21 牢獄
地下牢はじっとりと湿っていて、ひんやりとしていた。仄かに揺れている炎だけが頼りだった。
まさか、ここに自分が押し込められるとは思ってもみなかった。僕は腕を後ろで縛られたまま床に転がされていた。どこかで水が滴る音が聞こえてくる。静かだった。炎がジリジリと燃える音が妙に大きく聞こえてきた。
まるでビフロン伯爵の幻影に陥った時みたいに、僕は自分の中に漂っていた。これは僕の夢でも幻影でもない。これは現実なのだ。
ずっと僕のことを心配してくれて、そばにいてくれたタシットが。僕を貶めることをした。
(信じていたのに。信じていたのに。信じていたのに……)
両親も亡くし、僕にとったら家族みたいな存在だった。僕を無条件に支えてくれる唯一無二の存在だったのに……。
(無条件だって? 笑わせる)
心のどこかで、もう一人の僕が嘲る。そうだ。そう。僕はタシットに甘えてきた。
タシットなら許してくれる。
タシットならなんとかしてくれる。
僕はそうやって、いつも甘えてきた。一人ではなにもできないのだ。
タシットだけではない。サブライム様やエピタフ。スティール。そして老虎にも。僕のせいで、嫌な思いばかりさせてきた。面倒をかけてばかり。
あの時、剣を抜いてしまった。天使族への攻撃は、戦争にもなりかねないというのに。
サブライム様はあの場を丸く収めて、僕を擁護しようとしてくれていたというのに。結局、最後には僕が全部駄目にしてしまったようなものだ。最悪の結果だった。
(僕は存在する価値もない)
頬を温かいものが伝った。これは——涙。涙なんて、流したことがあっただろうか。一度意識してしまうと、涙はとめどなく流れ落ちた。出したくもないのに、「うう」と嗚咽が洩れた。悔しい気持ちと、悲しい気持ちでいっぱいだ。
悪魔たちにあっという間に殺されても仕方がないくらい弱っているというのに。アンドラスは姿を見せることはなかった。彼らは悪魔封じの銀の箱に捕まっている。悪魔は死にはしないが、封じられてしまうと、身動きが取れない。
(本当に誰もいなくなってしまったんだね……)
殺すつもりでもいい。アンドラスに会いたかった。
どれくらいそうしていただろうか。ひとしきり泣くと、涙も出なくなった。その時。どこからかうめき声が聞こえてきた。痛みに耐えるような、か細く、苦し気な声だった。
暗闇の中、視線を巡らせると、向かい側の牢獄に人影を認めた。フードが邪魔でよく見えない。僕はからだを動かして、目を凝らす。するとそこには、先ほど天使族が連れてきた犬族の少年がいた。
彼は床の上に敷かれた布に寝かされていた。あちこち痛むのだろう。時折、うめき声をあげている。
「……っ」
僕を陥れた少年。けれど、彼には彼の事情があったのかも知れない。天使族は彼を助けたりなどしない。こうして彼もまた罪人扱いをされて、こんなところに押し込められているというのか。
「苦しいの。苦しいよね。ああ、そばにいって治療してあげることができたらいいのに」
僕は思わず声をかけた。
「……ごめんなさい」
彼は時々、そんなことを言っていた。けれど、苦しそうにうめき声をあげたあと動かなくなってしまった。彼の生が終わりを告げた瞬間だとわかった。
フードの合間から見える彼のからだから、青白い炎のようなものが立ち上がった。魂の旅立ちだ。彼の魂は死者の門へと流れていく。
(君はどんな人生を送ってきたの? なぜこんなところで、一人で死んでいくの?)
答えが返ってくるわけでもない。僕はただじっとその炎を見つめていた。
「赦すよ。安らかにお眠り。僕もすぐに追いかけることになるかもしれないな……」
青白い炎は、少しずつ光が増し、天井まで届くと立ち消えていく。その炎は微かな光で、よう目を凝らさないと見えないくらい儚いもの。多分、僕にしか見えない光。
僕は祈った。ヘイディズのところに無事たどり着くように。そしてきっと、次はもっと違った人生を歩むことができるようにと。
「君は一人で旅立った。僕も一人だよ。もう誰もいないんだ。僕の信じていた人は、いなくなったんだ」
ここにはもう、僕しかいないというのに。僕は呟いた。
死は怖いものではないはずだ。僕たちグレイヴ家は、ずっと生まれた時から、死と向き合ってきたのだから。
けれど、僕は「怖い」のだ。ずっと「怖い」と思ってきた。グレイヴ家に生まれて、それは恥ずべき事だった。だから僕は、ずっと心の奥底にそれを押し込めてきたのに。
(そうだ。僕は死が怖い。何故なら、僕の世界が終わってしまうからだ。僕はまだ、なにも成し遂げていない。だから、僕は死にたくなかった……けれど)
——もう誰もいないなら、ここに存在する意味はない。
(違う。人に求められたからいるのではない。僕は僕の信念をもって、ここにいる)
——それはお前の独りよがり。もう誰もお前のことなど相手にはしない。お前は必要とされていないのだ。
(……そうかも知れない。そうかも知れないね)
目を閉じて息をしていると、どこからか足音が聞こえてくる。牢獄の入り口には、騎士たちが見張りをしていて、定期的に僕たちの様子を見にくる。それだろう。そう思って目を瞑っていると、ふとその足音は僕のところで止まった。
僕はフードの影からそっとその人影を見上げた。炎で逆光になってはいるけれど、そこにいたのは——タシットだった。
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