30*振り回される高嶺の花 -02-
「とうとう落ち着いたか」
チガヤはあっさり言い放つ。
それにアイリスとロイは口ごもってしまう。
隣国から帰る馬車の中、アイリスの父であるチガヤに挨拶をしたいと、ロイが言ってくれた。結婚の許可をもらいたいと。帰国後、ロイはすぐにチガヤに手紙を送り、会う日を作った。
そして今日を迎えたわけだが。
「お前達の様子が変わったことくらいすぐに気付く」
(まだ何も言ってないのに……)
察しが良すぎて逆に困る。
ロイも同じように思っているようで、何を言おうかと迷っている。直接言いたいからと手紙ではぼかして書いていたようだ。誰に対しても流暢に話せるロイでも、そびえ立つ石像のようにどんと構えているチガヤが相手だと違うらしい。アイリスの父だからというのもあるだろうが。
チガヤはすっと手のひらをロイに見せる。
「多く語る必要はない。娘のことを好いてくれているんだろう?」
「! はい。一生大切にします」
言い切った様子にアイリスはぎょっとする。
そういうところは相変わらずストレートだ。
チガヤも少しだけ目を丸くしていた。
だがふっと笑う。娘に顔を向ける。
「アイリスは。彼をどう思う」
「……! 一生を、共にしたいです」
「そうか」
チガヤの声色は優しかった。
手を組みながら微笑む。
「元々似合いだとは思っていた。二人の結婚を認めよう」
「ブロウ侯爵、ありがとうございます……!」
「父上。ありがとうございます」
アイリスはほっとして笑みをこぼす。
リアンから偽の婚約者の提案をされた時もチガヤは受け入れていた。後に、ロイに本当の婚約者になってもらえばいいとも言われていたので、反対自体はされないと思っていた。それでも父がどう言うのか、緊張した面持ちで聞いていた。正式に認めてもらえて、やっと深く呼吸ができる。
「とはいえ」
急にチガヤは前のめりになる。
「籍を入れるのはだいぶ先になるだろうがな」
「「……え?」」
予想しない言葉に思考が停止する。
だが相手はのんびりしていた。
「アイリス。社交界でシリウス公爵に会っただろう」
社交界でシリウスに会ったことはチガヤにも報告していた。やらかした自覚はあったので怒られるのを覚悟していたが、チガヤはあっさり「そうか」としか言わなかった。お咎めなしでよかったと思っていたのに、ここでその話を出されるとは。
「最近会議があった。そこでシリウス公が発言されたんだ。最近の貴族界は甘いと。もう少し規律を正すべきではないかと」
「規律って……」
「一つは若くして爵位をもらった者に対して。グラディアン子爵にも関係あることだが」
ちらっとロイに目を向ける。
「君は爵位を受け取ったばかりで貴族としての実績はないに等しい。よって実績を積みなさい。それまで結婚は認められない」
「えっ!?」
(な、なにそれ)
実績を積めだなんて、どうしたって時間がかかる。それに結婚を認めないとシリウスが言ったのか。社交界にロイと参加した時に皮肉を言われたことを思い出し、アイリスはむっとする。
彼は元々人嫌いだが自分が認めない相手にはとことん厳しい。平民から爵位をもらった者に対しても。ロイは元々平民だが、仲間内だけでなく、王族からも期待されている人物だ。にも関わらず認めないのは少し意地が悪くないだろうか。
するとチガヤは付け足す。
「会議の中で決まったことだ。シリウス公の一存ではない。私は二人の結婚に賛成だが、貴族の中には二人の身分について渋い顔をする者はいる。グラディアン子爵はまだ若く、貴族としては新参者だ。対して我が家や侯爵家。釣り合わないのではないかという声と、アイリスを嫁に欲しがる者もいてな」
