25*本心 -02-

「モネ殿下の笑顔、可愛いですよね」

「なんで知ってんだよ」

「話した時に笑ってくださったので」


 するとリアンはあからさまに不機嫌になった。


(余計なこと言ったわね……)


 出会って間もない間柄に笑顔を見せてくれたこと。自分は見せてもらえないし勘違いのまま睨まれていたと考えれば、リアンが不満な顔をするのも無理はないかもしれない。好きな相手なら尚更だろう。


 アイリスは苦笑しながらフォローした。


「これからはきっと見せてくれますよ」

「どうだか」


 いじけていた。

 少々面倒くさい。


「モネ殿下がリアン殿下の素を見たいとおっしゃっているんですよ。それに、勘違いしてしまったことを申し訳なく思っている様子でした。謝るチャンスを与えてあげてもいいのでは?」

「…………」

「どちらにせよ素は知ってもらった方がいいですよ。外面だけ良くてもいい関係は築けないでしょう。そのままのリアン殿下が無理なら一生無理ですし」

「励ましてるのか貶してるのかどっちだよ」

「私は殿下のことをたまに面倒でこの野郎と思うことはありますが」

「不敬罪にするぞ」

「それでもこうして傍で仕えるのは。王子としても人としても信頼し、この国を良くしてくださると信じているからです」


 アイリスの真っ直ぐな言葉に、リアンは面食らったような顔をする。こういう真面目な話をしたのは初めてだからかもしれない。そもそも幼い頃より互いのことをよく知っており、褒めるよりも罵り合うことの方が多い。と言えば語弊があるが、良いところも良くないところも分かった上で傍にいる。


 リアンも、ああだこうだ言いながら傍に置いてくれている。けっこうこき使われるので、適度に離れたいと思っていたりもするが。


 それでも彼の傍で働いているのは、信頼しているからであり、共に目指すべきところが同じだからだ。自身の能力を使いながら人や国を良くしていく。立場や考えは違っても、できることはある。


 というか今一番言いたいことは。


「このまま意地を張っている方がかっこ悪いですよ」


 すると渋い顔をされた。


 そう言われるのは嫌らしい。

 王子のプライドか。


「嫌われたらそれはそれで骨は拾います。当たって砕けてください」

「……ほんと容赦ないな」

「殿下も負けてないでしょう」

「確かに。お前を顎で使えるのは俺くらいだな」

「王族でなければ切ってますね」

「恐ろしすぎるだろ」


 ひとまず嘘くさい笑顔は止めるようだ。




「昼食の準備が整いましたのでご案内いたします」


 メイドが場所まで案内してくれる。


 ロイは戻ってきていない。食事は一緒に取るはずだったが、まだ稽古をしているようだ。そのまま食事を始めていいと、メイドは言付を頼まれたと話してくれた。


 寝食を忘れるくらいに努力する彼のことだ、今日は一日剣を振るんじゃないだろうか。アイリスは心の中で呆れと心配が混ざり合う。試合の報酬はアイリスのようなものなので、より気合いが入っているのかもしれない。


 と、アイリスはああ……と頭を抱える。

 ロイのことを考えたせいで思い出す。


「……あの、リアン殿下」


 隣を歩く彼に小声で伝える。


「なんだ」

「口付けって言われたらどこにするものだと思いますか」

「は?」


(だって相談できる相手いないし……)


 ロイに口付けが欲しいと言われたわけだが、その時は返事をするのでいっぱいいっぱいだった。思えば口付けは、一般的にどこにするものなのだろうか。唇か。それとも特に場所は決まっていないのか。厳密にここ、と言われたわけではないので、どこでもいいのかもしれない。


 が、自分はそういう経験が一切ない。


 故に想像しかできないしどこならできるのだろうと、頭を悩ませていた。そもそもそんなこと、自分からするなんて無理な話なのに。


 それに今他国にいる。他国の人にこんなこと相談できない。ここにジェシカがいたら真っ先に相談しているのに。いや。彼女のことだ。女神のような微笑みを浮かべながら「唇一択でしょう」とか言いそうな気がする。アイリスの中のイマジナリージェシカがそう言ってきたので、手で払って消しておいた。


「口付けってキスか」

「言い方の問題じゃないんですよ」

「キスして欲しいとか言われたのか」

「い、言われたらの話ですよ」

「誰の話だ」

「えっ。し、知り合いです」


 すると鼻で笑われた。

 なんだその笑いは。


 アイリスはさり気なく聞く。


「一般的にどこにするものかと思いまして」

「関係性によるんじゃないか。恋人なら唇だろ」


 まともに答えてくれる。

 投げ出さないところはありがたい。


 だがこの場合そういうのではない。

 アイリスは遠慮がちに聞く。


「……友人以上恋人未満の場合は」

「微妙な位置だな」


 なぜその関係性で? みたいな顔を向けられてしまい、ぐうの音も出ない。ロイもなぜ口付けなんてものを要求してきたのか。おかげで今日一番頭を使っている。アイリスが唸っていると、リアンは眉を寄せた。


