-2- 其の捌

 僕は、再び元の部屋へと戻ってきた。

 目の前に座るアナスタシアを睨みつけている。

 彼女は、素知らぬ顔で座っている。


「そんなに睨まれても、何もできないよ」

「あれは、殺人でしょう?」


 彼女は、ため息を吐いた。

 心底、失望したとでもいうように。


「私たちはね、人の魂の所在が体内の水の中にあることに気づいた。死ぬと即座に失われる体内の水、およそ二十一グラム――それこそが人間の魂を司るんだってね。これを逃げないように死の直前から密閉容器で保存し、死後も長く話せるようにした。それが成功と言わずに、何だと言うの?」

「でも、それは永劫ガラスのカプセルの中に、人を捕らえ続けるだけでしょう?」

「そうね」

「なら、それはずっと神の元には行けないってことですよね」

「あなた、神様を信じる?」


 そう問われると口ごもってしまう。

 僕が神を信じているわけではない。

 けれど、僕は彼女を信じている。


「あなたはいないの? 大切な人」


 アナスタシアは、話題を変えた。


「いますよ」

「どっちが長く生きると思う?」

「彼女は……」


 僕の態度で察したようだ。


「そう。でも、そんな彼女と長く話せたらどう思う?」

「幸せかもしれません。でも、彼女の苦しい死に顔は見たくないです」


 アナスタシアは、短く「そう」と言って、また深く息をついた。

 自分たちの研究を、自分たちの成果を、しっかりと理解してほしいのは分かる。しかし、法に触れ、倫理の外にある発明を、僕は「真っ当なもの」だとは理解できなかった。悪魔の発明と言わずして何というだろう。

 僕らが互いを理解しえぬまま、室内に嫌な空気が立ち込める。

 が、それを切り裂くように警報音が響いた。


「?」


 全員が意味もなく顔を上げ、ドアの上の赤い回転灯が非常事態を知らせる。

 アナスタシアが立ち上がり、ドアの前へと行こうとするが、セルゲイがそれを止めた。


「私が」


 そういうと、部屋を出ていく。

 次の瞬間、乾いたパラララという音と共にセルゲイの巨体は地面に崩れた。


「⁉」


 彼女も、僕も、体を硬直させる。

 何が起きている。

 建物内のそこかしこから、音がする。

 悲鳴と銃声。連発したマシンガンのような音もする。

 今のような……。


 部屋のドアが大きく開かれ、マスクをつけ武装した人間が現れた。

 手には、マシンガン――だと思われる――を持っている。

 僕は、何も言わずに手を上げた。

 マスクの中の人物は小さく、そして英語で、


「当たりだったな」

 と言った。


 男の声だった。

 僕は訳も分からず手を上げ黙っていた。

 銃口が静かにアナスタシアの方へと向く。

 そして、感情なんて持ち合わせていないかのように、白衣を真っ赤に染め上げた。


 

 彼は、僕を部屋から連れ出した。


「ラボを見たか?」


 僕は、頷く。


「案内してくれ」


 頷く。

 僕が先になって歩き、彼が後ろからついてくる。

 銃を持った相手が後ろからついてくるのは、あまりに落ち着かない。けれど、先に行ってくれとも言えず、僕は生きた心地なんてしないまま彼をラボへと案内した。アナスタシアの死体とセルゲイの死体……それに途中で多くの研究員の銃殺死体を目撃した。

 全員が元は生きていたものだとは思えないほどに、無惨にも人の形から遠い物へと変わっていた。


 ラボの入り口には、しっかりと鍵がかかっていて、通れなくなっている。

 僕は鍵を持っていないし、鍵は網膜をスキャンしないといけない構造だった。

「通れない」と言おうとしたとき、彼の後ろから別の人間が現れた。

 それは彼に透明なビニールの袋を手渡した。

 中には赤い何かが入っていた。

 そのものが何なのかは、取り出されて初めて分かった。

 目玉だ。

 青い瞳をしている。

 彼が抉り出された目を、機械にかざし、ドアを開けた。

 僕はただただ震えていた。

 寒さと恐怖で、何もできなかった。

 ラボの中には、研究員たちがいて、外の様子をまだ理解していない様だった。そこに僕らの後ろからさらに武装した者たちが現れ、銃を向ける。僕は目を閉じ、耳を塞ぎ、部屋の隅に蹲った。指を突き入れた耳の中にも響く、大きな銃声と悲鳴。

 何かが地面に倒れる音。

 ガラスの割れる音。

 それらがしばらく続いて、急に静かになった。


 特に痛みもなく、僕は無事に生きているようだった。

 僕は、生きていた。

 無様にも生きていた。

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