09*氷の花に捧げる想い -02-
『ロイ。剣の指導をしてみないか』
『……俺が、ですか?』
十九歳。士官学校を卒業して一年が経った頃。
直属の上官にそう言われた。
騎士となってまだ一年目だったこともあり、話を聞いた時は困惑した。だが自分より年下の子に剣の指導をしてほしいということだった。
相手は女の子。
しかも貴族令嬢。
余計に頭の上にハテナが飛んだ。
『国王陛下直々の願いだ。第二王子とは幼馴染らしい。運動神経がよく腕っぷしも強く、騎士が向いているのではと思ったそうだ。歳は十四。多感な年頃でしかもかなりの美少女らしくてな。さすがに大人の男の指導者は、という話になった』
『でしたら女性の指導者がいいのでは』
女性同士の方が色んな意味で都合がいいだろう。
だが上官は首を振る。
『最初はその話も出たんだが、思った以上に男勝りな性格らしい。可愛げもないそうだ。顔はいいらしいが。それでお前に白羽の矢が立った。歳も近いし剣の腕前はあるしなにより温厚。まぁ頑張れ。お前なら大丈夫だろう』
『…………』
思ったより情報量があったが、実際のところどういう人物なのかは会ってみないと分からない。最初ロイは気乗りしなかった。
話によるとやたら容姿がいいようだ。しかも相手は貴族令嬢。自分より身分が上。そんな子がわざわざ騎士になりたがるのだろうか。守られる方が喜びそうなのに。
そんな気持ちで会ってみれば。
『アイリス・ブロウです。この度は私のために指導に来てくださり感謝いたします』
(……思った以上に硬い子だな)
想像とは違った女の子だった。
十四にして彼女の容姿は「美」と表現するのに相応しかった。白い肌。長く一つに括っている輝く金髪。海よりも濃く深い青色の瞳。鋭い瞳は印象的で、ミステリアスな雰囲気も持っていた。彼女自身が年齢よりも落ち着いているせいかもしれない。
背が高く姿勢が綺麗だった。
剣を持たせてみればすぐに様になった。
指導を始めれば、彼女の印象は変わった。
『ロイ殿。なぜ新しい剣技を教えてくれないのですか』
『早すぎる』
『そんなことありません。この前教わった技はできるようになりました』
『この剣技は身体に負担がかかる。もう少し歳が上がってからだ』
『私ならできます』
『自分を過信するな』
『過信じゃありません。自信です』
『それが過信だと言ってるんだ』
彼女は意志が強く、年上相手にも果敢に意見を主張してくる。だが口先だけではない。行動で示せるほどに努力家であった。
努力を怠らず、弱音も吐かない。上達も早く、もっと上手くなりたいと、前だけを見る子だった。こんな子がいるのだと、ロイ自身にも大きな影響を与えた。
一年後。
彼女は士官学校に入る。
『ロイ殿は教官になるのですか』
『ああ。指導はこれからもするつもりだ。よろしくな』
真新しい士官学校の制服を身に着けていたアイリスは、最初に出会った頃より成長していた。負けん気の強い笑みでこんなことを言ってくる。
『必ず首席で卒業してみせます』
『それは楽しみだ』
本当に首席で卒業したのだから立派だ。騎士を輩出する家柄に生まれた生徒もいたのに、女性では初の首席だったらしい。
教官に抜擢されたのは与えられた機会だと思った。愛弟子となったアイリスの成長も見守ることができる。教官の仕事はやりがいがあった。
『ロイ教官。剣の稽古をつけてください』
『すまないアイリス。他の生徒の指導が入っている』
『最近そればかりです。いつになったら見てもらえるのですか』
『君は他の生徒よりできることが多いだろう。俺は学校の教官だ。君一人だけを見ることはできない』
『っ! ……分かりました』
慣れない教官の仕事にいっぱいいっぱいになっていたこともあった。アイリスについてあげられない時もあった。その時は真っ当なことを言ったと思っていても、傷つけることを言ってしまったのではと思い返したこともある。腕前と人柄のおかげか、教官の中でもロイは生徒に人気があったのだ。そのせいで色んな人に声をかけられることが多かった。
