-7- 其の肆

 僕は目の前の人物に、驚く。

 彼女と会ったのは、まだ小さい時だったが、よく覚えている。

 それに何度も彼女の部屋で写真を見た。

 日向朝日さん。


「あなたも、約束を守らないなんて」

「あ……、忘れてるって……そういう」

「そう言われてたのも知ってる」

「いや、でも、死の先を知りたかった」

「なら、分かったでしょう。だから早く帰りなさい。あの子に寂しい思いをさせたこと、ちゃんと謝ってね。まあ、あの子も悪いんでしょうけど」

「わかりました。ちゃんと朝日さんの『想い』受け取ります」


 そして、彼女は悲しい顔をする。

 後悔しているのが、彼女の胸の前で強く握られた手に現れていた。


「本当に謝らないといけないのは、わたしの方なのよね。あの子をおいて死んでしまった、わたしこそがもっともルナを傷つけたというのに」

「そんなことありません。彼女は、強い人です」

「ありがとう」

「彼女の人生は、その後も光り輝いていた。僕にも眩しいくらいに」

「あなたに出会えたから?」

「いいえ、みんなに支えられたからです」

「そう、分かった。わたしも安心して彼女を待てる。でも、彼女が泣いてここにやってくるのは、嫌よ?」

「ええ、全力で努力します」

「あと、もう一つ……」


 彼女の顔が変わる。

 液体の上が波打つように、彼女の顔が一度なくなり、違う人間の顔になった。


「僕も君にお礼を言いたかった」

「えっと……誰です?」


 高い鼻立ちから、海外の人だと思ったが。

 そんな顔に知り合いがいただろうか……。

 あと、なんで日本語?


「この体を作り出すのに、何人もの人間の魂が使われているんです。みんなが協力してくれていて、日本語も話せます――しかし、ご記憶にはないみたいですね。仕方ないとは思います。だって、会ったのは一瞬ですし」

「一瞬……一瞬だけ会った?」

「ええ、ロシアで」

「ロシア――」


 ふと一つ思い当たることがあった。


「もしかして、あの時の水槽の?」

「そうです」

「ああ」

「あの時、水槽を割ってくれたから」

「本当に良かった」

「それができたのは、あなたがやってきてくれたからですよ」


 彼が意味深な顔を僕に向け、笑う。

 無事にここまでたどり着けたのだ。


「私や」


   「俺も」


      「僕も」


         「ここにいます」


 アナスタシア、セルゲイ、あの研究員も。

 ここへとたどり着いていた。


「まさか、世界の真実がこんなのなんてね」

 アナスタシアは、苦々しく言った。


「それが正しいことだったんですよ、アナスタシア」とセルゲイが答える。

「フン」



 すべてのものが正しく逝けたのだ。

 なら、僕は満足だ。

 みんなが正しい道を行けたと知ることができた今、僕は満ちたりた心で帰ることができる。彼女の下へ、帰ることができる。


「じゃあ、帰っても大丈夫だね」とソラ。

「ああ……、誰もが幸せであると分かったし」

「うん。帰ろう」


 ソラは指を振るう。

 またルナのお母さんは、それに小さく頷く。


「タケルくん、あの子を頼みますね」

「はい。少しだけ待たせてしまいましたが」

「どうしてもダメなら、私も力を貸すわ」

「ええ、ありがとうございます。急いで帰りますね」


 僕の言葉を聞くと、彼女の背は大きく伸びる。

 そしてその透明な手で、僕の頭を撫でる。


「じゃあ、すぐに送るね」

「送る?」

「では、皆さん。お願いします」


 彼女たちは、また水の塊へと姿を変えた。

 それは一本の細長い水流となり、人ひとりが簡単に通れるほどの輪を作った。

 水は回転する。見た目は静止しているかのようだが、触れれば肉が避けるほどの速度で回転し続ける。それが音速を超え、その何倍も速くなったとき、水の輪は空間の中に穴を生み出し、道を作り出す。

 道。

 元の世界へとかえる道だ。

 空間を、さらには時間をも超え、僕は飛んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る