27*口づけて -01-

 剣と剣がぶつかり合う音が聞こえる。


 青空の下、広場の真ん中で。

 二人の騎士が互いの実力を発揮していた。


 フレディは少し緊張した面持ちで。

 必死に剣を振るう。


 ロイは冷静なまま。

 だが油断せずに自分の剣技を魅せる。


 周りで見ていた騎士や城の者は、鬼気迫る二人の熱気に当てられ、声を出しながら応援していた。自国の騎士であるフレディを応援する声が多いと思いきや、ロイを応援している声もある。


 隣国の凄腕の騎士であることが伝わっているからか、それとも彼が一日かけて稽古をしていた努力の姿を目の当たりにした者が多かったからか、いつの間にかロイのファンが何人もいる状態だ。


「すごいですね。さすがロイ様」


 アイリスの隣にいるモネが、感心するように拍手している。日に焼けないように大きめのつば広帽子を被り、後ろにはメイドが日傘を差してあげていた。アイリスはそうですね、と答えながらも、非常に申し訳なさそうに言葉を続けた。


「あの、ありがとうございます。まさか服を用意していただけるなんて」


 モネはぱっと、花が咲いた笑みを見せてくれる。


「晴れ舞台ですもの。そのお姿もお美しいですわ」


 アイリスは試合が始まる前にモネに呼ばれ、行けばメイド達によって服を脱がされた。そして用意された洋服を身に着けることになった。今回の試合の目的はアイリスだ。ここは着飾ると良いだろうと。


 シンプルなデザインだが袖は肌が薄く見えるシースルーの素材。全体の色は薄青色。リボンもついているのだがそれも同じ色で、アイリスの瞳の色を見て決めてくれたらしい。裾の長いふわっとしたシフォンワンピースで、動く度にふわふわとスカートが揺れている。


 髪はハーフアップで編み込みもされている。髪を巻かれ、生花の白い花びらがいくつか髪についていた。こうして髪に飾るのもこの国では流行っているらしい。綺麗にしてもらえたのはありがたいのだが、思ったより目立つ姿になる。


「こう見ると姫が二人いるみたいだな」


 一緒に観戦しているリアンが言う。

 ちなみに隣にレナードもいる。


 モネはアイリスと色違いの格好をしている。


 昨日は落ち着いたシックな装いだったが、今日は橙色のワンピースで女の子らしい。色違いだが同じ服、同じ花を髪に飾っている。お揃いなわけだが、アイリスとしては少し恐れ多い。


「リアン殿下、滅多なことを言わないでください。モネ殿下と私では気品がちがいます」

「お前だって侯爵令嬢だろ。見た目はいい感じだぞ。さっきロイも言ってたし」


 う、と言葉に詰まってしまう。


 試合が始まる前。

 ロイにこの姿を見られた。


 彼はふっと微笑んで。


『まるでお姫様だな』


 と言ってくれた。


 彼に好かれていることを知ってしまったこともあり、アイリスは反応に困ってしまった。視線を下げてどうしようと思いながらも褒められるのは嬉しくて。しばらく黙っているといつの間にかフレディもやってきて「似合っていますね」と言ってくれる。それには会釈して応えた。


 フレディは真っ直ぐアイリスを見る。


『アイリス殿。試合の俺を見てください。あなたの記憶に残るよう、結果を出します』

『……お怪我は、しないように』


 ここでなんと返すのが正解なのか分からず、とりあえず心配している点だけ伝えた。するとフレディは頷いてくれる。アイリスも微笑みを見せながら(若干ぎこちないかもしれないが)、頷き返す。それに彼は満足したのか、すぐに広場へ移動した。


 残ったロイは短く言った。


『信じて待っててくれ』

『……はい』


 アイリスはロイを見つめた。

 最愛の人へ、熱を込めた眼差しで。


 ロイとのやり取りを思い出し、アイリスは少しぼうっとするが、首を振る。試合を最後まで観戦しなくては。本当は夕方頃に試合を行う予定だったが、急遽昼に変更になった。青空が広がる下で、二人は戦っている。


