16 悪魔対悪魔


 僕の視界に光が差し込んだ。僕は目を瞬かせて周囲を見渡す。ここは闇の中でもなんでもない。ここは月の神殿。目の前に広がるのは、意識を失う前と、なに一つ変わりない光景だった。


 違っていたのは、ビフロン伯爵の口元から、黒い血が一筋流れているのと、黒兎の男が、倒れているサブライム様に剣を突きつけているということ。


 ビフロン伯爵は更に血を吐き出した。


「あの幻影を破ったというのか?」


 黒兎の男は慌てた様子で声を上げた。僕は一瞬で状況を把握した。サブライム様もアフェクションも、騎士たちも、みながその場に倒れている。幻影をみているのだ。黒兎の男は、その間に僕たちを殺そうという魂胆だということ。


「アンドラス。殺すな。聞きたいことがある」


 僕の声とほぼ同時に、黒兎から悲鳴が上がった。彼の腕が、剣を握りしめたまま地面に転がっていた。黒い狼にまたがっているアンドラスは、黒兎の首元に、その剣を突きつけて、そこにいた。


「こういうクズな魂は、食するに値しない。消し去った方が世のためだぞ」


「ダメだ。お前は僕と契約をした。違うか」


「違わんな」


 彼は肩を竦めると、剣についた血を振り払った。それからビフロン伯爵と対峙する。


「主の危機ぞ。おれと殺りあうか。伯爵」


 ビフロン伯爵は流れ出た血も構わずに、アンドラスに向き合う。それから、半開きの瞼を持ち上げると、その灰色の瞳で彼を見返していた。


「主が望むのであれば」


「いい心がけだな。だが、おれのほうが格上だ。お前の得意技は、おれには効かぬ」


「笑止——。使わずとも我が優位なり」


 互いの殺気に、その場の空気が震える。黒兎は切り落とされた腕を抑えて、じわじわと後退していった。


「おい、はやく、こいつを取り押さえろ!」


 指示された獣人たちは、顔を見合わせた後、僕に向かって襲い掛かってきた。僕はそばに落ちていた剣を拾い上げると、それに応戦する。彼らは困惑しているようだった。そんな状態の獣人たちを打ち負かすのは造作もないことだった。


 その間にも、アンドラスとビフロン伯爵の戦いが始まる。頭上の炎が揺らめくと、地面から、漆黒の手が、一本、また一本と立ち現れる。それからゆっくりと漆黒の存在は姿を現す。


 伯爵が好んで使う死者たちだ。彼はネクロマンシー。死者を動かす能力があるのだ。アンドラスは剣を振るい、次から次へと現れる死者たちを薙ぎ払う。彼らに意志はない。魂もすでにここにはない存在。ただの傀儡だ。


「死してなお、働かされるとは。こやつらも思ってもみなかったことだろう」


「戯言ばかり抜かす」


「無力な者ばかり当ててきても、おれを倒すことはできぬぞ。ビフロン伯爵」


「過ぎた口を利けるのも、今のうちだけ」


 死者たちは、数を減らすことはない。狼に噛み捨てられようが、蹴り飛ばされようが、執念深くまとわりつく。そのうちに、狼は身動きが取れなくなってしまった。


「アンドラス」


 僕は口元に指をあてて、魔法を使った。青白い炎が狼にまとわりついた死者たちを焼いた。彼らには痛みも感情もない。ただ静かに、地面に倒れていき、そして土に帰る。


 アンドラスは笑みを浮かべて見せた。


「心配してくれるのか? 優しい奴め」


「ち、違うよ。そんなんじゃないけど……っ」


 僕は獣人たちに視線を戻す。彼らには、もう戦意がないことが見て取れた。炎の魔法を森に向けて放つ。彼らは火に追い立てられ、そして一か所に集まった。それをさらに火で塞いだ。本物の火だったら、あちこちに燃え広がるところだけれど、魔法とは便利なものだ。自分の燃やしたいところだけに火を放つことができるのだから。


 戦う意思がなくとも、逃げられては困る。獣人たちを炎の檻であらかた捕獲した後、アンドラスに視線を戻すと、彼はビフロン伯爵と剣を交えていた。大丈夫だろう。そう判断し、今度は黒兎に視線を戻す。彼は情けないことに、地面を這いつくばったまま、必死に逃げようとしているところだった。


「聞きたいことがある。お前ひとりの仕業とも思えない。お前の後ろに誰かいるのではないか」


「ひい」


 剣を突きつけると、彼は怯えたように身を縮こまらせた。


「国内で色々な揉め事が起こしているのも、お前たちの仕業なのか。大臣たちの力を分散させ、そして王の暗殺を目論んだな」


 矢継ぎ早に質問をしても、彼はぶつぶつとなにかを言っていた。


「話が違うじゃないか。グレイヴが一番弱いと聞いていた。だから楽勝だって。この仕事は一番楽だから安心しろって言っていたじゃないか」


「誰に言われた?」


「だ、誰って。そんなこと、言えるわけないじゃないか」


 彼は突然、身を起こすと僕の足にすがってきた。


「助けて。殺される。失敗したとわかったら殺されます。どうか、どうか。私を助けてください」


 彼は涙を流し、ぶるぶると震えている。なんだか哀れに見えてきた。僕は剣を下して、男の元に屈みこんだ。


「お前が知っていることを話すならば、司法省で保護しよう。ただし、正当なる方法での裁きは受けてもらうことになるがな」


 この黒兎は重要参考人だ。とてもビフロン伯爵と契約ができるような人格者には見えないというのに。不思議なことだった。王宮に連れ帰り、取り調べをする必要がある。そう思った。しかし——。


 男の目が怯えから憎しみに変わった瞬間。彼は、近くに落ちていた剣を拾い上げると、僕に襲い掛かってきた。あっという間の出来事。僕は黒兎の男に組み敷かれてしまった。


「死ね。死者の門を開くのだ!」


 目の前に剣先が迫る。けれど、どうしてだろうか。不思議と怖くはなかった。まるで闇夜のような空が見えた。黒兎の男の必死の形相が見えた。時間がゆっくりになってしまったように、すべてがよく見える。


 黒兎の男の首が。横に飛んで行った。そのあとに見えたのは、燃えるような真っ赤な髪の男。


 僕の上から、黒兎の男のからだがずるりと落ちていった。


「塵にはしていないぞ。褒めるか?」


 アンドラスはにやりと笑みを浮かべた。僕は男のからだを退けると、軽くため息を吐いてから彼を見上げた。


「王暗殺の企ては死刑に値する。けれど、その前に聞きたいことが山ほどあったよ。その機会を失った。褒められないね」


「なんだ。残念だな。せっかく助けてやったのに。また感謝の言葉を述べぬというか」


「お前は僕と契約した。助けて当然だろう?」


「なんと。やはりお前は弱々しく見えて、太々しい人間だ」


 アンドラスは形のいい唇を上げて、艶やかな笑みを見せた。




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