10*家族からの要望 -01-

「熱は大丈夫?」

「ええ。ジェシカが付いててくれたから」

「珍しいわね。大人になってからはあまり熱を出さなかったのに」


 母であるフローレンスは不思議そうな顔をする。実は知恵熱だなんて知られるわけにはいかず(疲労もあるだろうが)、アイリスは笑って誤魔化しておいた。


 熱は二日ほど続いたが、今やすっかり元気になった。まだ休めとリアンに言われ、久しぶりに実家に帰ってきたのだ。


 帰るつもりはなかったのだが、父に呼び出された。報告も兼ねて顔を見せにこいと言われたので、渋々。パーティーで使ったドレスも持って帰った。


「じゃあジェシカちゃんは気付いたかしら。アイリス、熱が出るととっても甘えるのよ」

「まさか」

「あら自覚がないの? 本人だものね」


 フローレンスは楽しそうに笑っていた。


 同じ長い金髪を持つが、丸くて大きな瞳。ラズベリー色の瞳はきらきらして可愛らしい。母は年齢よりも若く見られる。そこそこ巷で噂の令嬢だったらしく、父は争奪戦の末に母を手に入れたと聞く。


 見た目だけでなく中身も可愛らしい人だ。ちょっとした仕草や言葉の使い方を見ていると、娘ながら可愛い人だなと思うことがある。ちなみに同性からも好かれている。どうして自分は母に似なかったのだろうと、よく考えてしまうことがある。


「熱が出たアイリスは可愛いわよ。とっても甘えてくれるんだもの。ハグしてなんて言われたら喜んでやってあげたくなるわ。ジェシカちゃんにもした?」

「してない」

「今度お話を聞かなくちゃ」

「聞かなくていい」


 お茶目なフローレンスの言葉に苦渋の表情を向けながら「ハグ」と聞いて何やら思い出す。そういえば夢の中でロイに会った。しかも抱きしめてもらったような気がする。


(まぁ夢だし……)


 夢にしては感触がリアルだったような気がするが、都合の良い夢だ。実際の自分はハグして欲しいなんて絶対言えない。


(いい夢だったかも)


 夢の中のロイも優しかった。


「いい顔をしているわ。何かあった?」

「なんでもないっ」




「――以上が報告です」

「ご苦労。久しぶりに参加したと思うがどうだ。楽しかったか」

「はい。フェルナンド夫妻にご挨拶もできました」

「そうか」


 書斎でアイリスは父と向き合う。


 チガヤ・ブロウ。胡桃色の髪をいつも上げており、自分と同じ眼光鋭い青色の瞳を持つ。比較的強面だが、話すと普通に優しい面もある。だが頭が切れすぎるため、多くの人には怖がられている。


(……この顔と性格に似たのよね)


 少しだけげんなりする。


 父のことは尊敬している。仕事もできるし、父と似ていると言われることも多く、それは嬉しく誇りに思っているところはある。


 ただ、愛嬌は娘同様あまりない。

 似ていると言われすぎると反抗心が出てくる。


「私の顔に何かついているか」

「いえ」

「そうか」


 と言いながらチガヤのことだ。なんとなくアイリスの考えてることを予想しているに違いない。


「グラディアン子爵も招待されていただろう」

「! お会いしました。なぜ教えてくれなかったのですか」


 するととぼけるような顔をされた。


「婚約者同士なら話をしてるんじゃないのか」


 思わずむっとする。


「それは一時的な関係です。リアン殿下から聞いていないのですか」

「聞いている。隣国の王子に気に入られたようだな。女性としてというよりは、面白いと思ったから選ばれたんだろう」


 チガヤは冷静だった。


 娘が隣国の王族に気に入られたかもしれないのに、全く焦っていない。リアンとレナードは仲が良い。趣味趣向的にアイリスの性格を面白いと思っているのだろうと判断したようだ。アイリス自身も薄々そうではないかと思っている。


 本当に伴侶して求められているのなら、おそらく準備や気持ちの整理が必要だ。だが今回は会うだけ。しかも婚約者役であるロイを連れて。チガヤの様子からに、娘のことは全てリアンとロイに任せる気だろう。心配していないようだ。


「パーティーに招待したのは私の案だ。同じ子爵と知り合いになれば、彼の助けになる」

「!」


 チガヤは貴族社会の中でも侯爵家として権力を持つ。貴族同士の関わりを大切にはしているが、人は選んでいる。そんな彼が、フェルナンド子爵夫妻にロイを紹介した。


「ロイ殿を信頼しているんですね」

「でなければ娘の剣術の師にはしない」


(なんだ。ちゃんと見てくれていたのね)


 国王陛下からの推薦でロイが剣術を見てくれることになった時、チガヤは特に何も言わなかった。陛下に言われたから従っただけだと思っていたが、ロイの人柄も込みで信頼したのだろう。


 言わないだけで、見てくれていたのだ。

 ロイが認められて自分のことのように嬉しい。


「アイリス」

「はい」

「本当に婚約したらどうだ」

「?」

「グラディアン子爵とだ」


 頭の中で点が三つ並ぶ。


「は!?」

「……お前は感情的になると声が大きくなるな」


 耳が痛そうな素振りをされる。


 いやそんなことよりも。

 アイリスは混乱する。


「な、なんですか急に」

「急ではない。以前から彼がいいんじゃないかと思っていた」

「結婚の話など、今まで何も言わなかったじゃないですか」

「正直に言うとお前に合う人がいなかったからだ。容姿はフローレンスに似て可憐だが力が強い。私に似て口が達者。淑女らしさがあまりないだろう。どうして人に紹介できる」


(娘に対して辛辣過ぎない?)


