26*本心 -03-

「よかったですね」


 昼食後、アイリスとリアンは部屋に戻る。


 モネがもっとリアンと話したいと言ったが、公務が溜まっているとメイドに言われてしまい、ショックを受けながら見送ってくれた。また話しましょうと、思い切り手を振ってくれた。


 リアンは流れで自分の正体を明かすことになったが、それはモネが誠心誠意向き合ってくれたからだ。でなければリアンも覚悟が持てなかったかもしれない。仕事をする上では決断が早いのに、好きな子の前では意気地がないだなと、アイリスは心の中でほくそ笑む。自分も人のことは言えないが。


「まぁ、なんだ。アイリス」

「はい?」

「モネ殿下のことは感謝してる。ありがとう」


 アイリスはまじまじとリアンを見る。

 ちゃんと感謝されたのは初めてな気がする。


「どうしたんですか。明日は槍でも降るのでは?」

「……おい。人が珍しく素直になったのに」


 若干恥ずかしそうに顔を歪める。

 それに思わず笑ってしまった。


「本当によかったです。お二人が仲良くなられて」

「ま、これからどうなるかだけどな」

「?」

「昔陛下から釘を刺されたことがあるんだ。娘に手を出したら国を滅ぼすぞと。冗談だけどな」

「怖っ」


 何年も前。父と兄と共に、この国の王と初めて挨拶をした時。謁見の間に行けば、笑いながらそのようなことを言われたようだ。顔に笑みはあっても、口調は本気だったらしい。


(あれ、でも)


 確かこの国の王は、バルウィンかリアンのどちらかをモネと婚約させようと考えているはず。モネの話は最近のはずだから、国王はこの数年の間で心境の変化があったのかもしれない。そもそもモネは偶然その話を聞いただけだ。どこまで本当なのだろうか。


「モネ殿下の聡明さと可憐さは有名だ。国内の公務をこなし、国外へはあまり姿を見せない。国の評判は高いからそれが外にも広まり『深層の姫』の名はより箔が付いている。他国からも注目されているだろうな。箔をつけるためにモネ殿下をあまり公に出さないのか、娘可愛さに隠しているのかは分からないが」


 モネが公にあまり姿を見せない理由は明らかになっていない。最初は凛とした美しい姫だと思っていたが、年相応の可愛らしさを持つし、人見知りというわけでもなさそうだ。自分の疑問を解消するため、わざわざアイリスとロイに会ってくれた。


 彼女自身が望んで姿を見せない、というわけではない気がする。国王の考えが絡んでいる可能性が高い。とすると、この国の王も娘同様頭がよく回るのかもしれない。兄であるレナードも一筋縄ではいかないような性格をしている。その中でもモネは一番素直な気がした。


「俺としては、普通に会話ができればそれでよかった。互いに王族としての責務があるしな」

「……それは」

「王族は常に国のために働くものだ。未来のことは慎重に選ぶ必要がある」


 リアンの言葉に、アイリスは背筋が伸びる。


 王族は自由結婚が普通ではない。政のために結婚を利用する場合もある。リアンがモネに近付き過ぎなかったのは。踏み込み過ぎないようにしていたのは、互いの立場を考えたからか。


 アイリスは知識として理解しているつもりだったが、本人の口から言われると重みが違う。モネに対して慎重だったのは、先のことも考えていたから。ただ好きだから、では、動けない未来もある。


 ということは分かっているが、それはそれで、モネの気持ちはどうなるのだろう。運命的な出会いと再会に、心を躍らせているようにも感じられたのに。


「そこは自分が、って思わないんですか」


 同じ女性として、モネの気持ちを尊重したくなる。アイリスははあまり思わないのだが、世の女性からすれば、男性に追いかけてほしいのではないか。


「俺は王子だから、全体のことをまず考える。自分の気持ちは二の次だ」

「……」

「そんな顔をするな」


 神妙な顔になっていたからだろう。

 リアンはふっと笑う。


「俺は好きな奴らがただ幸せになってくれたらいいんだよ」

「……リアン殿下が幸せにしてあげてくださいよ」


 するとはは、と珍しく笑われた。


「チャンスがあるならな。別に諦めたわけじゃない」


 と言いながらも。

 おそらく色々考えるのだろう。


 すぐに行動に移せる人だ。すぐに人を動かせる人だ。それなのに、好きな人に対しては慎重だ。未来のことや相手の立場、自分の立場、色んなことを考え、すぐには動かない。


 改めて彼は王子だ。


 自由にしているように見えるが、してはいるのだが、自分の立場を疎かにしたり、投げ出したりしたことはない。他国での振る舞いに、考えに、彼の隠された苦悩を思い知る。それを苦悩だと思っているのか、思わずにそう言い切っているのか、聞いている側としてはなんとも言い難い気持ちになる。王族であることの、責任の重さを感じる。


