18*約束と恋物語と -01-

「――いい感じね」


 すっとジェシカが立ち上がる。


 アイリスは鏡の前の自分を見る。

 清楚なワンピースドレス姿だ。


 全身白なのだが、繊細な刺繍が施されている部分はあるし、かなり肌触りがいい素材。それなりに高価な代物だろう。耳元と腕にはシルバーのアクセサリーをつけていた。


「これが隣国へ行く時の格好?」

「ええ。リアン殿下にもお墨付きをもらえたわ」

「思ったよりシンプルなのね」


 てっきりもっと着飾るのかと思っていた。

 するとジェシカは首を振る。


「好意に応えるならもっと気合いを入れるところだけど、今回は違うでしょう? 私には相手がいますと伝えに行くんだもの」


 白は何にも染まっていないことを示す。清楚な印象を見せつつも、染まるのは傍にいる相手にだけ、という印象を見せつけようということらしい。この格好でロイと仲睦ましくしていればいけると、ジェシカは考えたようだ。


 アイリスは何度か身体をひねりながら、自分の姿を確認する。肌を出している面積も少ないし、確かに白の方が清潔な印象だ。


「心の準備はどうかしら?」

「……まぁまぁ」


 いよいよ明日、隣国へ向かう。


 今日は最終的な打ち合わせを四人で行う。

 その前に、衣装合わせをしていた。


 恋人兼婚約者としての練習の成果は出せるのか。隣国の王子に対し、巍然とした態度を見せられるか。気になることはあるが、今のアイリスは、社交界での出来事で頭がいっぱいだ。


 思ったより色々なことがあった。

 ロイとの間にも、色々あった。


 助けてもらったり、抱きしめてくれたり。

 顔が近付くこともあった。


 そして馬車に乗るときに。

 額にキスをされた。


 挨拶や友愛を込めてすることはあるかもしれない。

 額という場所も控えめで、深い意味はないように感じる。


 だがまさか。

 ロイがするとは思わなかった。


 彼は誰に対しても誠実で真っ直ぐな人で。例え仲が良い人に対しても、勝手に触れることはないと思う。現にアイリスに対しても慎重で、必ず許可を取ってくれる。そんな彼が帰り際にあんなことをした。


 顔を見せなかったことも気になる。


 耳元で呟いた挨拶の言葉は、少し甘みも含まれているように感じた。あの後アイリスは腰が抜けてしまい、馬車に乗ろうとしたジェシカにぎょっとされたものだ。


 今日はあの日から二日ぶり。

 どういう意図でしたのか、気になってしまう。


「――誰のことを考えているの?」

「わっ!」


 目の前に端正な顔が迫っていた。

 思わず反射で叫んでしまう。


「さっきから上の空だわ。顔も赤いし」

「べ、別に……」


 ジェシカは「ふうん?」と言いながら半眼だ。怪しまれている。だがさすがにキスのことは言いづらい。アイリスは慌てて話を逸らした。


「あのね、ジェシカに聞いてほしいことがあるの」


 これは相談しようと思っていた。


「私……これが終わったら、ロイ殿に気持ちを伝えようと思って」

「まぁ」


 目を丸くされる。


 そんな反応をされるのは無理もない。まさかアイリス自ら言おうとするなんて、思ってもみなかっただろう。今まで逃げるような言動ばかりしていたのだから。ジェシカはじわじわと嬉しそうな顔になる。


「社交界に参加した時、何かあったのね?」


 やっぱり気付かれていたか。


「改めてロイ殿が好きって、自覚したの」


 憧れの意味が大きいと思っていた。そうでなくても好きなのだろうなと思っていたものの、自分から伝えるなんて、絶対に考えられなかった。もっと相応しい人がいるだろうと思っていた。だがそれよりも。伝えたくなってしまった。


 すると満面の笑みで拍手してくれる。


「喜ばしいことだわ。告白までするの? 積極的ね」

「隠し通せる自信がなくて。気付かれる前に言ってしまおうと思って」

「アイリスらしいわ」


 ふふふ、と笑われる。

 「でも」と言葉が続く。


「グラディアン教官、悔しがるかもしれないわね」

「悔しい?」

「気持ちが一緒なら、自分から告白したかったと言いそうじゃない?」

「そう……?」

「ええ絶対そう。そういうことは自分からしたいって思いそうだもの」


 そう言われたらそうかもしれない。


 だがロイがどう思ってくれているのかは分からない。それに、あまりぴんと来ていない。もし両思いだったら、信じられないような気もする。一体自分のどこがいいのだろうと。


 今は相手への返答よりも。

 伝えられたら十分だと思っている。


 この大仕事さえ終われば、この関係もなくなる。なら無事に終わった後、潔く伝えたい。そしてもし同じ気持ちでなくても、変わらず師弟関係でいられるとありがたい。それはロイ次第かもしれないが。




