28*口づけて -02-

 アイリスは勝ったことが分かると安堵した。


 と同時に、胸が高鳴る。

 自然と足はロイに向かった。


 彼は微笑んでくれた。

 汗を流しながら。息を弾ませながら。


 今、見下ろすような形になっている。


(……な、なんでこの格好)


 まさか持ち上げられるとは思わなかった。


 アイリスに触れるロイの手は熱い。

 先程試合を終えたばかりなのだから当たり前だ。


 というのは分かっているが。


「くれるか?」


 聞かれてしまったことで。

 より心臓がうるさく鳴り始める。 


 それでも、アイリスは頷く。


 するとロイは期待を込めた眼差しをする。

 待ちわびていた子供のように。


「そ、そんなに見られたら、やりづらいです」

「そうか。目を閉じようか?」

「それもそれで……」


 周りからどのように映るだろう。


 唇にするように思われるのでは。思ったより周りにギャラリーがいる。というのはこの際、頭の隅に置いておく。そうでなければ絶対できないからだ。ロイはアイリスの言葉に、少し考えるように目線を動かした。


(今だわ)


 こちらに視線がないならできる。

 アイリスはすぐ、ロイの左頬に軽く口づけた。


「不意打ちか」


 笑みを含めた声色だった。

 アイリスは誤魔化すようにそっぽを向く。


「褒美を与えただけ感謝してほしいです」


 思わずリアンの言葉を借りる。


(……なんで私、素直じゃないのかしら)


 結局恥ずかしさが勝ってしまって、そんなことを言ってしまう。言った後で、落ち込む。ロイが好きでいてくれていることは分かっているのに、結局こんな物言いになる。


 ロイは楽しそうに笑う。


「そうだな。ありがとう」


 素直にお礼を言えてしまうロイのいい人ぶりに、アイリスは逆に申し訳なくなる。せめて感謝を伝えたいと「「こちらこそ、勝ってくださってありがとうございます」と、試合のことはお礼が言えた。ロイは頷きながら、ゆっくり下ろしてくれる。


 アイリスは足元を見ながらその場に立つ。

 掴んでいたロイの腕を離そうとした時。


 自分の左頬に柔らかい感触があった。


 思わず相手を見れば。

 してやったりな顔をしている。


「不意打ちもいいな」

「よ、よくありませんっ!」


 驚いて自分の頬に手を当ててしまう。


 まさか返されるなんて、聞いていない。

 アイリスは徐々に顔が熱くなる。


 自分がする時は、とにかくしなければ、という気持ちに押されていた。される側になると、距離がこんなにも近く、不意打ちの感触が嬉しいような、気恥ずかしい感覚になる。ロイはどうしてそんなに余裕のある態度でいられるのだろう。アイリスは一人だけ慌てていた。


 それを周りは、微笑みながら眺めている。


「見せつけてくれるねぇ」


 レナードは腕を組みながら笑う。


「素敵ですわ……」


 モネはうっとりしている。

 他の人達も口々に言い合う。


「本当にお似合いね」

「お二人共騎士なんだろ? アイリス殿の剣技も見てみたかった」

「フレディは思ったより晴れた顔してるな」

「元々お二人は婚約者同士なんでしょ? その上で気持ちを伝えるなんて」

「自分の気持ちにけじめをつけるためじゃないか」

「ロイ殿、彼女の前だとあんなにも笑うんだな」


 リアンもそれを眺めながら鼻で笑う。

 二人の様子に、まんざらでもない様子だった。







 ロイが騎士達に稽古をつけている間、アイリスはモネと談笑していた。レナードもリアンも、途中でロイに稽古をつけてもらっていた。レナードはあまり剣を握っていないようで、しきりに重いだの大変だと嘆いていたが、リアンは軽々と振り回していたので、途中で本気で頑張っていた。切磋琢磨できる相手がいると、気持ちは上がるようだ。


 教官の経験もあるせいか、ロイは騎士達から教え方が上手いと好評だった。彼は元々面倒見が良く、人に教えるのが上手い。それはアイリスも知っている。他国でもそれが伝わるのだと、アイリスは自分のことのように嬉しくなる。


 稽古が終わりを迎えた頃。


 ロイはレナードと何か話している。

 話が終われば、アイリスの元へやってきた。


「いい場所を教えてもらった」




 その場所は、広場から少し距離があった。

 リアン達は行かないようで、二人は並んで歩く。


 ロイはいつの間にか着替えていた。かちっとした上等な深緑色の服で、髪型も整えられている。レナードが用意してくれたらしい。服の色は、ロイの瞳を見て決めてくれたようだ。


