-0- 其の弐

 先生や父や朝日さんがリビングのテーブルで話をしている傍ら、僕とルナは床の上に座って遊んでいた。と言っても、彼女が家にあった画用紙に何かを書いているのをただただ見ていた。僕が遊べるようなものはなかったし、いつもは先生が僕に向かって何か面白そうなことを言ってくれるのだけど、その日は三人の話が盛り上がっているようで、僕はただただルナが遊んでいる様子を見ているだけ。

 初めて先生の家が楽しくないと思った。

 僕は、床にあおむけになり、またうつぶせになる。

 ただただゴロゴロと転がって、偶然にも彼女の手元を覗き込む形になった。

 彼女は、短くなった青や水色の色鉛筆ばかりを使って、緩やかな曲線を描いていた。

 波の模様?

 僕は彼女に聞いてみた。


「何を描いてるの?」

「あし」

「あし?」

「クラゲのあし」

「クラゲ……」


 僕はあまり納得しないまま、彼女の言葉のままに繰り返す。


「クラゲ」


 彼女もまた繰り返す。

 そして、僕に長いままの緑の色鉛筆が手渡される。


「魚描ける? ルナ、上手に描けなくて、クラゲなら描けるんだけど」

「描けるよ、ここでいい?」

「うん!」


 僕は、ちょっとだけ自慢げに、でも細心の注意を払って魚を描いた。

 今まで人生の中で、もっとも上手くかけた魚だと思う。

 彼女は、何も言わなかったけれど、目をキラキラと輝かせている。


「ねえ、一緒に描いてみる? もっと大きく、広い海を」

「うん」


 僕は先生の部屋に向かい、テープを持ってくる。

 彼女は画用紙を六枚、リングから切り取っていて、その紙のまっすぐな辺同士をテープでくっつける。広くなった紙の下に、僕は灰色の色鉛筆で地面を描いた。


「これで良し。描こう」

「描こう」


 僕は、彼女のクラゲの合間を縫うように魚をたくさん描いた。

 短くない赤や黄色の鉛筆を使って。

 彼女も、負けじと紙をクラゲで埋め尽くしていった。

 水色や紫だけだったが、僕が鉛筆を差し出し、カラフルに光るクラゲたちも次々と生み出されて行った。


「ねえ、お城描ける?」


 もう描くものも描ける場所もほとんどなくなったころ、彼女は言った。


「お城? 竜宮城のこと」

「ううん。ちがうの」

「ちがうの?」

「お父さんがいる、お城」

「え?」


 彼女の言葉の先を聞けなかった。

 僕の父が「もうこんな時間か」と時計を見て、大きな声を上げた。

 そして、僕らが作り上げた作品に「おおっ!」と言って気づく。僕とルナは皆から変におだてられ、持ち上げられ、褒められて、もみくちゃにされた。僕はちゃんとルナの言葉の先を聞いておくべきだったと思う。

 竜宮城とも違う、彼女のお父さんのいる城の正体を。

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