いくら仇敵とは言え、互いに仕える主は敵対関係にはありません。手を取り合えぬなら、即刻契約解除。お払い箱ですよ。貴方たち」


「お払い箱にできるの?」


「悪魔の能力を上回る力があれば可能と聞いていますよ」


 知らなかった。しかしなんとも情けない姿だった。ツルはまるで鋼鉄の鎖みたいにびくともしない。エピタフの魔力が込められているのだろう。彼はこんなにも簡単に、悪魔たちを捕まえることができるのか。


「離せ。この白兎。この前は死にかけていたというのに」


「アンドラス侯爵。残念ながら、私はこうして健在です。ハルファス伯爵も、アンドラス侯爵を見ると目の色が変わるのは勘弁願いたいものですね。我々は今や仲間です。手と手を取り合え、とまでは言いませんが、戦いだけは避けていただきたい」


「ポポポ。致し方あるまい。悪魔の中でも我々は仇敵同士。顔を合わせれば、剣を交えないわけにはいかぬ」


「ですが、今は契約者の意向も汲んでいただきます」


 エピタフは二人を交互に見た。


「いかがいたしますか。このまましばし庭に寝転がっているのか。それともここで誓うか」


 アンドラスは僕に「助けろ。主だろう」と言った。


「エピタフ。そこまで厳しくしなくても」


「いいえ。貴方はだから甘いのです。悪魔にはしつけも必要。誰が主か見せつけておかないと。寝首をかかれますよ」


 エピタフはそう言ったかと思うと、パチンと指を鳴らした。それを合図に、ツルはスルスルと庭木に戻っていく。ヤミはあっという間に小さくなって「くーん」と鳴いていた。


「今度このようなことがあったら、無事では済ませません。よく弁えるよう」


 エピタフはアンドラスに一瞥をくれてから、ふと僕を見た。彼はなにかもの言いたげな表情をした後、黙って立ち去った。


 それを見送ってから、僕はアンドラスを見る。彼は珍しく頬から血を流していた。ハルファス伯爵というのは、余程の手練れなのだろう。僕は懐から布を取り出すと、彼の頬をそれで拭いた。


「ハルファスは仇敵だ」


「エピタフと契約しているんだ」


「知っている。先の大戦でまみえた。おれはカースについていたが。ハルファスは魔法省のじじいと契約していたはずなのに。じじいの遺言によって、あの白兎についた。まったくいけ好かぬ奴だ。鳩だし。伯爵のくせに」


「そういうアンドラスはふくろうなんでしょう? 同じじゃない」


「同じなものか。おれのほうが格上だ」


 ヤミも珍しく「ううう」と唸った。同意している、ということなのだろう。アンドラスと契約をしないように言われていたのは、こういう事情もあるのかも知れない。


「まあ、仲良くしてよ。確かに先の大戦では敵同士だったかも知れないけれど。今は味方なんだから」


「味方なものか。あいつとは未来永劫、敵だ」


 アンドラスはむすっとした顔をしていた。


 悪魔とは不思議だ。冷徹で、人間の欲から生まれたくせに。このアンドラスという悪魔は、時折人間みたいにも見える。興味がわいているのは確かだ——いや。


 僕は首を横に振ってから「ともかく。お前はどこかに行っていて。僕が呼ぶまでね」と言いつけた。


 アンドラスは頬の傷を撫でながら、闇に飲まれるように姿を消した。彼がいなくなった後。なんだか独りぼっちになってしまったような気がして、落ち着かなくなる。けれど、僕はずっとこうして一人でいたのだ。騒々しいのはごめんだ。


 彼は悪魔。いずれは人間を裏切る。そして契約者をも殺す悪魔だ。気を許すな。自分にそう言い聞かせながら、僕は執務室に戻った。すると、タシットから広間に行くように告げられた。王が招集をかけているということだった。


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