-2- 其の参

 なんで、昨日の今日でこうなっているんだろうか。

 目の前が、真っ白になる。

 僕の手には、一枚のチケットが握られている。

 千歳空港経由モスクワ行きの飛行機のチケットだ。

 普通に羽田発で良かったと思うのだけど? 羽田からの直通であったなら、こんなことにも巻き込まれていないだろうに。


 僕は、北海道へとやってきた。

 四月のはじめの北海道は、まだ冬と言っていい銀世界である。

 なんでも、今年は特に雪が長い年だったとか。

 ちなみに今日の天候は、雪。

 信じられないほどの猛吹雪。

 それも僕が北海道について、急激に悪化した。運がないにもほどがある。

 雨男ならぬ……いや、それは違うか。下手な例えだった。

 なので、飛行機は飛ばずに、ここで一時的に足止めだ。

 先生の代理としてロシアに行くのだが、果たして僕でいいのか? 人選ミスな気がしている。確かに、彼の代理となるべき人間は、その研究を深く理解している者であるべきだが……研究の特殊性ゆえに学内でも理解しているとなると、僕になってしまうのは仕方ないけれど。適任というのなら、教授本人以上の適任はいないのに。だが、教授本人は「今、日本を離れるわけにいかない」と言い、だが誰かは向こうで機械の話を聞く必要がある。結果、僕が行くしかないとなったわけだ。

 僕が行くと宣言するしかなかった。


 茜原教授の専門は、理工学である。

 それも神智学を元にした理工学というのを研究している。

 死後の世界を理科的に証明すること。

 この研究のゴールの一つに『エジソンの霊界通信機』がある。彼が『あれ』を手に入れたかったというのは、確かに理解できる。あの機械が、長年の研究のブレイクスルーとなりえるかもしれない。

 それが僕の背中に乗っている。

 責任が、今の吹雪のように降り注ぐ。

 僕が行くなんて、言わなきゃ良かったか。

 眠れる場所を探すか。

 先生の代わりに、ということで僕にはある程度の旅費がもらえている。学生の身分ながら普段なら絶対に入っていない金額が今財布にある。ホテルを取ることもできると思うが、あまり無駄な出費は避けたい。向こうでどんなことになるかは分からないのだから。

 不安とプレッシャー。

 初めての国。

 ただただ気が重い。

 僕は、開いている椅子を見つけて、カバンを抱えるように座った。

 眠ろうと考えても、思うように寝つけるような場所ではない。硬い椅子に座って眠る状況が、いつもと違う負荷を与えてくる。自分の状況に、少しだけ――ほんの少しだけ後悔する。すべてのことに意味があると、彼女は言うけれど。

 やがて、僕は彼女のことを考え出す。


 自分の置かれている状況を、飲み込む彼女の強さ。

 どうしたら、そんなことができるのか、僕には分からない。

 もし自分が同じ立場なら……考えただけでもゾッとする。僕は泣きわめいて、彼女の前であっても取り乱して、死の恐怖に絶望し、そうしてこの世を恨みながら死ぬ。死んで、それからもずっと世界を呪うのだろう。

 それが普通とは言えないまでも、僕を排除する世界に――彼女を排斥する此岸に、僕は彼女のように微笑みかけることはできない。もしもできるなら、聖女のように清らかな……いや、清らかなのだろう。彼女は、美しい人間だった。

 彼女の死を想う。

 彼女の死を。

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