「そんな状態で要求してきたのか。ろくな奴じゃないなそいつ」

「……普段は、そんなことしません」


 普段のロイなら絶対そんなことを言わない。言うにしても多分こう、ちゃんと許可を取る。今までそうだった。でもあの時は。


 あの時は、要求だった、と思う。


 してもいいか、ではなく、して欲しい、だった。いつもは気遣ってくれる言動が多いのに。まるで本心を伝えているようで。


(って、それはないわ)


 慌てて首を振る。

 憶測で考えては後で苦しくなる。


「承諾したのか?」

「……成り行きで」

「別に断れなくてじゃないんだろ」


 どうして分かったのだろう。

 思わずリアンを見てしまう。


 なぜかにやっと笑われた。


「主体はこちらにある。思うようにすればいい」

「……思うように」

「自分が思う方法でいいだろ。頬でもいい、手でもいい。これが自分の思うキスだと言い切れば。こっちがしてやるんだから文句は言わせない」

「つ、強いですね」

「してやるだけ感謝してほしいな」


(それは、確かに)


「アイリスの思うようにやれ。ロイは文句言ったりしないだろ」

「文句は言われないでしょうが、そもそも私にできるのか…………え?」

「腹減ったな」


 リアンはいつの間にか足を早めていた。

 自分より少し前を歩いている。


「え。ちょ、ちょっとリアン殿下っ!」


 アイリスは小走りで追いかけた。







「お待ちしておりました」


 紺色のドレスの裾をそっとつまみ挨拶をする人物。


 案内された部屋に向かえば。

 この国の姫が出迎えてくれた。


(モネ殿下)


 リアンに会ったら真っ先に謝罪したいと話していた。食事は共にすると聞いていたが、すぐに行動に移すとは。しかも王女自らの出迎えだ。最上級の敬意を示してくれる。彼女は最初に出会ったままの格好で、だがその所作はとても優雅で気品があり、顔には穏やかな笑みを浮かべていた。


 それをリアンは真顔で受けている。彼の場合、これが普通だ。作り笑いは止めたからだろう。今更ながらどんな風に笑っていたのか、ちょっとだけ見てみたかったかもしれない。


「リアン殿下。お久しぶりです。ご挨拶が遅くなってしまい申し訳ありません」

「いえ。王女自らこのような形でお目通り叶い、とても光栄に思います」


 声色も特に作らず平坦。

 これもリアンにとっては普通だ。


 こうして客観的に見ると、若干ぶっきらぼうかもしれない。リアンをあまり知らない者からしたら、これだけで少し怖く映る可能性がある。元々よく笑うタイプではないのだ。


 思えば側近であるグレイも基本無表情だ。この主人にこの従者ありな気がする。今更ながらこの場にグレイがいないのは、モネに会わせたくなかったからでは、と薄っすら思った。


「もう一つ。今までの無礼な言動、大変申し訳なく」

「何のことでしょう」


 リアンのとぼけたような言い方に、頭を下げかけたモネは、目を丸くした。


「モネ殿下にそのようなことをされた覚えはありません。こうして一緒に食事ができることを嬉しく思います。この国自慢の料理をぜひ堪能したいので、色々と教えていただけますか」

「……え、ええ。こちらへどうぞ」


(さすがね)


 アイリスは含み笑いをする。


 彼女が責任を感じないよう、わざと気にしていないように言ったのだろう。本当は色々考えて悩んでいたくせに。なんて言ったら多分怒られる。


「この国では新鮮な魚が取れるので、まずは魚本来の味をお楽しみください。スープにしたものもあります。魚の旨味がよく出ていて美味しいのです」


 モネが一つ一つ料理を説明してくれた。


 白魚をメインにした料理に魚の旨味が詰まったスープ。サラダにも魚の身をほぐしたものをあえているらしい。リアンは口に含みながら頬を緩ませる。素直に美味しいと言っていた。


 アイリスもその味に感動する。素材だけでなく料理自体も豪華な味わいだ。従者の身分で同席するのは恐れ多いと思ったが、食事はみんなで取った方が美味しいと言われ、一緒に食べることになったのだ。


 二人の様子に、モネも嬉しそうだった。


「レナード殿下はご一緒ではなかったのですか」


 食事がそれなりに終わる頃。

 リアンがそう聞く。


 この場には三人しかいなかった。

 モネ、リアン、アイリス。


 メイドや護衛の騎士は近くにいるが、確かレナードとも食事を一緒にする予定だった。遅れてくるのかと思いきや姿もない。特に連絡もない。


 するとモネが苦笑した。


「私が席を外すよう頼みました。リアン殿下と個人的にお話をしたくて」

「……」

「先にお伝えすると断られるのではと心配してしまって。……ご迷惑でしたか?」

「いいえ」


(断る可能性あったわね)


 若干目が泳いでいたのを見逃さない。

 先にしぶとく説得しておいてよかった。


 モネは柔らかく微笑んでいる

 どんな笑みでも絵になる美しさだ。


 リアンは平然とした態度だが、心の中ではきっと思うことがあるだろう。やっと見たかったであろう彼女の笑みなのだから。三年越しだ。


 彼女は小さくふふ、と笑う。


「作り笑顔はやめられたのですね」

「どうやら苦手のようでした。自覚がなかったもので、教えていただけて感謝しています」

「敬語も外していただいてよろしいのに」

「失礼なことはしたくありません」


(それは頑なね……)


 別に誰も咎めないだろうに。

 アイリスは若干頭痛がしてくる。


 するとモネは、考えるような顔になった。


「私の方が、たくさん失礼なことをしましたわ」

「いえ、それは」

「私への罰だと思って、口調をいつものようにしていただけませんか?」


(!)