 事の発端は昨日。ロイが一日剣を振り続けた結果、それを見たこの国の騎士が、ロイに稽古をつけてもらいたいと言い出したのだ。フレディとの試合が終わった後、ロイが剣の指導をすることになっている。


 ロイに指導してもらえるならとアイリスも立候補するつもりだったが、お前は自国で見てもらえとリアンから却下された。確かにこの姿では上手く剣を振れない気がする。


「シュダリアル王国では剣術大会があるとお聞きしました。リアン殿下も出場なさるんですか?」

「俺は出ない。見る方が好きだ。俺が戦わなくても、ロイのように強い騎士は多くいる」

「そんなこといって、リアンも剣を扱えるよね。側近によく稽古をつけてもらってるんでしょ?」

「いつ何が起こるか分からないからな」

「身体も鍛えてるよね。腹筋とかすごいんだよ。モネ、見せてもらう?」

「えっ」


 兄の言葉にモネは少しだけ赤面する。

 途端にリアンは顔をしかめた。


「おいレナード。不敬になることを言うな」

「照れてるだけだよ」

「あ、わ、私は……」

「モネ殿下。無理に答えなくていい」


 三人は仲良く会話をしている。

 アイリスはそれを見て感慨深くなっていた。


 リアンはモネにも普段通りの口調で話している。彼女がそれを望み、普通に受け入れてくれたおかげだ。リアンも開き直っている様子だった。それに、モネを助けてあげている。本当に、彼女には分かりやすく優しい。


「……リアン殿下」


 モネがおずおずと名前を呼ぶ。


「? どうした」

「お兄様には敬称をつけておりませんが、どうして私にはつけるのですか」

「え」


 急にそんなことを言われ、リアンは固まる。


 モネは少しだけむっと頬を膨らましていた。その姿は可愛い。先程の会話で、呼び方が違うことに気付いたのだろう。一緒でないことが嫌なようだ。


「……いや、それは」

「敬称はいりませんわ」

「っ、モネ殿下」

「モネと」

「…………」


 モネは上目遣いをする。

 引きませんよ、と無言の圧を向けていた。


 こういう時、彼女も王女なのだなと思う。ただ可愛いだけの女性ではない。言葉の中に強い意志を感じる。口調をいつも通りにしてくれた実績もあるからか、強気になっているのかもしれない。


 リアンは最初渋っていた。

 が、相手が全く引いてくれないので、結局折れる。


「……モネ」


 するとぱぁあっと彼女は顔を輝かせる。

 感情がよく顔に出る。嬉しそうだ。


 リアンはこそっとレナードに耳打ちする。


「俺、陛下に殺されないか?」

「喜んでるから大丈夫だよ。あの人娘には甘いから」


 リアンは微妙な顔をする。


「モネ」

「なんでしょう」


 天使のように麗しい笑み。

 それにリアンは少し溜息をつく。


「俺が言うのもなんだが、一国の王子と親しくなり過ぎるな。自分が待つ美貌や頭脳、陛下のお気持ちを考えろ」


 モネは目をぱちくりさせる。


「君には魅力的なところがたくさんある。男に対し、簡単に気を許さないでくれ」 

「…………は、はい」


 モネは少しだけうつむく。

 その顔は真っ赤になっていた。


 レナードは口を半開きにする。


「リアンが口説くようなこと言うなんて……」

「口説いてはないだろ」

「ストレートほど威力の高いものはないんだよ?」

「何の話だよ」


 アイリスも聞きながら、顔が緩みそうになるのを耐えていた。女性に対する噂がなく、誰に対しても平等に接するあのリアンが、モネにああ言うとは。レナード同様、アイリスも内心驚いている。


 彼は心配で口にしただけなのだろうが、さらっと褒めていることに気付いているのだろうか。リアンの中でモネがどのように映っているのか、手に取るように分かった。周りで聞いていても破壊力がある。


 と、リアンの目がこちらに向く。


「アイリス、もっと近い場所で見ろ。その方があの二人も嬉しいだろう」


 今いる場所も決して遠くはなく、二人の試合の様子は見えている。だがこの場に王族が揃っており、護衛も傍にいる。皆が観戦している位置とは少し離れていた。アイリスは試合を見つつも三人の様子を気にしていたので、気を利かせてくれたのだろう。


