-2- 其の陸

 車に何十分も揺られていた――と思う。

 かなり長い時間だったが、強めのカーブを右と左とで4回以上経験したので、ルートを誤魔化されているのだと認識した。ルートの計測をされると困ると思っているのか、一度休憩を挟まれたのもあり――それどころかロシアの地理に詳しいわけもなく――訳の分からないまま、僕は『ブラヴァツキー研究所』へとたどり着いたようだ。

 一時停止の後で、車は徐行する。どこかの敷地の中に入ったのだろう。

 車を下ろされ、歩かされる。暑い車内でかいた汗が一瞬で冷やされ、風邪をひくと思った――いや、すぐにまた温かくなった。施設の入り口を通ったのだと思う。

 またさらに歩いていくと、一度強く引っ張られてから、両脇の二人は離れていった。

 耳栓が外され、「ここに座って」とアナスタシアに命じられる。

 恐る恐る腰を下ろすと、椅子があった。

 どこかの部屋に通されたのか?


「子どもみたいなイタズラしないって」

「目隠ししながら、座ったことってあります? これ、すっごく怖いですよ」

「フフ。セルゲイ、目隠しを」

「はい」


 彼が後ろに来て、目隠しを取っていく。

 眼帯も乱暴にはがされ、「いったい!」と叫んだ。

「ああ、申し訳ない」と言う彼は、とってもオロオロとして、アナスタシアに睨まれている。

 意外と小心者なのかもしれない。

 だったら、もう少し丁寧にしてもらいたいが。

 目の前には、アナスタシアが座っている。


「ドクター・アカネバラの代理とのことだけれど、あれが鳴ったというのは本当?」


 あれと言われ、僕は一瞬考えてから、霊界通信機のことだと思い至る。


「ええ、確かに動きました。えっと……動作確認したわけではないんですか?」

「いえ、間違いなくあれは動いてたでしょう? しかし、ここ何年も声を聴いたという人間はいなかったというだけ。ちゃんと記録もある」


 目の前に、資料が提示される。

 茶色く変色した紙の束に、ロシア語が書かれている。

 僕が読み解けるのは、アラビア数字でかかれた資料政策の年代くらいだ。


「一九三二年……」

「あれが初めて言葉を発したのは、エジソンの死の翌年、研究所の初代所長が手をまわして、どうにかエジソンの研究所からあれを確保し、ここで研究を始めたころのこと」


 確保と言うのが若干怪しかったが、聞き流すことにした。

 そこを聞くと、面倒なことになりそうだ。


「あれは『かえせ』と言った」

「『かえせ』? 何語ですか?」

「英語だったようだ。『RETURN』と話した。そう記録されている。その時点で、機械自体が嘘なのではないかという話も出たのだが、裏の蓋を開けてみたところで、電源もなければ電池で動いている様子もない――では、誰の言葉なのだと」

「まあ、思い浮かぶのは、一人ですか」

「そう。確かに、そう思っている」


 そこで、アナスタシアは笑う。

 キレイな笑顔だった。


「君、なかなか見どころがあるね、あのアカネバラの代理に学生が来るというのはふざけているのかと思っていたんだけれど。そうでもなかったみたい」

「僕が行くと言ったんです……すみません」

「いや、大丈夫、今の受け答えで、君はだいぶ合格の部類にあると判断したよ」


 彼女がテーブルの上に資料を出す。

 ロシア語の資料では、さすがに一瞥しただけでは無理だ。


「君、ロシア語は?」

「読めません」

「だろうね。まあ、簡単にこちらで説明しよう。簡単に言えば、だ――」


 彼女の顔が、じっと僕を見る。

 青い目に、吸い込まれそうになる。


「――私たちが、あれを分解しようとしたというときの記録だ」

「分解?」

「結論をいえば、分解は不可能だった。いや、できたかもしれないが、断念した。本当に霊界と繋がることができるものを無駄に壊すことはないとした。だが、深く研究を進め、水槽の中のものを正確に水であるという判別ができた」

「水、ですか?」

「正しくは、海水だな。クラゲの生存に適した塩水だ」

「中は、本当にそれだけ?」

「恐ろしいことに、本当にそれだけだった」


 そこで、ふと思い返される。

『彼』のことだ。

 水が――『彼』の手で、動かされていた。

 もしかして……


「私たちは、考えた」

 彼女の言葉で、我に返る。

「は、はい」

「それこそがこの世と向こうをつなぐのでは、と。君の国では、よく死と生のはざまに水が出てくると聞くが?」

「信じる宗教に、寄るかもしれませんけどね」

「しかしながら、事実として水面によって陸地と海中は分かたれ、生と死も同時に分かたれる。これは事実だ。ゆえに、我らは水を通し、死者と話をする技術、それを確立した」

「確立した?」


 驚愕と困惑に襲われた。

 そんな顔を理解したのか、アナスタシアは笑う。


「信じていないのは、分かる。だから、見せてあげる」

「アナスタシア、いいんですか?」とセルゲイ。

「問題ないでしょ。彼だって理解すると思うの、彼は賢いじゃない?」


 彼の顔が少し気になった。

 深く眉間に皴が刻まれ、躊躇ためらいが見て取れる。

 だが、彼女の言葉で、納得したようだ。


「まあ、着いてきて。あとコートもあるといいな」

 そう言うと、彼女は席を立ち、僕らも後をついていく。

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