-1- 其の参

 病院は七階建てのビル、その屋上からは隣町まで見渡せた。

 ここから落ちれば――


「一発だろうな」


 遠くの空には、多くの過去の偉人が今日も輝く。

 僕も彼女も星に――何者かに成れるとまでは思わない。

 何者にもなれず自殺する僕は、もしかすると地獄に落ちるのかもしれない。


 神を信じる彼女と、

 何も信仰しない僕は、

 向こうの岸辺でパーテーションの薄いベルト一枚で分けられたり?

 

 あの世で、一緒になれるだろうか。

 僕は、どこに行く?

 人は死んで、どこに行く?


「まあ、いいや。見てみればわかることだ」


 僕の身長よりも、さらに高いフェンスをよじ登る。

 冷たい夜風が背中を押すように吹き抜けた。

 これが人生の終わり。

 僕は恋人の殺人未遂犯として、最悪で最低の人間として。彼女の最後の記憶に残る。本当に最低だ。彼女の親である先生にも……本当にごめんなさい。僕の命で償えるものはないだろうし、僕が死んだだけで、何もかもが解決するわけでもない。

 だから、これは逃亡で、彼女から、世界から逃げるだけの無様な行為。

 さて、飛ぶか。


 フェンスの外に立って、はるか下を見る。

 ちょうど落ちた先は、コンクリートのタイルで、上手に頭を割ってくれるだろう。


「さて、向こうで会えるかな」

「いや、それはもっと先だと思うよ」

「え?」


 半分、身を乗り出していた。

 そんな僕の右隣りから声がする。

 え? 声の方を見る。

 同じくフェンスの外に、人がいた。

 灯りのない、暗い屋上だったが――白くて薄いシャツ、白いショートパンツ、そしてそれよりも光を反射させて見える白い肌――彼の姿が闇に浮かび上がる。髪色も白く、日本人ではないようだった。それか色素が限りなく薄い人間か――だとしても、自分のような純粋な日本人とは明らかに顔立ちが違うか。


「危ないよ、こんなところで」

「あ、はい」


 服の後ろ襟が捕まれ、止められる。

 そんな細腕のどこに力があるのか、半分以上死出の旅路に乗り出しかけていた体が、屋上へと引き戻される。それに、僕はどうしてだと心の中で叫ぶ。

 僕は、力なく屋上にへたり込んだ。

 力いっぱいに、手首を噛む。

 口の中に血の味が滲むだけ噛んでも、噛み切れるわけでもないのに。

 すべてを流して、死ねたらいいのに。

 彼女の下に、行けなくても。それでも。


「タケル、君は死にたい?」

「なんで、僕の名を?」

「死にたいの?」

「うん、もう……どうでもいいんだ」


 彼(?)に顔を覗き込まれ、話しかけられる。

 でも、僕の言葉には答えてくれず、無視して言葉が続けられる。

 男だと思うけれど声は少し高めで、顔は女の子のようにキレイで、喉ぼとけがあるように見えなくもない。どっちなのかは、見た目だけでは判断できそうもない。

 声変りをしてない男の子?


「ねえ、人の魂は、どこにいくと思う?」

「え?」


 ワン――「おっと、しまった」


 彼が会話に入ろうとした矢先、犬の鳴き声が遮った。見れば病院の屋上に犬が繋がれている。

 黒や茶の毛色の混じった大きな犬だった。

 いるはずはないのに、あるはずがないのに。


「迷子になっていたんだ、この子」

「いや、ここ病院……そもそも屋上なんだけど」

「そうか。でも、まあ、君の答えが聞きたいな」

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