「で、なんでロイからキスしてほしいとか言われたんだ?」

「今それ言います!?」


 急に話題が変わった。


「そっちの方が気になるだろ」


 アイリスはむっとする。

 口をつむって抵抗を見せる。


 聞くのなら直接ロイに聞いてほしい。本当は自分も問いただしたかった。だがあの場では返事をするので精一杯で。


 するとリアンは、少し先を見て顔色を変える。人差し指を自分の口に当て、アイリスに合図した。それを見たアイリスは首を傾げたが、彼と共に立ち止まり、聞き耳を立てる。


 誰かの話し声だ。


 ここは客人用の廊下なので、通れる人は限られているはず。行き来する時も誰かに会ったことはない。リアンが声のする方に足を進め、アイリスもついていく。するとどんどん話し声が大きくなる。


「――彼にチャンスを与えてほしいんだ」


(レナード殿下?)


 曲がり角の少し奥に、レナードの姿があった。


 彼は誰かと話している。

 二人がこっそり隠れながら様子を窺うと。


 そこには稽古帰りのロイの姿。

 相当動いたのか、汗が滴り落ちている。


「フレディ殿のことですか」

「そう。だって彼はほとんどアイリスに会えないし、君はいつでも会えるでしょう? 別に交際させてほしいと言っているわけじゃない。二人きりの時間くらい与えてあげてもいいんじゃないかと思ってね」

「……私とアイリスは婚約者同士です。それは試合の勝敗で決めると」

「本当の婚約者じゃないんでしょ? リアンから聞いてる」


(えっ)


 思わずアイリスが隣を見れば。


 リアンは即座に自分の顔の前に手を合わせて謝る動きをする。ということは事実か。そもそも何のためにこの国に来たのか。声を出せないので顔の圧を向けると、リアンはしきりに手を動かして謝ってくる。


 ロイは特に動じていない様子だった。

 レナードは笑って経緯を説明してくれる。


「リアンからモネと普通に話せるようになりたいって頼まれてね。それだけじゃ動けないよって言ったら、好きだから協力してほしいって言われて。友人の恋なら応援してあげようと思って。モネもリアンのことをよく知らないし、僕の言葉はあまり信用してくれないしで、信用できる人の言葉が必要だった。アイリスはリアンの幼馴染だし適任でしょう? でも急に言えば、アイリスが来てくれない可能性があった」


 普段リアンに振り回されているから協力してくれないのでは、という理由と、モネへの想いを言うのが恥ずかしかったから、という理由に、アイリスは半眼でリアンを見つめる。


 リアンは顔を下に向けていた。

 居たたまれないのだろう。


 確かにリアンの恋愛事情については一切知らなかった。おそらく知らない人の方が多い気がする。グレイは知っていただろうか。彼の場合は知っていてもおそらく黙っているだろう。


「アイリス一人に来てもらうのも忍びないから、旧知の仲である君にも来てもらう必要があった。君がいてくれた方がアイリスも落ち着けるからと」


(……だからロイ殿も呼んでくれたのね)


 それは確かに助かったが、だからといって色々特訓する必要はあったのか。と思いながら、ロイが一緒でも違和感がないよう、隣国の王子に気に入られた筋書きを立てたのだろう。


 アイリスは呆れる。


 ここまで遠回しに色々準備していたことに。

 素直に頼めばいいのに。


 やはり好きな人に対しては不器用なのだろうか。


「君達の関係については把握してる。ね、今度はこっちの協力をしてほしいな。いいでしょうそれくらい。だって君は別にアイリスのこと」

「――レナード殿下の目にはそう見えますか」


 ロイの低音が響く。


「私がアイリスの剣の師で、旧知で、ただそれだけだと。彼女のために試合を提案したのも、ただそれだけが理由だと思っていますか」


 彼の言葉以外が無音になる。


 音を立ててはいけないような気がした。

 声を発してもいけないような雰囲気だった。


 空気が、思ったより重い。


 こんなに空気が張り詰めることがあるだろうか。相手はこの国の王族であるのに。礼儀や敬意を重んじるはずのロイがこうなるのが、目の前の光景が、アイリスには信じ難かった。