「お二人とも遅いわね」

「そうね……」


 制服に着替えたアイリスは、ジェシカといつもの部屋で待っていた。だが、一向にリアンとロイがやって来ない。約束の時間は過ぎている。このままでは打ち合わせができない。だが珍しい。二人はいつも早めに到着する。何かあったのだろうか。


「執務室に行ってみましょ。忙しいなら時間を変更すればいいし」

「ええ」


 二人はリアンの執務室へ向かう。


 ドアに近付いてノックしようとするが、思いの外複数の声が聞こえてくる。誰かいるのだろうかと思いながらも、リアンの口調は気安い感じだった。ということは、見知った人達だろう。


 アイリスはノックする。


 すると部屋の中が一瞬静まる。

 「入れ」と声がかかった。


 そっと部屋の中に入ると。


 椅子に座るリアンと側近のグレイが並び。

 その横にはロイの姿。


 そして、この国の姫もいた。

 リアンの妹であるメイベル・シュダルク。

 

 金のゆるく巻かれた髪に苺のように赤い瞳。花柄の可愛らしいドレスに身を包んでいるメイベルは、兄弟の中では末っ子。現在十五歳。もうすぐ社交界デビューが控えている身だ。


「! ジェシカお姉様っ」


 彼女はジェシカに気付き名前を呼ぶ。

 その表情は曇っていた。


 この国唯一の姫はいつもは明るくて元気いっぱいだ。姫にしては少しお転婆なところもある。そしてジェシカのことを年上の女性としてとても憧れており、尊敬している。その愛しっぷりは周囲が驚くほどで、勝手にお姉様呼びをしているほどだ。


 ジェシカを見かければいつも満面の笑みを見せてくれるのに、今日は違った表情。それに周りの空気も、どこか静かで重苦しい。


「どうかされたんですか?」


 アイリスは声をかける。

 明らかに異常な空気だった。


 するとリアンがふう、と息を吐く。


「もうすぐ剣術大会があるんだが、ロイは今年から参加しない。そのせいで出場者が思ったより減って、どうにか増やそうと考えていた」


 年に一度開催される剣術大会。

 ロイはこの大会で五年連続優勝した。


 殿堂入りしてしまったので、今年から出場しないことが決まっている。大会はすでにエントリーができる状態だが、予想より出場者が少ないらしい。ロイが不参加だと士気が下がる者が多いようだ。


 この大会は男性のみ出場可能で、アイリスも観戦したことがある。ロイに負けた出場者は「次は勝ってやるからなっ!」とよく捨て台詞を吐いていたのを思い出した。


「手っ取り早く報酬を増やそうと思ってな。ロイにも意見を聞いていたんだ」

「物欲がないため、あまり役に立ちませんでしたが……」


 聞けば先に執務室に呼ばれていたようだ。


「一応出場予定の騎士から要望は募っていてな。臣下の一人が集計して持ってきてくれたんだが……」


 ちらっと眼を下にする。


 机の上には紙が何枚も並べられていた。

 おそらく要望がまとめられた書類だろう。


「……私は、絶対に嫌ですわ」


 メイベルが呟く。


 そもそもどうして彼女がここにいるのだろうかと思えば「噂を聞きつけてやってきたんだと。誰に聞いたか知らないが」とリアンは呆れていた。


 メイベルは眉を寄せた。


「こんな要望、絶対嫌ですわっ! 神聖な剣術大会をなんだと思ってらっしゃるの!?」

「落ち着け」


 リアンが冷静に諭す。


 それでも彼女は興奮冷めやらぬ様子で、ぐっと耐えているような様子だった。アイリスはしばし彼女を見つめた後「見てもよろしいですか?」と机に近付く。リアンは頷いた。


 アイリスはぺらっと紙を手に取る。


 ぱっと見、問題があるような要望はなかった。報酬金を増やしてほしいだの、出世にも関係できるようにしてほしいだの、高級な食べ物をお腹いっぱい食べてみたいという可愛らしいものもある。だがその中で、ひときわ大きい字で書かれているものがあった。


