-1- 其の弐

 それからほどなくして、彼女はこうなった。

 もうまともに『生きる』ことは、できてない。

 大学も休んだままだ。

 彼女が望んだとおりになった。誰も彼女の体に傷をつけず、心も信仰も侵されることなく、清くここまで生きている。けれど、それももうすぐ終わる。ルナは、救われたのかもしれない。

 でも、僕は不幸せだったよ。

 まっすぐに彼女が生きることを、僕は寂しく見ていただけだ。

 

 彼女の呼吸は、さらに激しくなる。

 苦しそうにしている。

 苦痛を和らげるための薬も、もうちゃんと聞いていないようだ。

 これがもう何週間も続いている。

 病状だけが、彼女が意思を貫くのを阻害する。


「もう、君が苦しむのは見たくないよ」

「そう……でも、大丈夫、見なくていいんだよ」

「君は、一人で耐えるっていうの?」

「うん。だから、生きていてね」

「嫌だよ、僕は」


 彼女の手を取る。


「愛しているんだ。いつまでも。どんなときでも、この先もずっと」

「だから、それは……」

「かまわない。でも、僕の愛を誰かにあげるつもりはない」


 これが僕の決意。

 彼女の手を離し、その手を彼女の首元へ伸ばす。

 細い首。痩せてしまって、気管や食道をすぐ皮膚の下に感じる。

 酷く細い音だ。


「な……」

「愛してるよ、ルナ」

「……ん」


 ルナは一度僕の手を掴もうとして、そして止めた。

 すべてを委ねるように、目を――閉じる。

 僕はそんな彼女の額に軽く口づけすると、彼女の首を絞め上げた。

 目をつむり、彼女の死を願う。


 

 ……


 

 でも、

 僕は目を開けてしまった。


 彼女の顔が真っ赤になっている。

 目玉が飛び出るほどに見開いたまま、ずっと僕を見つめていた。

 美しい彼女は、そこにはいない。

 死が、どれだけ醜くおぞましいかを見せつけられる。


「ああ……」


 僕は〝死〟に畏怖して、自分のした行為に嫌悪を覚えた。

 できない。

 僕にはできなかった。

 彼女の心電図が異常な速度で心拍を刻み、しかしまだ確かに生きていた。

 僕は彼女の体から飛びのいて、病室から無様に逃げ出した。

 何度も転び、どこかから血が出ていた。

 よだれなのか、鼻水なのか、服の襟が濡れている。

 または涙か?

 早春の夜のことだった。

 恐らくすぐに看護師が飛んでくるだろう。

 僕は、捕まるわけにはいかない。

 屋上へ、行こう。

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