「! 私ったらついお話に夢中で……申し訳ありません、アイリス様」

「い、いえ。お気になさらないでください。行ってまいります」


 リアンの提案に心から感謝しつつ、アイリスは立ち上がった。正面から見える位置、騎士達が夢中で観戦している場所まで小走りする。人が大勢いたが、周りに頭を下げながら、一番前に行く。二人の姿が、よく見える場所へ。


 試合は思ったより長引いている。


 フレディは果敢に剣を動かしていた。

 怯む様子もなくロイに向かっていく。


 ロイは最初と顔色が変わらない。攻めてくるフレディに対し、上手く剣でいなしている。その様子はまるで教官と生徒のようで、士官学校時代を思い出す。騎士の視点から見ても、ロイの実力を知っている身からしても、明らかにロイの方が優勢だった。


 それでもアイリスは自分の両手をぎゅっと握り、祈るような形を取る。周りの大きな声援は耳に届いていなかった。ただ、ロイだけを見つめていた。




 フレディは気付いていた。

 彼女の目が、自分に向いていないことに。


「――揶揄からかっているんですか」


 距離を取った時、思わず呟く。

 ロイはそれに眉をひそめた。


 吐き出すようにフレディは言う。


「早く俺を倒せばいいでしょう」

「……」


 剣を交えながら、ロイはフレディの実力を悟った。彼は別に弱くない。剣の使い方や動きもよく、騎士の中でも強い方だと思う。自分の剣技も、多少よろめいているところもあるが、ついてこれている。例え実力はこちらが上だと分かっても。


 強くなるためには鍛錬も必要だが、自分より格上の相手と対戦した方が強くなれる。教官を経験しているせいか、そんなことまで考えてしまうのだ。一種の職業病かもしれない。


 実際フレディは、最初より動きが良くなっている。どこまで伸びるのか見届けたい思いが出てきて、すぐに勝敗を決めていなかった。それが彼にとっては、癪なようだが。


「最初からこの勝負は無謀であると理解していました。でも気持ちでは負けたくありませんでした。あなたのような、大人で、強くて、余裕があって、なんでも持っているような方には」


 試合中であるのによく口が回る。彼は負けると分かっているからこそ足掻いているのか。皮肉の一つでも言いたいのか。


 さすがにロイは口を挟む。


「最初の威勢はどこにいったんだ。アイリスがほしいんじゃないのか」


 騎士として年上として、敬語は外した。

 ロイなりの礼儀だった。


 フレディは眉を寄せる。


「その、余裕そうな態度が」


 急に近付いて剣を振り回す。

 最初と変わらず攻めの姿勢を貫いてくる。


「腹が立つんですよっ! 俺は気持ちでは負けていない。絶対に。だからこの勝負負けたくない!」


 自分の感情をむき出しにする若者を、ロイは冷静に見つめる。若いからこそ昂ぶりがあればその勢いのまま身体を動かすことができる。それは時として力になり勝利をもたらす。


 ロイにもそんな時期はあったが、年齢が上がるごとに冷静さが増していった。感情をコントロールできた方が、どんな場面でも臨機応変に動ける。元々落ち着いた性格なのもあるだろうが、王族から任される重要な仕事をこなすうちに、昔よりも余裕ある大人になってしまった。


 結果、感情を一番出したい相手に出せていない。彼女の気持ちを考えすぎて、結局自分の気持ちを伝えられていない。心の奥にある激情を、彼女は受け止めてくれるだろうか。そればかり考えてしまう。


「あなたは本当にアイリス殿が好きなんですかっ。幸せにしたいと思うんですかっ。俺より気持ちが強いと、どうやって証明してくれるんですかっ!」


 腹の底から声を出している。

 相手の意図に、ロイはようやく気付く。


(ああ、そうか)


