20 拘束


 マジェスティはまっすぐに僕を見ていた。


「あの時、あそこにいた者たちは、みながビフロン伯爵の幻術にかかっていたのですから、貴方と黒兎の獣人とのやり取りを見ているものはいなかった」


「それは……」


 確かに。博士はいたけれど。彼は地下神殿に隠れていた。あの時のことを知っているのは僕のみ。いくらここで議論したところで、両者の主張のどちらかが正しいなんて、誰にもわかりっこないということだ。

 サブライム様は大きくため息を吐いた。


「マジェスティ殿。その少年の証言を鵜呑みにすることは、大変危険なことである。グレイヴは我が国の司法大臣だ。慎重に精査しなければならぬ。貴方の言いたいことはあいわかった。ここからは、こちらで処理させてもらうことにしよう」


「いいえ。王よ。これはあなた方だけの問題ではないのです」


「どういう意味だ?」


 マジェスティは僕を見た。


「人間だけではなく、魔族、悪魔族まで加担しているとなれば、これは世界大戦の引き金にもなりかねません。我々は最後まで見届ける義務がある。天使族は世界の安寧のためにあるのですから」


 サブライム様は「ふん」と鼻を鳴らした。それから「まあ、いいだろう」と言った。


「ただし、処遇を決めるのは我々だ。口出しは一切無用。我々のルールで今回の件はやらせてもらう」


 アンドラスは軽々と後ろに一回転をして、僕の後ろに立つ。それから「とんだ茶番劇だな」と大きな声を上げた。


「マジェスティ。お前は悪魔より下卑た存在だ。そんなに死者の門の鍵が欲しいか」


「勝手な憶測はやめていただこう。悪魔のいうことに耳を貸す必要はない。彼らの言葉は信じるに値しない」


「どの口が言う。天使とは世界の秩序を守るといいながらも、自分たちのしでかしたことを正当化しているだけの話。蓋を開けてみれば、我ら悪魔と同じ存在。自らのことしか考えてはおらぬ」


「戯言をいうな。悪魔め。お前の力はみなが周知のこと。今回のことは、すべてお前たちのしでかしたことだ。そうでなければ、グレイヴがビフロン伯爵との契約を拒むわけがない。彼は、ヘイディズの寵愛を受けていることをいいことに、世界に混沌を招こうとしているのだ。——入るがよい」


 マジェスティの声を合図に、謁見の間の扉が開かれた。そこには一人の男が立っている。彼は——彼は、タシットだった。


「タシット。お前はグレイヴ家に長く務めてきたが、現当主はその座に座るにふさわしい人物であるか?」


(なに? 一体、なんなの?)


 僕にはこの状況が理解できなかった。タシットは頭を上げると「いいえ」と答えた。


「エア様はグレイヴ家当主としては不適当にございます。早々に大臣の任を解いていただきたい」


 僕の目の前は真っ暗になった。まさか。タシットが。そんなことを言い出すなんて。信じていた。ずっと。僕が生まれたときから。ずっとそばにいてくれた。それなのに——。


 ——グレイヴ家はここで終わりにするのです。


 彼が父に上申していた言葉が、頭の中で響く。タシットはなにやら話をしているようだったが、僕の耳にはもう届くことはない。心が壊れてしまいそうだった。


「……だそうだが。グレイヴ。反論はあるか」


 僕はもう、なにも答えられなくなっていた。僕は唇が震えてしまうばかりで、言葉が出てこない。状況もわからないし、なにを言われているのかもさっぱりわからなくなってしまったのだ。謁見の間はさらに騒然となった。


「衛兵はいるか。この者を捕まえよ。グレイヴは反逆者なり」


(なぜ。どうして。どうして、こんなことになった? 僕はどうしたら——)