 慣れない格好で落ち着かないのか、ロイは首元をしきりに緩めたり、何度も生地に触れている。普段は制服姿が多いため、アイリスも新鮮に感じた。


「こんなにいい服を着たのは初めてだ」

「よく似合いますよ」

「爵位をもらったことをリアン殿下から聞いたらしい。俺も貴族に見えるか?」

「はい」


 父も似たような格好をしたことがあるなと思い出す。ロイは背が高く体格がいいので、かっちりした服を着るとそれなりに見栄えがいい。


 にしてもお互い、着飾った姿だ。


 アイリスはモネによって。

 ロイはレナードによって。


 隣国の王族にここまでしてもらうのは恐縮だが、リアンももらっとけ、と肯定的だった。リアンの願いが叶い、モネの願いも叶い、レナードは部下達の指導をしてくれたからと。


「疲れていませんか?」

「平気だ」


 即答するとはさすがだ。

 確かに疲れた様子は見えない。


「お疲れ様でした。私も指導してほしかったです」

「国に帰ればいつでも相手をする。その格好では……さすがに難しいな」


 アイリスは苦笑する。


「借りものですし、汚すわけにはいきません」

「何度見ても姫だな。……可愛い。攫いたくなる」


 ロイの手がアイリスの髪先に触れる。


 言葉とその行動に、アイリスはどぎまぎする。

 格好も相まって心臓に悪い。


 と、目の前に広がる景色を見て思わず呟く。


「バラ園?」


 そこには色とりどりのバラが咲き誇る庭があった。赤やピンク、黄色に白。綺麗に咲いた大ぶりのバラに、アイリスは釘付けになる。


「レナード殿下が所有するバラ園だ。許可がないと入れないようになっている」


 確かに出入口のアーチに鍵がかかっている。

 だが今は開いていた。


「逢引場所としても提供してるらしい」

「……え?」


 アイリスの呟きは聞こえなかったように、ロイは平然と歩き出す。アイリスも黙って、ついていく。


 歩く度に綺麗なバラが視界に入り、バラ特有のいい香りがしてくる。バラだけの庭というのはこんなにも豪勢で華やかなのか。ロマンチックな場所だ。


 思ったよりも敷地は広く、気を付けなければ迷子になりそうだった。だがこれだけ広ければ人目につかない。至る所にベンチが置かれており、すぐに休めるようにもなっている。奥には、屋根のついた休憩所が見えてきた。


 そこにはテーブル一つとイス二つ。

 座れば一面、バラ園がよく見える。


「綺麗ですね」

「ああ、綺麗だ」


 二人はしばらく目に焼き付ける。


 静かだ。他に誰もいないせいだろうか。こんなに広い綺麗な庭を独り占めできるなんて、レナードはいい場所を持っている。


 アイリスは自然と気が緩んでいた。

 綺麗なバラに囲まれているからかもしれない。


 風も頬を撫でる。気持ちがいい。


 それに、この国でやるべきことは終わった。

 この景色を思い出として、後は帰るだけだ。


「アイリス」

「はい」


 目はバラに夢中になっている。


「好きだ」


 アイリスは驚いてロイに顔を向ける。

 一瞬何を言われたのか分からなかった。


 その時、タイミングよく突風が来る。髪が風で乱れ、視界が悪くなった。慌てて髪を横に動かしていれば、その間にロイはアイリスに近付いた。


 手にはいつの間にか、一本のバラを持って。

 片足をついて、差し出してくる。


「ずっと好きだった。俺と結婚してくれないか」


 優しい眼差しのまま。

 真っ直ぐな言葉を、渡してくれる。


 アイリスは無意識にそのバラを受け取っていた。


 彼の言葉と表情に、胸がいっぱいになる。本人から言われると、じわじわと、昨日よりも嬉しさと喜びが広がっていく。これは現実なのか夢なのか、一瞬分からなくなったが。受け取ったバラは確かにそこに存在して、芳しい香りが届いた。


 告白は嬉しい。だが結婚の話まで出て、少しだけ戸惑う。将来的なことを考えれば、もちろんアイリスはロイ以外に考えられなかった。だが告白と同時に求婚されるとは、思わなかった。


 するとロイは気付いたのか。

 苦笑しながら補足する。


「もちろんそのつもりなのはあるが、アイリスの場合、そう言わないと上手く伝わらない気がしてな」


(あ……)


 確かにロイの気持ちを知らないままだったら、好きだと言われても、素直に受けとめられなかったかもしれない。弟子だからと、教え子だからと、恋愛的な意味ではないのではと。目の前の幸せを、自分が傷つきたくないからと、見ないふりをしていたかもしれない。昨日、偶然彼の気持ちを知ったからこそ、今素直に受けとめられている。


