-X――もしくはcross‐ 其の壱
一九一〇年・アメリカ。
ニュージャージー州の海岸を、私は歩いていた。
歩いてはいたものの、何か目的があったわけでもない。研究の合間の休憩というか、研究疲れをほぐすための散歩みたいなものだった。まだ朝の陽ざしが残る、昼の少し前の時間、まだまだ寒い海岸には人の姿はほとんどない。
日差しが波打ち際に反射して、眩しく光り輝いている。
◇
「オカベ、君はあの国の人間だろ。聞いてみたいんだ、あの世というのを、君はどう考える?」
「そんなに変わったことじゃないですよ。三途の川――つまり、この世とあの世の境界を越え、神みたいなものの審判を受けるんです。そこから人は、六本の道に向かうというのが日本の死後の世界の考えですよ」
「僕が面白いと思うのは、境界という考え方なんだよ」
「境界、ですか」
彼は黒板に一本の線を引く。
上下を分けるようにして、そこに〝現在〟と〝死後〟と書いた。
「ここに川が登場するんだ、水が二つの世界を分けている」
「考えたことはありませんでしたが、たしかにそうですね」
「超えられると思うんだ、肉体は無理でも、電波なんかは超えられると思うんだがなあ」
と言いながら、博士は歩いて行った。
もうこちらの方を見ていなかった。
自分の世界に入り混んでしまったら、簡単には戻ってこない。
そんなことがあった。
でも、答えが簡単に見つかるとは思えない。
誰もが見つけてこなかったルートに、今一歩を踏み出そうとするのだから。
簡単に答えがあるのなら、誰も悩まなくていいだろう。しかも、今世紀最高とも言うべき天才が、ここまで悩んでいるのだ。答えはこの世にはないのかもしれない。
もはや、誰もたどり着けないのではないだろうか。
そもそも答えは眉唾ものなのだが。
◇
波打ち際のぬかるんだ砂浜をつま先でほじくり返しながら歩く。
時折、少し高い波に足先が濡れる。
少し歩いたところに、女の子がいた。
まだその服装では厳しいだろう、真白なワンピース。
波打ち際で遊んでいるのか、手にはバケツを持っているようだった。
黒髪を見たときから、少しだけ予感していたが、日本風の顔立ちをしている。
女の子のようだった。
「どうしたんだい」
声をかければ、日本語が返ってきた。
思ったとおりだ。
「クラゲを逃がそうと思って」
「クラゲ……」
バケツを持っていたのは、それでかと思い、中を覗いてみた。
中には、見たことのないクラゲが入っている。
白い傘の下に、極彩色の器官がいくつも連なり、足を含めるとまだ未就学児だろう少女の身長を超えそうだった。
巨大に成長するクラゲの種は確かにあるが、恐らくそのどれにも当てはまらないと推察される。これは……なんだ……。
「これを海に返そうと思って、連れてきたの」
「返そうと思って、って……これをどこかで飼ってたの?」
「私の家に古くからいる子で」
そんなことを言おうとしたときに、向こうから人が走ってくるのが見えた。
白い着物に赤い袴の女が二人、その後ろを神職の姿と言うべき男が走ってくる。
この異国の地で、それはあまりに異様だった。
日本の地であっても、しかるべきところでしか見ない光景を、どうしてアメリカで見ているんだろうか。いや、そうではないな。アメリカの地で、神道のような(予感ではあるが、恐らく「ような」で間違いないだろう)ことをしている人間がいるという事実は、どうにも理解がしがたかった。
新興宗教というのかもしれない。
「姫、どうしたんです」
巫女の女が、彼女の肩を掴んでいった。
心配よりも、彼女の行動の正しさを疑っているかのような言いようだった。
「ヒメ?」
「え、ああ、彼女が姫子なので……あれ、日本の方ですか」
「はい。今、エジソンの研究所で働いておりまして」
「エジソン――さん」
後ろから息も絶え絶えにたどり着いた男が、彼の名前を口にした。
「あの、あれは本当ですか?」
「何がです?」
「死後の世界との……通信ですよ」
知っている人間がいたのか。
「企業スパイみたいなものではないですよ。私たちが、そもそも得意分野でして」
「え?」
「お力になれるかも、というお話です。どうですか? エジソンさんにご紹介いただけませんか?」
「は?」
彼らが何を言っているのか、理解できなかった。
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