「嫁に欲しいだなんて、そんな話聞いたことありませんが」
「全て私が握りつぶしてきたに決まっているだろう。誰が権力目当ての輩に娘をやるか」
さらっと言われ、ぎょっとする。
そんな話は初耳だ。
父として、気にかけてくれていたのか。知らない間に守ってもらえて、ありがたいやら、申し訳ないやら。普段は娘にも辛辣なのに。少しだけ照れくさい。
「グラディアン子爵。君は騎士としての名は高い。引き続き精進しなさい。そうすれば周りは自然と君を認めるだろう。侯爵家としても、そうしてもらえるとありがたい」
ロイは大きく頷いた。
「承知しました。身分のことでご迷惑をおかけしているのはこちらです。結婚を認めていただけるだけで感謝しております。全力を尽くします」
「迷いはないんだな」
「アイリスの隣に立つために爵位を受け取りました。これくらいのこと、私にとって障害にはなりません」
アイリスは思わずロイを見る。
王族からしきりに言われて爵位を受け取ったと思っていたのに。自分のために、受け取ったのか。それを知り、アイリスの目が揺れる。ロイは視線に気付いたのか、微笑みながら手を握ってくれる。
「結婚は認められないが、婚約自体は問題ない。今後は婚約者として振る舞いなさい。ただ、好敵手は周りに山ほどいるということを忘れないように。籍を入れてないなら横取りしようと考える愚かな輩もいるからな。我が家も尽力する」
「ありがとうございます。ご指導ご鞭撻、よろしくお願いします。あとアイリスは絶対に渡しません」
「その心意気でいい」
いつの間にか二人の結束力が強いものになっている。本人を目の前にしているというのに、二人共真面目な顔だ。若干恥ずかしい。だがそう断言してくれるのは嬉しく思った。
「以前から気になっていたが、君は領地や城は持っていないのか。王族から授与されたと思っていたが」
するとロイは迷うように口にした。
「ありません」
「使用人は。君の身の回りの世話をする者はいるか」
「……おりません」
チガヤは察したのか、ふうと息を吐く。
「なるほど。現時点での君の主人は……陛下だな。つまりあの馬鹿がその辺の話をしていないと」
この国の王を馬鹿呼ばわりとは、普通ならば不敬かもしれない。だがチガヤは国王と友人だ。だからこんな軽口も許される。だからアイリスもリアンとあんなに言い合える関係性だったりする。
「しばらく王族から頼まれる仕事を優先していただろう。忙しくしていたと聞いた」
「はい。しばらく国外にも出ておりました」
(国外に……)
その辺のことはアイリスも知らなかった。
三年ほど、ロイが何をしていたのか、聞いていないし知らない。どんな仕事を任されていたのだろうか。王族直々ならばきっと重要なものだ。おそらく、誰にも話せないものだろう。
「分かった。その辺のことは私が話をまとめておく」
「しかし、」
「これは本来上が決めねばならないことだ。年長者に任せなさい」
「ブロウ侯爵……ありがとうございます」
「貴族というのは面倒事がかなり多い。その分もらえるものはもらっておきなさい。それは君の役に立つ。話がまとまり次第、また連絡しよう」
「よろしくお願いします」
「ああそれと」
チガヤはちらっとアイリスに目を向ける。
「結婚は先だが二人はいい大人だ。二人きりの過ごし方は自由にしなさい」
「えっ」
「……!」
二人は思わず顔を見合わせる。
「わざわざ口を出すつもりはない。私も妻を手に入れるために色々した」
(色々って何……?)