 元々はロイの提案を決行する予定だった。こっそり話している様子を見るというもの。だがモネもレナード同様、公務が間に挟まっているため、客人側である自分達といつも一緒にいられるわけではない。時間の関係上難しいのでは、と、二人きりの時にモネに言われたのだ。


 だから直接本人に伝えることに決めたのだろう。自然と話をそちらに運び、想像よりも攻めの姿勢。思えば彼女と最初に話した時も、自分の意見をしっかり持っている様子だった。


 深窓の姫とは言われているが、大人しそうに見せかけてそうではない面もある。意見を持ちながら人に伝えられる能力。年相応の表情を見せながらも、言葉巧みな姿は大人顔負けだ。


 リアンは若干顔を歪める。


「罰など。そのようなことはしたくありません」

「兄にはいつも軽口を叩くのでしょう?」

「男同士だからできることです」


 するとモネは少しだけ眉を下げる。


「少しでも親しくなれたらと思ったのですが、私では難しいのですね。……やはり、無礼な振る舞いをしてしまった私では、信用ならないでしょうか」


 リアンは言葉を詰まらせる。

 明らかに困っていた。


 そういうつもりではないのに。

 彼女にそう思わせてしまっている。


 傍で聞くアイリスも歯痒く感じてしまう。


「数々の無礼、本当に申し訳ありませんでした」


 凛とした声色と共に、モネは深々と頭を下げる。

 その場がしんと、静まり返る。


(……確かにリアン殿下は傷ついていたけど、でもだからってここまでしてほしいわけじゃないわ)


 そもそも勘違いをしていただけで。こうしてすぐに謝ることができるのはモネの素敵なところだ。リアンはモネを好いているので、ただ普通に接してもらえるだけでありがたいと思っているだろう。


「顔を上げてください」


 リアンが声をかける。

 それでも彼女は頭を下げたままだ。


「モネ殿下。私にそこまでする必要はありません」


 それでも彼女は顔を上げない。


 リアンはだんだん苦しそうな表情になる。彼女のそんな姿を見るのは耐えられないからだろう。どうしたらいいのか分からないのか、アイリスに目配せしてくる。


(乙女心分かりなさいよ)


 すぐ行動できない幼馴染にむっとする。

 そのままある物を渡した。


 するとぎょっとされた。


 なんでこれ持ってるんだと目で訴えられるが知らない。さっさと行けと、顎を使って伝える。王子に対してそれができるのもアイリスくらいだが、リアンは少しだけ渋った。行け、と口パクで強く伝えれば、リアンはおずおずとそれを受け取る。そしてすぐにモネの傍まで歩く。


 片膝を床に。手は軽く、彼女の頭にそっと乗せた。

 するとモネは、ゆっくり顔を上げる。


 リアンは少し困ったように笑いかけた。


「もう迷子になってないか」


 空いた手には、あの時のローブを持っていた。

 モネはそれを見て驚いた表情になる。


「俺を探していたと聞いた。あの時は偶然出会っただけだから、名乗るのは違うと思ったんだ」

「…………」

「失礼なことをしたのはこちらが最初だ。あの時は悪かった。あと、敬語がないと威圧感があると思って、なかなかできなかった。大丈夫か? 嫌ならすぐ敬語に戻すが」

「…………た」

「?」

「お会いしたかった……!」


 モネは満面の笑みでリアンに抱き着く。


「!?」


 膝をついている状態で抱き着かれたので、リアンは彼女を受け止めるような形になる。バランスを崩すと思い両膝を床につけて軽く彼女を抱きとめるが、突然のことにどうしたらいいのかと、それ以上は動けないような様子だ。


「アイリスっ。おいアイリスっ!」


 小声で呼ばれてしまう。

 これどうしたらいい、と顔で訴えてくる。


 アイリスはにっこり笑っておいた。


「そのままでいいかと」

「いいわけねぇだろ」


 小声だが窘められる。


 言葉ではそう言っても、リアンの耳は赤くなっている。緊張もあるだろうし、相手がモネだからだろう。彼女は嬉しそうな表情のまま、リアンの腕の中にいる。


「よかったですね姫様。ようやくお会いできて」

「ずっと探しておりましたものね」


 端に待機していた騎士やメイドが近付いてくる。モネが助けてくれた恩人をずっと探していたと、城の人間は知っていたようだ。みんなが微笑ましい眼差しを向け、アイリスも同じ表情になる。


「いやこの状況っ!」


 リアンが思わず大声でツッコむ。


 誰もモネの行動を指摘しないからだろう。

 その場にいた者達はどっと笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る