 アイリスへの想いが見えないと。焦りや苛立ち、怒りを見せないせいで、そこまでの情がないように思われていたのか。


 剣の腕前ではなく。

 男として勝負したいのだろう。


 今までアイリスへの想いを公にさらしていなかった。自分は大人だから。彼女に迷惑をかけたくないから。色んなことを考え過ぎた。慎重になっていた。


 そのせいで。


 彼女にも、周りにも、ただの師弟関係としか思われなかった。旧知の間柄としか思われなかった。それが、仇となったところはある。


(俺のものだと、最初から牽制すればよかった)


 もっとはっきり口にしていたら。


 そもそもチャンスが欲しいなんて。

 言われなかったんじゃないか。


 ロイは自分の曖昧さに、嫌気が差してくる。


 だが今は。覚悟は。

 とうに決めている。


 ロイはスピードを上げて走る。

 今度は自分から、フレディに向かう。


「!」


(一撃で決める)


 互いに動かした剣は。

 ロイの方が早かった。


 フレディの剣はロイの剣にはじき返され、円を描いて飛んでいく。それは、地面に刺さる。


 その瞬間、周りから歓声が上がる。

 勝敗が、決まった。


 フレディはしばらく剣を見つめていたが、荒い呼吸を繰り返しながら、膝に手を置く。そしてすっと姿勢を正し、ロイに近付く。


 手を差し出してきた。

 表情は思ったより晴れ晴れとしている。


 ロイはその手を躊躇なく掴む。

 彼に対し、素直に敬意が芽生えた。


「ありがとう」

「……何の礼ですか。アイリス殿のことですか?」

「大事なことは本人に伝えた方がいいと、君が教えてくれた」

「言ってないんですか。婚約者なのに?」


 若干引かれるように言われる。

 それを言われると痛い。


「そうだな。今の立場に甘えていたところがある」

「……女性は口で伝えるのが大事らしいですよ」


 なぜか憐れむような目で言われてしまう。


「一応、言ってはいるんだが」

「どうせさらっとしか言ってないんでしょう」

「なんで分かるんだ」

「ロイ殿の場合、対応がスマート過ぎてあまり本気に感じられないというか」

「そう、なのか……」


 それは知らなかった。

 客観的に言われる機会もなかった。


 もしやそのせいでアイリスからも本気だと思われていなかったのだろうか。教えてもらえてありがたいが、もしそれが事実であれば、若干へこむ。


「なんだ。ロイ殿も普通の人間なんですね」


 こちらの様子に、軽く笑われてしまう。

 意味が分からず首を傾げると。


「もっと完璧な方だと思っていました。アイリス殿のことも……好きなんですよね」


 力を、思いを込めた一撃で、フレディは理解してくれたらしい。言葉で何か言うよりも、こうやって行動で移す方が得意なのかもしれない。特に男性は、言葉よりも互いの思いを拳や剣でぶつけた方が、分かり合えることがある。


「ほら、行ってください」


 フレディが教えてくれる。

 言われてロイは顔を動かす。


 誰よりも一番前にいて見届けてくれた人物。

 アイリスが目を潤ませていた。


 ロイの勝利に高揚しているのか、頬が少し赤く染まっている。まるでお姫様のような風貌をしている最愛の女性に、その様子に、目を奪われてしまう。


 ロイはゆっくり、歩き出す。

 彼女も、こちらに向かって歩いてくる。


 伝えたいことがあった。


 やっと言えるのだと、心が震える。

 だがその前に、欲しいものがある。


「勝った」


 まるで子供が言うような事実を伝えると、彼女はふふっと笑ってくれる。「おめでとうございます」と、祝いの言葉を述べてくれた。


 ロイはすぐに手足を動かす。


「!?」


 アイリスを持ち上げたのだ。


 いつもは身長差でロイが見下ろすのだが、今はアイリスが見下ろしている。戸惑うような驚くような表情で、ロイの肩に手を置いていた。


 彼女は髪に花を飾っている。その香りなのか、それとも彼女本来の香りなのか、芳しい香りがする。鼻腔をくすぐるその香りに惑わされそうになるのを隠すように、ロイは微笑んだ。


「くれるか?」

「っ……!」


 試合前に約束していた。

 勝てば褒美が欲しいと。


 彼女は少しだけ迷う素振りを見せたが。

 小さく頷いてくれた。

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