 だがそんな彼を目にしても。

 レナードは肩で笑う。


「ちがうの?」


 するとロイは眉を寄せる。


「分かって言っておりますね」

「君もはっきり言えばいいのに。フレディが言っていたよ。全く挑発に乗らないし、本当にアイリスが好きなのかって」

「他者に言うくらいなら本人に言います」


(……え?)


「そう。明日言うの?」

「関係ありますか」


 フレディはおかしそうに笑う。


「いいね、全然負ける気がないね」

「私に勝てないからそのようなご提案をされたのでは?」

「これは一本取られちゃったなぁ」


 レナードは肩をすくめる。

 わざとらしく。


「すぐに負けるとかは思ってないよ。でもフレディにいい思い出を作ってほしくてね」

「あげません」


 ロイの口調が強くなる。


「彼女は俺のです。思い出一つさえ渡したくない」

「言うねぇ」


 レナードはにやっとした。

 欲しい回答を得たように。


 ロイは息を吐いた。


「もうよろしいですか。練習相手を待たせているので」

「まだやるの? いいけどね。君がいてくれるとみんなの士気が上がるから。いいなぁリアンは。こんな凄腕の騎士がいて。うちの部隊にも欲しかったなぁ。今からでもうちに来ない?」

「お断りします」

「即答かぁ~」


 残念そうな声を出すがなぜか嬉しそうだ。


 その間にロイは歩き出すが、レナードも一緒についていく。そのまま何か話しかけているが、ロイは面倒くさそうに短い言葉で返していた。いつの間にか仲良くなったような、そうではないような。


「レナードの奴、ロイのこと本気で気に入ったな」


 二人が遠ざかった後、リアンがぼそっと言う。

 眉を寄せ、少しだけ溜息をつきながら。


「アイリス」

「えっ」


 名前を呼ばれてはっとする。

 意識がないような感覚だった。


「用意されている自分の部屋にいていいぞ。この後特に予定も決まっていないし、俺が許可する」

「……しかし」

「俺にはガクがいるから、従者が一人減ったところで問題ない。それに」


 リアンは一呼吸置いた。


「そんな顔、誰にも見せない方がいい」

「……どんな顔ですか」

「氷が溶け切った顔だ。やっぱり溶かせるのはロイだけか」


 どこか面白げに言われたので、アイリスは思わず拳をリアンの肩にぶつけた。「痛いだろ」と半眼で言われたが知らない。だがお言葉に甘えることにした。




 元々一泊予定だった。

 全員一人部屋を用意してもらえた。


 アイリスとロイは婚約者同士ということにはしているが、まだ籍を入れていないので、別で用意してもらえたのだ。客人用とはいえ広い造り。シンプルで必要最低限のものだけがあるのだが、それがかえって安心する。アイリスはやっと深く呼吸した。来た時から、いや来る前から色々とあり過ぎた。目の前にある白いベッドを見て、ふらふらと足を動かす。


 そのまま、思い切り身体を投げ出した。


 いつもなら行儀が悪いと思って避けるのだが、今日は許してほしい。思った以上にふかふかだ。緊張が解け、気も緩みそうになるが、ロイの言葉が脳内を駆け巡る。


『他者に言うくらいなら本人に言います』

『彼女は俺のです。思い出一つさえ渡したくない』


 思い出した瞬間、顔に熱が走り出す。

 思わず両頬を触ってしまう。


(……つまり、ロイ殿は、私のことを……)


 と思ったところで。

 心の中で叫んでしまう。


 その勢いのまま、羽毛布団を抱きしめてしまう。かなり手触りがよくふわふわだ、と思ったのも束の間。意中の相手が自分のことを好きだなんて、信じられるだろうか。いや信じていいのかも分からない。だが先程の会話を聞く限り、ロイはアイリスのことをただの弟子だと思っていないことになる。


 アイリスはばっとベッドから起き上がる。


(いや待って。いつ? いつから私のことを)


 全然分からない。

 と思ったが、どこか既視感があった。


(……今までの言動全て、弟子だからではなく、好意がある上でしていたら?)


