-4- 其の弐
「こっちが僕の研究棟でね」
僕の前を歩いていくジョンソンという研究者は、案内すると言った。
彼の足には力がなく、時折ぐらりと前後に崩れる。気を付けてないと追い抜いてしまって、案内ではなくなりそうだった。
どちらかと言えば、寄り添って介助した方がいい気もしてくる。
「ちょっと、ここで待っててくれ」
「ええ、分かりました」
彼に言われるように、入り口の手前で待機する。
少しして彼が戻ってくる。
大きなバックと古い革張りの手帳というか、ノートのようなものを持っていた。
「よし。じゃあ、向こうから案内させてくれ」
「向こうって?」
「ああ、エジソンの研究室だ」
「入れるんですか?」
「特別にな」
彼はそう言って、荷物の中から鍵を取り出した。
カチャン。他の荷物が、何やら不思議な音を立てる。
硬い物同士がぶつかるような音。
それは何? とは聞けなかった。
革製のバッグの中に大量に詰まっているにしてはあまりに不自然だった。
厳重そうな南京錠が付いた入り口を彼は難なく開けて、僕らは中へと入っていく。
古めかしい研究機器などが並んでおり、深い歴史を感じさせた。
僕には興味深く、いろいろな部屋を見て回りたいと思ったのだが、彼の方はいつもの見飽きた風景であるかのように素通りして、奥へ奥へと進んでいく。
嫌なホコリやカビの臭いはしない。
定期的にきちんと掃除がされているのだろう。
ジョンソンが扉の前に立つ。
「ここにあったんだ」
「何が、ですか?」
「これだよ」
革張りの手帳を持ちあげる。
「一体それは?」
「『エジソンの手記』だ」
「えっ?」
彼はたびたび腕時計を見ていた。
「そろそろ時間だ。あとは、外で話そう」
「はい……」
なんの時間なんだ?
僕らは、外に出る。
研究所の入り口を出たところで、彼はそのまま石段に腰かけた。
コンクリートで建てられた新しい研究所が、こちらの古い研究棟の周りを取り囲んでいるように見えた。
「君は、あれが美しいと思うか?」
彼は、僕に尋ねる。
僕は振り返り、こっちと向こうを比べる。
「意味による」と、僕は正直に言った。
「研究をするための美しさというなら向こうも間違ってはないですし、こっちには歴史という美しさがある。そういうことではないですか?」
「はあ……」
残念だというように、ため息を吐いた。
「君は、もう少し分かる人間だと思ったのに」
「あなたは美しくないと?」
「そうだろ? ここには『彼』への敬意が詰まっている。それに対して、あれはなんだ? 新しいだけで尊敬がない。俺はあれを美しいとは認めない」
「でも、それは今の人間に敬意が足りないと思います。生きている人間への敬意が」
「『彼』への愛が足りない者なんて、死ねばいいんだ」
そうして、彼は時計に目をやる。「時間だ」
彼の言葉と共に轟音が響いた。
音の方に目をやると、新しい研究所群が火に包まれている。
「なにが⁉」
「なにって、爆発したんだよ、全部」
「え……」
「僕が、やったんだ」
そういう彼は笑っていた。
口元は大きく歪み、狂気と言わんばかりの笑み。
彼は、カバンの中から一本のボトルを取り出す。
水の入ったビンだった。
「これを知っているか?」
「水、ですよね」
「いや、人だよ」
僕の頭の中に、ロシアでのことがフラッシュバックする。
まさか、と思う。
「別に、誰かを水死させた水ってわけじゃない。だが、水の中には、誰かの魂が混じるんだ。誰かの、何者かの、生きとし生けるモノの魂が。それは濾過しようと、絶対に漉しとることのできないものが。だから、こうして研究すること自体が間違ってた」
ジョンソンはビンを投げ捨て、割った。
「君は、そんな間違いを犯さないでくれよ」
彼は僕に『エジソンの手記』を投げた。
「他の者たちは、俺が連れて行く」
「どういう――」
僕の言葉は、届かなかった。
その前に、彼は爆炎に包まれてしまった。
彼の鞄には、たくさんの水のビンがあり、それを彼は自分の命を持って、破壊したのだった。
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