 アイリスは思わず目を見張る。


『ジェシカ・フェイシーに求婚したい』


 または。


『祝福のキスが欲しい』


 思わずアイリスは舌打ちをしてしまう。

 それを書いた人物を知っていたからだ。


 男の名前はルーカス・ガードナー。


 年齢は三十代。そこそこ剣の腕前がある人物で、ここ何年も剣術大会で二位や三位を取っている。騎士の中では有名になっているほど、いつもジェシカにアプローチをしている人物だ。それが純粋な気持ちならばいいのだが、どうにも自分の物にしたいという欲求だけのようにも感じられるから厄介。加えてプライドが高くえらそうな言動が目立つ。絶対におすすめしたくない。


「まぁ。懲りない人ね」


 ひょこっとアイリスの後ろから紙を見たジェシカは、思ったより落ち着いていた。いや、彼の言動に慣れた、という表現の方が正しいかもしれない。


「今も声をかけられているの?」

「前よりは減ったわ。グレイと一緒にいることが増えたからかしら」


 ルーカスは身体が大きく見た目も男性的だ。圧倒的美のジェシカと、圧倒的美少年であるグレイと一緒ならば、近付くと眩しいと感じてしまうかもしれない。一緒にいる時はあまり声をかけてこないらしい。


 アイリスは若干苛立ってしまう。

 この紙を見せてしまったせいだ。


「あの男……この様子だと全くめげてないみたいね。大会を利用して自分の欲を満たそうとしてる。身の程を知れ」

「アイリス。声が低くて怖いわ。顔もね」

「こんな要望、通すわけにはいきません。私も反対です」

「お前も落ち着け」


 リアンは大きな溜息をつく。


「他の奴らからも要望はある。アイリス、その後ろの紙を見てみろ」


 まだ手に持っていた数枚の紙をめくる。


『好きな人にかっこいい姿を見せたい。優勝したら告白をする機会が欲しい』

『いつも支えてくれる家族に感謝の言葉を叫びたい』

『優勝したら恋人にプロポーズをしたい』


 ルーカスと似たような要望がいくつもあった。「物」よりも「機会」が欲しい者が多くいることが伺える。剣術大会で優勝することは名誉あることだ。出場者も、応援する者も、それぞれ気持ちに熱が入る。この機会だからこそ伝えたいということだろうか。


 どれも応援したいものばかりだが、ルーカスは毎年上位に入っている。ロイが今年から不参加ということは、ルーカスが勝ってしまう可能性は大いに高い。


 だがリアンとしては、これらの意見も大切にしたいようだ。剣術大会の運営は、国から任されたリアンの大切な仕事の一つ。よくお忍びで城下に行くが、それは国民の生活の様子を知り、どうすればよりよい国になるのか、リアンなりによく考えているからだ。それを知るから国王はリアンに任せた。


 だから一つの要望だけ無視するわけにもいかない。全てを総合して報酬を決める必要がある。


「剣術大会がきっかけになるのはいい傾向だ。こういう案もありだと思ってる」

「だからってジェシカお姉様を嫌な目に遭わせる気ですの!?」


 メイベルが反撃するように声を上げる。


「だから落ち着け。慎重に決めるつもりだ」

「――私は別に構いませんわ」


 凛とした声が響き、皆が一斉に顔を動かす。

 ジェシカはあっさり言い放った。


「私が目的でしたらお受けいたします。それに、彼が優勝すると決まったわけではありません。求婚されても断ればいいだけですし、キスの一つや二つくらい、くれてやってもいいですわ」

「だが」


 さすがのリアンも躊躇するような反応になる。まさかそう言われるとは思っていなかったのだろう。


 ジェシカは肩をすくめた。


「年齢的に身を固めろと家族からも言われていますし、いい機会かもしれませんわ」

「そんなっ! ジェシカお姉様はそんな男好きじゃないでしょ!?」


 メイベルが正直な言葉をぶつける。


 ジェシカの情報はなぜか把握しているメイベルは、ルーカスのことも調べ上げているようだ。その上で相応しくないと思っており、ジェシカも気がないことは知っている。メイベルのみならず、他の者もジェシカの気持ちは分かっているつもりだ。


 すると当の本人は苦笑する。


「ですが得られるものはありますわ。彼も貴族です。色々助けていただけると思います」

「そんな……」


 アイリスも呆然と親友の姿を見ていた。


 ルーカスから散々アプローチされても丁重に断っているはずだ。それなのに、相手の要求を受け入れるという。いくら誰が優勝するか分からなくても。いい機会かもしれないと言うくらいに。彼女の抱える状況というのは過酷なのか。


