-2- 其の肆

「眠れない?」


 隣から言葉がかかる。

 もぞもぞと体を動かしていたのが、煩わしかったのかと思い。


「すみません」と謝る。

「いや、ボクは眠らないから」


 そう言われた。

 そんな風に言われて、僕は声に聞き覚えがあった。

 顔を上げる。


「なんで、ここに?」

「ボクもロシアに行くってだけさ」

 声の主は、ソラであった。


「ロシアに?」

「そう、君と同じように」

「なんで?」

 僕の質問に、彼は答えなかった。


 

「北海道には、アイヌ民族というのがあるよね」

 小さい声で、言った。


 僕にしか、聞こえないような声だった。

 周りは、みんな同じように芋虫のように丸まって眠っている。


「彼らは、死後も同じような世界があり、同じような生活で暮らすと考えるらしい。愛用の道具も共に逝かせてやる。美しい心意気だと思うよね」

「共に送るって、どうするんだ?」

「愛用の小刀なんかに傷をつけて送っていた。死者とともに」


 ん?

 どこかで聞いたことのある話だ……


「僕らが、棺に一緒に物を入れてやるようなものかな。花とか、小銭いれたりとかね」

「昔は、本当に小銭を入れてたやつだね。でも、また違うものだと思うけど」


 あれは永遠に使えるものじゃないし、と。

 仏教の話では、人は死んでしまってから旅をする。三途の川を渡り、地獄の十王の裁判を受けるために。裁判所となる王らの庁舎の間は、死者が歩いて移動していく。川を渡るのに六文、道中にも路銀が必要だ。そして、人は次の道に至ると言う。

 道。

 終焉に、あるいは再び始まりに至る道。

 または一時の休憩室なのかな。


 他の神様の元では、神の御許に行くってやつだ。

 誰もが皆『人生』を歩み、死後も足を止めることはできない。

 悲しく、また残酷に――僕らの道はそうして続いている。


「本当のことを言えば、アイヌの人たちもまた居るんだ。他の神を信じる人たちも居る。だから、悲しいと思うことはない。すべての生き物が、ただちょっと休むってだけだよ。まるで水から上がった生き物が水面で息を吐くみたいに」


 だから、悲しむなという。

 しかし、僕からすれば、会えないことが寂しいんだ。

 いつか会える約束を、どうにも信じられない子どもみたいに。

 僕は、彼女の姿を思い描く。

 そして静かに眠った。



 

 翌朝。外は銀世界に変わっていたが、空だけは噓みたいに青かった。天候は、昨日一時だけの荒れ模様だったようで、今日は普通に飛行機が飛んでくれるらしい。他の乗客たちも、化かされたようだと言っている。

 狐にだろうか? それとも?

 いつの間にか、ソラはいなくなっていた。

 僕は手続きを済ませて、飛行機へ乗り込む。

 席は、ビジネスクラスに通された。

 そういうチケットだったらしい。先生の取ったチケットだ。甘えよう。

 席は一列に六席あり、隣に人がいるタイプであった。

 先に僕が乗っていると、


「隣、失礼するよ」とソラがやってきた。

「嘘だろ?」

「偶然だよ」


 なんて言っている。

 そんな偶然なんてある訳がない。

 あるとすれば、超常的な力だろう。


「まあ、静かにしているよ。ボクもまだまだ眠いし、飛行機は何時間もあるんだろ」

「ああ、分かった」


 そう答えるとソラは席を倒し、丸くなって眠ってしまった。

 僕はやることもないし、映画をつけたり、本を読んだりしてから眠りについた。空港の椅子では疲れも取れていなかったらしい。


 僕は再び夢を見た。

 水の中にいる夢だった。でも、この前のような海の中ではない。もっと狭くて、冷たい水の中。

 目の前に、キレイな女性がいた。

 僕は――彼女を知っているようだ。

 分厚いガラスの向こうにいて、少し遅れてから僕がここから出られないことを悟る。

 呼吸ができない。

 苦しい。

 ガラスを叩く。

 分厚いガラスだ、割れるわけがない。

 出られない。

 助けて。

 体の中で、血が暴れているよう。

 空気が欲しい。

 限界だ。

 口から泡が溢れる。

 死ぬ。

 死――

 意識が、遠く――

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