ちょっと気になってしまう。
だが知らん顔をされる。
「親のことは気にするなということだ。二人きりで何もない方が心配になる」
「なっ。そんな心配は無用です」
「アイリスが言うか」
意外そうな声色を出される。
そう言われると、言葉に詰まってしまう。
確かに自分が言うのはなんだか違う気もする。
ロイはやり取りを見て小さく笑った。
「ではお言葉に甘えて」
「!」
アイリスは思わずロイを凝視する。
ロイは穏やかな表情のままだ。
「アイリスが良ければ、ですが」
「え……」
互いの気持ちは確認し合った。これからは何も不安に思うことなく過ごせると思っていたのに、彼の意味深な発言にどきまぎしてしまう。
「あ……わ、私は……」
ロイであれば何をされても受け入れるつもりではいる。が、彼の言う意味は何を指しているのか分からず、頭の中でぐるぐる考えてしまう。
チガヤは咳払いをする。「続きは二人きりの時にすればいい」と言われた。
「今後屋敷は自由に出入りしていい。君はもう息子のようなものだからな」
「ありがとうございます」
「娘を頼むぞ、ロイ」
「! はい」
名前で呼ばれ、ロイは嬉しそうに頬を緩ませていた。チガヤに認められたのだ。父は人を見る目がある。アイリスは二人の様子に微笑ましくなった。
ここで話は終わりかと思われたが。
「――もう一つ、会議で決定したことがある。フェイシー伯爵のことだ」
アイリスは思わず目を見開く。
「詳しい内容はまだ伏せておくが、彼は貴族にあるまじき行為をしている。然るべき証拠が揃い次第、彼の家は処罰を受ける」
「……ジェシカはどうなるんですか」
伯爵家のことはどうでもよかった。以前から有名な噂はあった。もちろんアイリスも知っている。だが誰も公で口にできなかった。伯爵が権力を使って周りを黙らせていたからだ。具体的なことまでは知らないが、あまりいい噂ではないことは確かだった。会議で正式に罪に問われるということは、悪事に手を染めていたということだろう。
アイリスにとって一番気掛かりなのはジェシカだ。
彼女は昔から家のことで振り回されてきた。
これ以上傷付くのは見たくない。
チガヤは冷静に話を続ける。
「現時点で彼女は家と何の関係もない。自立しているのが大きな証拠だ。彼女は文官としても貴族令嬢としても信頼されている。ただ、彼女の家の不祥事であることに変わりはない。証拠を得るために協力してもらう形になるだろう」
「なっ……」
アイリスは思わず握り拳を作る。
(証拠探しに娘を使うの? ひどすぎる)
ジェシカが罪に問われないならいい。
だが娘だからという理由で利用されるだなんて。
「あんまりです。ジェシカの気持ちはどうなるんですか」
「この件は、ジェシカ嬢が密告したことで発覚した」
「!?」
(ジェシカが……自ら?)
「然るべき時に証拠を得ようと動く予定だ。あの家に群がる怪しい人物の話も出ている。それらの証拠も集めねばならない。正式な処分を下すには時間がかかる」
「…………」
「ロイ。君はフェイシー伯爵家について耳にしていることはあるか」
ロイは少しだけ躊躇しながら答える。
「奥方はジェシカ嬢が幼い頃に亡くなったと」
「そうだ。他には」
「フェイシー伯爵と仲違いしたことで、ジェシカ嬢は家を出たと。これらは教官時代に聞きました」
「聞いているのはそれだけか」
「はい」
「フェイシー伯に、女性の影があることは知らないかね」
「え……そうなのですか」
驚く様子に、やはり世間では知られていないのだなと、アイリスは思った。そう、フェイシー伯爵の近くに女性がいる。妻ではない。愛人……とも違うようだ。その女性はフェイシー伯爵家の使用人。しかも以前結婚をしていたようで、娘もいる。娘はジェシカと年齢が近い。
使用人としてやってきた親子は、最初は優しい様子だったという。姉妹のような関係になれるかもしれないと、その当時のジェシカは嬉しそうに話していた。……そうはならなかった。
「詳しくはアイリスに聞きなさい」
「父上……」
「アイリス。ジェシカ嬢のことはロイにも説明しておきなさい。彼も貴族だ。貴族でフェイシー伯爵家の話を知らぬ者はいない。彼も知る必要がある」
「…………」
「ジェシカ嬢の覚悟は並々ならぬものだろう。彼女が何を選択しても、お前は変わらず接してあげなさい。私は仕事があるから出る。この部屋を使えばいい」
そのままチガヤは部屋から出てしまった。
しばらく沈黙が続く。アイリスは頑なに口を閉ざした。ジェシカの過去の話は、簡単に口にできるほど軽いものじゃない。
それはロイも理解してくれているのか、何も言わず、優しく手を握ってくれている。もう片方の手で、頭を撫でてきた。
「話したくないなら、今日は聞かない」
「……ロイ殿」