 それに差し出されたバラは一本。


 たくさんバラが周りにあるのに、彼が渡してくれたのは一本だけ。バラには花言葉があり、その本数にも意味があった。アイリスも知っていた。花好きの母が教えてくれたのだ。


 一本は「あなたしかいない」。


 花言葉を添えて、自分の気持ちが本当であると、教えてくれる。どこまでも、アイリスのことを考えて。この場所も、人の目がないから。それに、この国に来た目的を全て果たした。全て終わり、アイリスの憂いもなくなった状態で、ロイは気持ちを伝えてくれた。


(……全部、私のために)


 思えば今までの言動だって全て、自分のことを考えてくれた。考えた上で、与えてくれた。


 それを自分は、何も返せていない。

 今、返す時じゃないだろうか。


 アイリスは一つ呼吸をする。

 返事をするために。ちゃんと返すために。


 だが口を開こうとすれば、震えてくる。

 上手く、言葉にできるか、不安になる。


 気持ちを伝えるということは、こんなにも緊張するのか。簡単なように見えて、こんなにも難しいのだと、自分が言う側になって痛感する。それでもロイは、待ってくれている。


「私、」

「うん」

「私……私も、好きです」


 最後は声が細くなってしまう。


 だがロイの耳には届いていた。少しだけ驚いていたが、すぐに余韻に浸るような顔をして、嬉しそうに笑いかけてくれる。


 その表情に、アイリスの緊張が少し和らぐ。


「気持ちを伝えて下さって、ありがとうございます。私、う、嬉しいです」

「うん。俺も嬉しい。ありがとう」

「いつも、素直じゃなくて。その、」

「気にすることじゃない。そんなところも可愛い」

「……他の人の方が、素直で可愛いと思います」

「俺にとって一番可愛いのはアイリスだ」

「前から思っていたんですけど、どうしてそんなに口が回るんですか……」


 アイリスは結局しどろもどろだ。

 ロイは両想いとなってもやはり余裕があるような気がする。


 すると小さく笑われる。


「本当に思ったことをただ口にしているだけだ」

「それが私にとっては難しいんですが……」

「なんでも伝えてくれ。受けとめるから」

「!」


 それはきっと、良いことだけじゃなく、よくないことも、なのだろう。


 彼だから、受けとめられるのだ。以前父に、相手ができるのはロイくらいしかいないと言われたが、本当にその通りだと思う。


 素直が出るよりも剣が先に出るような気がする自分には、その剣を止められる人でなれけば、おそらく生涯を共にできない。


 「あなたしかいない」というのは。

 アイリスにとってもだ。


(……もっと、素直になりたい)


「立ってください」

「?」


 ロイはずっと片足をついていた。アイリスの言葉に、素直に従ってくれる。立ち上がるタイミングで、アイリスはそっとロイに抱きついた。寄り添うように。


 アイリスの背中に、ロイの手が回る。


「……嬉しいな。アイリスから来てくれるのは」

「私だって、好きですから」

「だから自分の方が好きだと言っていたのか」

「そうです」

「俺の方が好きだと思っているけどな」

「その話、まだ続いています?」


 思わずむっとして顔を上げる。

 相手はにやっと笑っていた。


「ちがうか?」

「想いは負けていませんよ」

「そうか。嬉しい話だ」


 愛おしそうな目を向けられる。


 彼の笑顔も好きだが、光り輝くエメラルドグリーンの瞳も、アイリスは好きだった。引き込まれるように見つめ続ければ、ロイが顔を近付けてくる。


 アイリスは自然と目を閉じた。

 互いの唇が、重なった。


 触れるだけのそれは頬にした時よりも柔らかく、くすぐったい。頬にされた時はあんなにも焦っていたのに、今は気持ちが同じだと分かっているせいか、戸惑いも、焦りもなかった。自然と彼の唇を受け入れている。


 しばらくしてから離れる。

 互いに息を吐きながら、見つめ合う。


「もう一度しても、いいか」

「聞くんですか?」

「無理強いはしたくない」

「私達、両想いですよね」

「ああ」

「じゃあ……いつでもしてください」


 自然と言葉にしていた。


 するとロイは少しだけ。

 耐えるような表情をする。


「……俺の理性はどこまでもつか」

「え?」

「なんでもない。……その言葉、覚えておく」


 言いながらロイの右手はアイリスの頬へ。

 もう片方はアイリスの首に回る。


 二度目の口づけも触れるだけ。


 まるで離れないとでも言うように。

 ぴったりと合わさっていた。

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