だが教官の仕事はロイにとって過酷でもあった。教官になったことで傷ついたことがあったのだ。自身が生徒だった頃はなんとも思わなかったのに、立場が変わるだけでこうも変わるのかと。
ひそひそと飛び交う言葉。
気にしないようにしていたのに、否応なしにも耳に入る。自身は教官という指導の立場なのに。相手はまだまだ子供である、年下の生徒の言葉だというのに。
どうしても傷ついた。
傷ついていないふりをしながら。
『――何の話をしているの』
そんな場所に、アイリスは向かった。ロイが見ていると知らないまま、真っ直ぐ言葉を放つ。それが、ロイにとっては大きな救いだった。
「…………」
すうすうと寝息を立てている彼女の顔は、とても気持ちよさそうだった。何も悩みがないように、安らかな表情をしている。
(アイリスのおかげで、今の俺がいる)
彼女がいなかったら。
自分はどうなっていただろう。
時折そんなことを考える。
爵位を受け取ったのはアイリスのおかげだ。最初は拒否していた。必要ないからと。今の自分に相応しくないからと。あっても、どうすることもできないからと。だが、もらえるのなら使おうと思った。自分の手で勝ち取ったものなら、堂々と受け取ればいいと思った。必要になった。武器になると、判断した。
無防備な寝顔を見つめながら。
どうしようもなく彼女に触れたくなる。
だがそれができる関係性ではない。
許されていない。
だから触れない。
触れたくても今は「時」ではない。
アイリスに好意を寄せるようになったのは、間違いなく士官学校のある出来事がきっかけだった。自分の中でアイリスの存在は大きいと気付いた。
だがおそらく自分は。
もっと前から彼女のことを好きだっただろう。
『ロイ。アイリスの恋人役を引き受けてくれないか』
『……はい?』
リアンから話を聞いた時は驚いたが、純粋に嬉しかった。隣国の王子に見染められているかもしれない事実は色んな感情が渦巻いたが、アイリスに久しぶりに会える方が嬉しかった。
アイリスが士官学校を卒業した年。教官の仕事から王族直々に頼まれる仕事に変わった。多忙を極め、そのおかげで一目見ることさえ叶わなかった。リアンのおかげで、やっと彼女に会えた。
『ロイ殿』
執務室で再会した愛弟子は目を丸くしていた。
もっと美しくなった。会った瞬間すぐに抱きしめたい衝動に駆られた。それは師匠心なのか男心なのか。最初は前者だがすぐ後者になった。
『そのように言うのはロイ殿くらいですよ。どうやら私は『氷の花』と呼ばれているようですし』
パーティーでそう言ったアイリスは、どことなく面白くなさそうな顔をしていた。真面目だの硬いだの、そういうことばかり言われてきているからだろう。優秀過ぎるのもあるが、氷と表現されていても、彼女はやっぱり花なのだ。
花だと表現しているのは、なにも容姿だけの話じゃない。彼女は華やかだ。誰もが目を引く魅力がある。そんな花に引き寄せられる輩は大勢いるはずだ。パーティーの時、彼女に声をかけようとした騎士もいた。士官学校の時だって、彼女を見つめる目がいくつもあった。本人が鈍感だから今まで何もなかったのだ。
いや、彼女の父であるチガヤが、上手く事を運んでいたような気もする。
娘であるアイリスのすることを尊重していた。結婚に関して色々思うことはあったようだが、焦ってはいなかったようだ。
チガヤには何度も面識がある。剣の指導は国王からの命令だが、ブロウ家の屋敷に足を運んで指導していた。今まで何か言われたことはないが、目で何やら言われているように感じたことはあった。心を、見透かされているようにも感じた。
アイリスへの気持ちを自覚してからは、機会があればチガヤに伝えようと思っていた。だが意を決して口を開けば、彼に手のひらを向けられた。今はいらないと、そう言われた気がした。