 アイリスも納得ができなかった。どうにか考えを変えさせようと口を開くが、先に言われてしまう。


「その方がみんなのためになるわ」


 ジェシカは優しく微笑んでいる。


 企画側であるリアン達に対して。参加する予定の騎士達に対して。観にくるであろう国民達に対して、そう言っているようにも思えた。


 アイリスは首を振る。


(じゃあ、ジェシカの気持ちはどうなるの)


 周りのことを優先するのはいいことだが、そこにジェシカの気持ちが一ミリも含まれていない。


 彼女の本心が、見えない。

 見せてくれない。


 本当はきっと、望んでいないのに。


「――あの」


 急に声を発した人物に、皆が目を動かす。


「剣術大会、自分も出ていいですか」


 そう言ったのはグレイだ。


 顔はいつもと変わらない無表情であるのに。

 アメジストの瞳は、ジェシカを映していた。


 彼はゆっくり歩き出す。

 ジェシカの前まで。


「自分はまだ、フェイシー殿に教えてもらいたいことがたくさんあります」


 それが何を示すのか、ジェシカには分かったようだ。迷うように顔を歪める。


 二人は最近友人になった。自分の意見がなく、ただリアンの命令を聞くことが日課であった彼にとって、ジェシカの存在は思ったより影響があるようだ。


 現に今、自ら発言している。

 今までなかったことだ。


 グレイは真っ直ぐジェシカを見つめる。


「教えてもらったことを思い出す度に、あなたの声と笑った顔が出てきます」

「……!」


 ジェシカの瞳が揺れる。


「これからも色んなことを教えてくれませんか。主のためにも」

「どうやらグレイのになったらしいな、ジェシカ」


 リアンが話に入ってくる。

 二人の傍まで歩いてきた。


 腕を組み、にやっと笑う。


「俺は周りの要望より、側近の願いを一番に叶えてほしいぞ」

「……ですがグレイは、一度も大会に出たことがありませんわ」

「本人が希望していないことを俺はやらせたりしない。やる気があるなら参加は大歓迎だ」


 リアンは鼻で笑った。

 少しだけ小馬鹿にするように。


「表向きは公務の付き添いが多いから参加できないってことにしてたが、グレイのことをよく思わない奴らからは陰で色々言われててな。どうせ強くないんだろうとか言いやがって。これであいつらの鼻を折ってやれる。グレイ、出るからには優勝しろ」

「かしこまりました」


 平然とグレイは返事をしていた。

 そんな二人にジェシカは唖然としている。


 周りの願いを優先しようとしたジェシカだが、リアンの目的は「大会の出場者を増やすこと」。第二王子の側近であり見た目も華やかなグレイが出れば、戦ってみたいと思う騎士は多いはず。負かすことができれば、出世や自身の名前を轟かせることだってできる。とはいえ。


(グレイなら負けないでしょうね)


 思いもよらない展開になったが、アイリスは安心していた。リアンは実力のない者を側に置いたりしない。グレイの剣の動きを見たことがある者は、闘志を燃やすか、引いて逃げるのかのどちらかだ。


「デニールの腕前は聞いています。私も対戦してみたかったです」


 ロイが残念そうに言う。


 グレイは細身で、身体が軽い。そのおかげで動きが速く、間合いを詰めるのがとにかく上手い。剣の腕前は、おそらくロイにも引けは取らないと言われている。それを聞いていたロイは、本当に悔しそうにしていた。


「練習試合とかしたらどうだ。たるんだ奴らに喝を入れられるぞ」

「ぜひお願いしたいです」

「それより殿下。どうして女性騎士の大会はないんですか。前から提案しているはずですが」


 アイリスがむっとしながら話に入る。

 いつも出場できないことを根に持っていた。


 するとリアンは呆れた顔になる。


「そんなのお前が優勝するからに決まってるからだ。お前ほど剣を極めてる女性騎士はいない。結果が見えてる。つまらん」

「クロエもそれなりに動けます」

「わざわざアイリスと戦いたいと思う奴らは物好きだ」

「失礼な」

「クロエが言ったぞ」

「え」


 辺りが騒がしくなる中、ジェシカは一人静かだった。

 落ち着かないのか、自分の腕をさすっている。


「フェイシー殿」

「……グレイ」


 彼は少しだけ口を開けたが、閉じる。

 再度開けるが、また閉じる。


 伝える言葉を迷っているみたいに。

 ジェシカは苦笑した。


「言いたいことがあるなら、言っていいのよ」

「……。先程の発言は、迷惑でしたか」

「!」


 ジェシカはすぐに首を振る。


「いいえ。ただ……」


 今度はジェシカが口をつぐむ。

 何と言っていいのか分からない様子だった。


 しばらく沈黙が続く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る