 ——我を呼べ。グレイヴの子。


 どこからかビフロン伯爵の声が響いてくる。僕は小さい声で彼を呼んだ。すると、あの時と同じ。まるで金の針のような存在が立ち現れたかと思うと、奇妙は悲鳴を上げた。


 彼の幻影術だ。耳を塞ぎ、床に倒れ込む者もいた。マジェスティの配下たちも、何人かは膝をついていたが、意識を保とうともがいている様が見える。


「おやめなさい! グレイヴ。こんなことをしても、立場が不利になるだけですよ!」


 エピタフの声が聞こえた。けれど、僕は無我夢中だった。


「アンドラス!」


 アンドラスも喜々として剣を抜いた。ヤミが大きくなったかと思うと、アンドラスをその背に乗せた。


 ビフロン伯爵の幻影は天使には効くのか。マジェスティもこめかみを抑えて、必死に幻影から逃れようと抵抗しているさまが見えた。


「マジェスティは、昔から気に食わない。おれに譲れ」


 アンドラスの双眸がきらりと光ると、彼はマジェスティに切りかかった。マジェスティは自分の剣を引き抜いてそれに応戦する。ビフロン伯爵は、僕を守るかのように目の前にたたずんでいた。


「まさか。ビフロン伯爵まで手中に収めているとは。危険です。貴方は大変危険な存在です。やはり死者の門の鍵は持たせられませんね!」


 アンドラスの剣に弾き飛ばされたマジェスティは、距離を置き、僕たちと対峙する。彼は今までの冷静な仮面を外し、険しい表情のまま、その純白の羽を大きく広げると、空中に舞い上がる。アンドラスを乗せたヤミがそれを追随するかのように、床を蹴り上げた。


 床に倒れ込んでいるタシットが見えた。僕は彼の元に駆け寄ろうとしたが、それは叶わない。マジェスティの配下である天使が目の前に立ち塞がっていたからだ。さすが天使たち。幻影術を解いたようだった。


 僕も腰に下がっていた剣を握る。もう引き下がることはできない。そう思った瞬間。「やめい」と鋭い、それでいて凛とした声が響いた。その場で動いていた者たちは、動きを止めた。


 その瞬間。アンドラスとビフロン伯爵のからだに銀色の鎖が巻きついたかと思うと、あっという間に、マジェスティの部下が持つ銀色の小箱に引きずり込んだ。全てを飲み込んだ後、箱の蓋がパタンと音を立てて閉じた。


 僕のからだが思わず反応した。二人を助けなくては。そう思ったのだ。けれど、サブライム様は険しい表情で僕に言った。


「ここで争うことは禁ずる。エア。これ以上、おれの手を煩わせるな」


 僕の手から力が抜ける。剣が床に転がった音で、我に返った。


(僕は一人だ。もう誰もいない……)


 床に膝をつく。


「マジェスティ殿も。我々の領地での戦闘行為は許可できない。控えられよ」


「承知しました」


 銀色の悪魔封じの箱に入ってしまったビフロン伯爵の幻術が解かれていった。スティールたちも目が覚めたようだった。


「さあ、騎士たちよ。この者を拘束するのです」


 マジェスティの指示に、ばたばたと人が走ってくる音が響いたかと思うと、騎士が数名、謁見の間に入ってきた。そこには老虎の顔が見えた。彼は僕のからだを引っ張り上げると、縄で両手を縛った。


 その間、僕はタシットを見ていた。彼はふらつくからだを必死に保とうとそこに立っていた。


 いつもはきっちりしている髪は乱れ、そして疲労の色も濃い。深く刻まれた皺が、彼をますます老齢に見せる。僕は彼に随分と恨まれてしまっていたのだろうか。そう思うと、心が痛んだ。


 老虎「すまねえ」と小さい声で言ったかと思うと、僕の後ろに立った。サブライム様はじっと僕を見ているばかり。僕もその碧眼を見返す。彼は「連れていけ」とだけ言った。


 僕は老虎たちに囲まれて、謁見の間から連れ出された。僕の未来に道は見えない。僕は本当の意味で暗闇の中を歩いているようだった。




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