 アイリスはゆっくり記憶をたどる。

 一番身近で言えばモネと一緒に話をした時。


『私は教官時代にアイリスが好きであると自覚しました』

『仕事の関係で三年ほど会えなくて、最近やっと再会しました。その時に想いが溢れたんです』


「…………」


『君は、俺がどれだけ君のことを好きか分かっていない』


 絶対自分の方が好きだと思っていた。

 自分だけが好きだと思っていたから。


 だがあの時の彼の瞳は。

 どこか切なそうに見えたような気がする。


『いや譲らない。他のことなら譲るが、この件に関しては譲らない』

『誰が誰より好きだって?』

『全部が出た時点で俺の方が気持ちは強い』


 しきりにこちらの好きを否定してくるから。

 なぜなのかと疑問ばかり浮かんで。


 師として。兄のような立場で。

 人としての想いは持ってくれているのかと。


『ずるくない。全部の後に一つずつ述べた。俺は本当のことしか言っていない』


「……全部って。全部が、本当だって言うの?」


 アイリスは震えながら息を吐く。

 やっと気付いた。遅すぎるくらいに。


 彼は最初から、想いを言動で伝えてくれていたのだ。それを自分は違うだろうと、気にも留めていなかった。


 自分に、自信がないから。

 隣に、相応しくないから、と。


 なんて、思っていても。


 彼は常に、肯定してくれる。

 そのままの良さを、受け入れてくれる。


 全部、伝えてくれている。


 ロイの深い愛情を知って、アイリスの心は、喜びと、言いようのない感情が混ざって、締め付けられるような思いになる。歓喜のはずなのに、それに気付けなかった申し訳なさと、何があっても愛してくれる彼の想いに、溺れそうになる。


(……嬉しい)


 素直に、そう思えた。


 今目の前にロイはいないのに、彼の想いに満たされている自分がいる。フレディに対してあのように言ってくれたことも、嬉しかった。渡したくないと思ってくれていることも、喜びが痺れるように体中に広がる。彼の想いを知った今、自分の想いも伝えたい。伝えなければ、という気持ちになる。


 だが心配事もある。

 勝利の口付けだ。


(結局どこにしたらいいのかしら)


 リアンは自分の思うままにでいい、そこまで気にしなくていい、とアドバイスをくれた。それに一旦は納得した。だが今、ロイの気持ちを知った上で、改めてどこにすればいいのか分からない。


(さすがに口はハードルが高いわ。やっぱり額か頬か……)


 結局無難な位置になるが、それでいいのだろうかと悩んでいる自分もいる。だがロイが望んだ。彼が欲しいと、思ってくれた。ということはつまり、どこであっても、彼は喜んでくれるはず。


 それに、あの彼が口付けを望むなんて。

 普段なら考えられないことで。


 フレディに触発されたのか、こちらの愛情を欲しているようにも感じられて。それがまた、嬉しいと思ってしまう自分がいる。


(……せめて、気持ちは込めたい)


 自分の気持ちが伝わるように。

 唇を通して、伝わればいいのに。


 今の時点で気持ちは知られていないと思う。知っていたらおそらくもっと余裕があるはずだ。それにアイリスは、気持ちを自覚し伝えようとしたが、やっぱり無理だと途中で諦めていた。


 と思うと。


 ロイの努力と健気さに頭が下がる。

 言葉で、行動で、愛を伝えてくれていたのに。


 気付いてくれていないと、ロイも困っていたのではないだろうか。そういえば、立食パーティーで一緒になった時、鈍感なのが心配、と言われてしまったことを思い出す。


 思わず低い声で唸ってしまう。

 自分の残念さに呆れてしまう。


 せめて口下手じゃなければもう少し努力できただろうか。いや、ロイの場合は口が上手すぎる。なにせ言葉がストレートなのだ。裏表がないともいえる。だから皆に信頼されるし、好かれるのだろう。


(……誠実に。もらったものを返せるように)


 アイリスは無意識に自分の両手をぎゅっと握り、祈るような形を取る。彼に気持ちが伝わるように。彼に口付けができるように。


 幼い少女が願うように。

 目を閉じて明日のことを思った。

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