向こうの彼女と電話で話すには……
亜夷舞モコ/えず
-終-
彼女の弱々しい呼吸が止まり、もう終わるのだと理解した。
ほんの少しの、だが久遠とも感じられる時の果てに――彼女は、死んだ。
彼女の死を痛感し、ぼんやりとしていた頭脳が感じ取る。
そして、やっと心電図が無機質な音を立てた。
――――――――――――。
ああ……彼女は、いってしまった。
彼女の死を知って、目の前が真っ暗になる。
それと同時に、僕は僕の中に『僕』を認識する。その『僕』は、彼女の死に深く傷ついて悲しみに暮れ、眼の奥から思いが溢れる。
ありがとう。
声を振り絞っても、言葉にはならなかった。
◇
魂は、水の中にこそ『在』る。
彼女の体は、今すべての機能を止めた。
その体が代謝を止めた瞬間、21グラムの水が体の外に出る。
『21グラムの水』――魂は、水そのものだった。
水は、死した体を離れ、どこへ向かうか。
病室の空調によって運ばれ、病室の外に流れていく。
または僕の吸い込む息に混ざって、僕の体の中を流れていくのだと思う。
風に乗れば、彼女は雨となり、露となり、霞となり、川となり、やがて大いなる海へとたどり着く。
僕の体を流れるなら、彼女は血となり、肉となり、汗となり、涙となり、僕の体を通り抜けて川へ海へとたどり着くんだろう。
彼女は、向こうへと向かうのだ。
僕らが――生者のたどり着かぬ、誰も手の届かぬ彼岸の世界へ。
向こうの岸辺へは水であるがゆえに巡り、そして至る。
でも、救いはある。
そこには、楽園があるからだ。
美しい水の宮殿。
透明な、蒼き光のタージマハル。
クーポル――玉ねぎ型の屋根も、壁も、扉に至るまで透き通る水でできている。それは深く暗い水の中にありながら、青白い燐光のように厳かに静かに浮かび上がる。生きるものの魂は、すべてここに至る。そして他の魂と共に宮殿の住人となり、主となり、壁となり、床となり、光となり……宮殿を作る一要素となって時を待つ。
その時は、永く――遠い。
五十六億七千年の先の彼方の救済。
誰もがともに享受する『さいわい』を待つ。
ああ、だから……彼女の死を、僕は悲しまなくていい。僕もいずれそこに至る。彼女も、家族も、友人も、僕の人生に関わっているもの――すべてのいのちが、水底の宮殿に至るのだから。
ちょっと待ってもらうだけ、だ。
ちょっとだけ先にいってもらうだけ。
それだけなのだから。
だから、すこしだけの「さよなら」を君に。
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