「人の過去は、無理に人に話す必要はない。共有された側は、どうしたらいいのか分からない場合もあるからな」
少しだけ難しい顔をしていた。
何かに悩んでいるかのように。
「……ロイ殿も、そう思ったことがあるんですか?」
「え?」
「そんな顔をしていました」
「ああ……そう、だな」
苦笑していた。
最近そんなことがあったのだろうか。
「アイリスが話したくないなら、話さなくてもいい」
「……聞いては、ほしいです」
「そうか」
「ジェシカは……あの子は……強いように見えて、いえ実際強いですけど」
「そうだな。強いところはあるな」
すぐ共感してくれるのは教官時代から知っているからだろう。そう、彼女は強い。誰よりも美人だが、とても勇ましくて強い人だ。だが。
「……誰よりも、寂しい目に遭っています」
「…………」
ロイはアイリスに身を寄せ、そっと抱きしめる。
アイリスは手を震わせながら、相手の服を掴む。このように抱きしめてくれる人が、ジェシカの傍にもいてくれたらいいのにと思いながら。
高いヒールの音が響く。
ジェシカは王城の廊下を歩いていた。
文官の制服に身を包み、栗色の長い髪を揺らしている。いつもは顔に、誰しもを虜にする笑みがあるのに、今日はない。頭にあるのは、数日前の出来事。
グレイと出かけ、クロエに会った日のことだ。
クロエにこの場面を見られてしまったことに焦り、ジェシカはすぐにグレイから距離を取った。
『ち、ちがうわ』
すると苦笑される。
『大丈夫だよジェシカ。グレイ殿と出かけてただけでしょう?』
フォローされるようなことを言われてしまい、逆に居た堪れなくなる。クロエはこんなことでからかってくる人ではないのに。少し面白がっている目をしているようにも見えるが。
『ジェシカに用事があっただけ。これを頼まれたの』
渡されたのは一通の手紙。
裏面を見れば、王族の紋章が入っている。王族直々の重要な内容であるということが、瞬時に分かった。思わずクロエに目を向ければ、彼女は真顔で頷いた。
『あの件だと思う』
ジェシカはすぐに封を開け、手紙を読んだ。
クロエの言う通りだった。
『ありがとうクロエ』
『……無理しないでよ』
『ええ』
ジェシカはグレイに向き直った。
『ごめんなさいグレイ。急な仕事が入ったわ。準備も必要だから、この後と、明日も一緒には過ごせない。大丈夫かしら』
『分かりました』
『ありがとう。じゃあまたね』
ジェシカはその場を駆けようとする。
するとなぜか、グレイに手を取られた。
『……グレイ?』
すると彼には珍しく、はっとするような反応をされる。ジェシカの手を取ったことを、本人が一番驚いている様子だった。
『……すみません』
『いいえ、大丈夫よ』
安心させるために笑って見せるが、グレイは少し気まずそうだった。自分でも予想しないことをしてしまったと、反省しているようにも見える。手を取ったことより、抱きしめてきたことに対してそう思ってほしいが、今のは無意識だったからだろう。
ジェシカはそっとグレイの頬に触れた。
『!』
『大丈夫だからね』
『……はい』
(可愛い人)
抱きしめられて緊張していたくせに、もう弟のように思ってしまう。実際三つも離れている。姉のような言動になるのは仕方ないかもしれない。
自分からであれば自然に触れられるのだなと、ジェシカは気付く。相手から触れられるとどうなるか、自分ではよく分からないままだったが。
目的地に到着する。
ジェシカは一度深呼吸をした。
ドアをノックする。
「どうぞ」
よく通る声が聞こえ、ドアを開ける。
そこにはある人物が座っていた。
金色の柔らかい髪に亜麻色の大きな瞳。顔には人懐こい柔らかい笑み。王族であることを感じさせない、優しく気品ある雰囲気を持つこの国の第一王子。バルウィン・シュダルクがそこにいる。
彼の側には、いるのがさも当たり前のようにシリウスがいた。今日も真っ黒い格好をしており、目の下には隈がある。一見不気味に見えるが顔がいいので、周りからしたらマイナス点にはならない。
「ジェシカ嬢。よく来てくれたね」
バルウィンはにこっと微笑んでくれる。
「早速だけど」
すっと大量の紙を机の上に出す。
ジェシカが密かにまとめた報告書だ。
「この件について、詳しいことを教えてもらってもいいかな」
「――はい」
ジェシカは少し前から、決めていたことがある。
家のことは今まで見て見ぬふりをしてきた。
それで困る者など誰もいないと思っていたから。
自分さえ犠牲になれば。
穏便に事は進むと思っていた。
だが、そうも言ってられない出来事が起きた。
だから自分の手で、終わらせる。
ジェシカの瞳に光はなかった。
光など、おそらく昔からなかった。
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