チガヤから許可をもらっているとリアンに聞いた時、信頼されていると知る。ならば余計に、自分勝手な振る舞いは許されない。信頼されているなら、その信頼を裏切るようなことはしたくない。
そう、思っていたが。
鋼の心を持とうとしたが。
彼女の素直な言動には、こちらが動揺させられる。もっと、好きにさせられる。可愛いのだ、彼女は。美しくもあり、可愛い。必死でこちらに合わせようとするその健気さが可愛い。
(今はまだ、気持ちは言えない)
重要な仕事が残っている。
アイリスは一つのことに集中するタイプだ。今気持ちを伝えて混乱させたら、隣国の王子に逆に取られてしまうかもしれない。それは絶対に嫌だ。
(終わったら。落ち着いたら。この気持ちを)
伝える。
全て終われば、少しくらい話をする時間は取れるだろう。リアンのことだ。時間はくれるはず。言わなければおそらくアイリスには伝わらない。問題は伝え方と言葉だが、それを考えるのは後にしよう。
(今はただ。こうして一緒にいられるだけで嬉しい)
三年も離れていた。
やっと再会できた。
それだけで今は、幸せだ。
ぱち。
急にアイリスの目が開く。
とろんとした瞼を動かしながら目が合った。
「……ロイ殿?」
「喉は渇いてないか。水がある」
ジェシカが用意してくれた水の入ったコップを手渡す。彼女はゆっくり上半身を起こし、受け取った。喉が渇いていたのか、一気に飲み干していた。
「ご飯を食べてないだろう。お腹は空いてるか」
「いえ……今はあまり」
「軽くでも何か食べた方がいい。何か持って来ようか」
薬はジェシカが用意してくれている。
胃に何か入れた方がいいだろう。
そう思い立ち上がると。
「え」
アイリスの顔を見ると不安そうにしていた。
「行くんですか」
「側にいた方がいいか」
今度は小さく頷かれる。
なんだか小さい子供だ。
(弱っているからなのかもしれないが、気を許してくれているなら)
もしそうであれば、嬉しい。
「分かった。他に何かして欲しいことはあるか」
「……夢の中のロイ殿も同じことを言うんですね」
(夢? ……まさか、夢の中だと思ってるのか?)
目を覚ました時、なぜここにいるのか聞かれないのが少し不思議に思っていた。アイリスの性格上、おそらくそれが一番気になるだろうに。
あり得ない夢を見ていると思った方がすんなり納得はできる。熱だけでなく、そう思い込んでいるから普段よりも素直なのだろうか。せっかくなので利用させてもらう。
「夢の俺の方がアイリスの願いを叶えられる」
安心させるように笑って見せた。
信憑性を持たせるためにそう言ってみたが、アイリスはきょんとしている。もしかして無理があったかと冷や汗が出たが、相手は頷いた。
「では」
「うん」
「抱きしめてくれませんか?」
「……うん?」
今度はロイの方が夢の中に入ったような気持ちになる。なぜそうなるのだろう。どういう意図で言ったのだろう。
(子供の頃、ご両親にしてもらってたんだろうか)
それなら理解できる。
理解できるが、少し困った。勝手に触れないように気をつけているのに、本人から望まれている。理性との戦いになるようだ。ロイは苦笑する。
「それは夢じゃない俺に頼んだらどうだ。夢で頼むにはもったいないと思う」
(もったいないってなんだ)
自分でツッコミしてしまう。
苦しすぎる言い訳だ。自分でも何を言っているのかよく分からない。だが今は駄目だと思う。おそらく。よくない。
すると相手は分かりやすく萎れた。
「夢じゃないと言えませんし、今がいいんです」
心細いからだろうか。
アイリスは少しむっとする。
「なんでも願いを叶えてくれるんじゃないんですか?」
「……そう、だな」
それを言われてしまうと痛い。
ロイは腹を括った。
座っている椅子を動かし、ベッドに近付く。
不安にさせないように両手を広げた。
「ほら」
子供に対してするように。
アイリスは躊躇なく背中に手を回してきた。子供が親を求めるように、ぎゅっと抱きしめてくる。ロイはそれを受け止めた。軽くぽんぽん、と背中を叩いてあげる。なんだか本当に親になった気分だ。
自分から触れすぎないように気を付けた。肢体の柔らかさは意識しないようにしながら。寮暮らしの者は全員寝間着を支給される。シンプルな代物だが生地はしっかりしている。目のやり場に困らないのは助かった。
抱きしめたのはこれが初めてだが、アイリスは安心しきったように腕の中にいる。それにロイは少しだけ心配になる。
(……他の人がここにいても、同じことをするんだろうか)
女性同士ならいいが、もし他の男性にも同じことをしたらと思うと、言いようのない気持ちになる。アイリスのことだからそれはおそらくないだろう。どちらかというと知らない人には警戒心が強い子だ。だがそう思いながらも、どうにも男性として見てもらえているのか不安になることはある。
(俺は彼女にとって師であり教官だからな)
それはアイリスとの繋がりを強調できるものだが、そのせいで前に進めないところはある。それがストッパーになっているとさえ感じる。ジェシカと先程話したが、師弟関係だから気にかけてもらえていると彼女は思っている。それもあるが、それだけじゃない。好いた相手だから気になるのだ。
(大体、ただの師弟関係なら恋人役なんて引き受けない)
それをアイリスは分かっていない。
ロイの人柄、優しいからという理由で引き受けたと思っている。ジェシカは理解してくれていたが、アイリスには全て本当のことしか言っていない。お世辞でもフォローでもなんでもない。本当に想っているからこそ、恋人役だって引き受けたのだ。
(どうすれば彼女にもっと意識してもらえるのか)
練習をしている時も、パーティーの時も、いつもよりは押すようにしている。押して押して、自分の気持ちに気付いてほしいと思っている。だが彼女は気付かないし、むしろ混乱している。そんな彼女を見るのも若干楽しいが、気付いてもらえないことに心苦しさを感じているところはある。
本当ならすぐにでも言いたい。
だが今はまだ言えない。
仕事が終わらない限り、言えない。
言えないのなら。
(……言動で、これまでと変わらず、押すだけだ)
もしかしたら異性として好かれているかもしれない。と、そうアイリスが思ってくれたら。意識して、男と見てくれたら。それはそれで関係性に変化が現れるかもしれない。
と思っていると。
アイリスの手の力が抜けた。
体重もより身体に乗った気がする。
ちらりと下を見れば、寝息を立てていた。
(寝たか)
すぐに寝てしまうほど安心してくれるのは嬉しいような、やっぱり男としては見られていないのではと少し残念な気持ちになる。ロイは起こさないように注意しながら、アイリスをベッドに寝かせようとする。そのままそっと離れようとしたが。
袖をくいっと引っ張られる。
「アイリス?」
「行かないで……」
目は閉じているのにそう言われた。
一人にされると思ったのかもしれない。
「行かない。ずっとここにいる」
「……本当に?」
いつもより舌が回っていないような話し方だった。眠いのか、熱で朦朧としているのか。どちらにせよ、安心させるように優しい声色を意識する。
「ああ。だからゆっくりおやすみ」
そっと頭を撫でてあげる。
撫で続けるとアイリスは寝入ったようだ。
また静かになる。
頭を撫でられるのは嫌ではないみたいなので、ロイはよく撫でてしまう。いつも頑張っていることを知っているからこそ、甘えさせたくなるのだ。
(……本当は、額に口付けでもしたいところだが)
病人に手を出すなと言っていたジェシカが怖くてそれはできない。そもそも現段階ではしない。頭を撫でるのはセーフであってほしい。
だがいつか。
もし、アイリスから許しをもらえるなら。
(たくさんの愛情を言葉と口付けで伝えたい)
ロイは愛おしそうに、アイリスの寝顔を眺め続けた。
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