 一語一句間違っていないので反論ができない。


 だから結婚のことをあまり言ってこなかったのか。物申したい目で訴えられたことはあるものの、実家に連れ戻すほどではなかった。合う人がいなかったからそこまでしなかったのだ。……とはいえ、もっとフォローしてくれてもいいのに。


「グラディアン子爵はかなり寛容だ。お前の相手も務まる」

「……こちらがよくても、ロイ殿にとってはよくありません。私より可愛げのある女性がお似合いだと思います」


(ロイ殿にだって選ぶ権利があるわ)


 こちら側からすると、ロイが本当の婚約者になってくれたら素直に嬉しい。ありがたい。だが事実、自分は可愛げがない。女性らしさもない。ロイに提案したところで困った顔をされるだけだ。いや、彼は優しいから、もしかして断れずに受け入れてしまうかもしれない。


「この話はロイ殿にしないでください。困らせてしまうので」

「私はグラディアン子爵のことは聞いていない。お前の気持ちを聞いている」

「…………」

「お前はどうしたい。婚約の話があれば受けたいか。それとも受けたくないか」


(なんで、そんな核心を突くような聞き方をするの)


 チガヤは口数が多い方ではない。


 口で言わないだけで、分かっていること、知っていることは多い。アイリスのロイへの気持ちも、おそらく知っているのではないだろうか。それを指摘されたことはないが、なんとなくそう思う。そして言わせようとする。どうしたいのか。どうしてほしいのか。


(私は、素直じゃないもの)


 自分でもひねくれていると思う。

 ここで素直に言えばいいのに。


 だが自分の気持ちよりも、ロイの気持ちを優先したい。おそらく手がかかった弟子であるのに、今も性格は難ありだと思うのに、変わらず接してくれる。優しく、向き合ってくれる。


 だから、ずるいやり方をする。


「私はロイ殿の気持ちを尊重したいです。ロイ殿がどうしても私と婚約したいなら受け入れます」

「そうか。うん。分かった」


(…………え、ちょっと。受け入れるの早くない?)


 人に判断を委ねるなと、もっと怒られると思ったのに。あっさり頷いた父に、アイリスは眉を寄せる。


(この件、ロイ殿に言わないわよね? 言ったとしてもまさか私の言った通りに言わないわよね?)


 チガヤは大体正論を口にする。だから毎回勝てない。なのに今日はそうではない。おかしい。こんなにすんなりアイリスの意見が通るなど、あり得ない。


 気になって聞いてしまう。


「父上。この件、ロイ殿には言いませんよね?」

「今お前が言ったことを彼に伝えるだけだが」

「やめてくださいっ!」

「自分の発言に責任を持て」

「だから、それがロイ殿を困らせるのですっ」

「判断は彼に委ねるのだろう。彼は大人だ。自分で考えてきちんと決める。何も問題はない」


(ううっ……)


 正論だ。

 言い返せない。


 確かにその通りだが、その通りなのだが、それでも婚約の話をロイにすること自体に抵抗を覚えた。そんなの紹介していると同じではないか。恥ずかしい。断られて勝手に落ち込む未来が見える。


「……何も言わないでください。お願いします」


 その方が傷つかずに済む。

 アイリスは頭を下げる。


 するとチガヤは小さく溜息をついた。


「分かった。保留にする」

「ありがとうございます……!」

「代わりに、お前が誰か見つけなさい」

「えっ」

「グラディアン子爵の他に誰かいるなら、私に紹介しなさい。結婚自体が嫌ではないことは分かる。今すぐ結婚しろとは言わないが、目星はつけておいた方がいい。生涯を共にしてもいいと思えるような相手を見つけなさい」

「な……な……」

「話は以上だ」


 アイリスは執務室から追い出される。

 だがしばらくその場を動けなかった。


(誰かって……そんなのいるわけないじゃない……)


 今まで仲間として接してきた男性はいるものの、必要最低限の会話しかしたことがない。男性の知り合いはいないし、社交界に出ていなかったことも大きい。出ていれば誰かいい人に出会えるチャンスがあったかもしれないのに。


(……ロイ殿に声をかけてほしくないから他の人を探すだなんて)


 なんと遠回りなことをしているというか、今までしてこなかった事のしっぺ返しが来ているというか。これも見越してチガヤは提案してきたのだろうか。


 アイリスは頬を含まらせる。


(いいわ。ロイ殿にフラれるより今の関係の方がずっといいし)


 チガヤがどういうつもりでそんな提案をしてきたのか分からないが、ここで無理だと決めつけることはしたくない。アイリスは負けず嫌いだ。やる前から負けるわけにはいかない。


 社交界にも出ようかと、少しだけ考える。


(ジェシカが詳しいから、聞いてみよう)


 まずは計画を立てなければ。







 と思っていた二日後。


「…………はぁ」

「ロイ殿、大丈夫ですか?」


 彼は机の上に額を置く。

 低い声で唸っていた。


 こんな姿を見るのは初めてだ。

 アイリスはしばらく見守る。


 今日はロイの両親に挨拶しに行った。


 二人は城下でお店をしている。手頃な値段で料理を提供しており、城下に住む人達の多くはこの店のファンだ。アイリスも何度か来たことがある。剣の指導をしてもらって間もない頃、ロイがおごると言って連れてきてくれたのだ。


 ロイの母であるエニカはあっけらかんとしたスタイルのいい女性で、焦茶色の髪を一つに結んでいる。父であるロビンフッドは背が高く穏やかな笑みを浮かべる人だが、基本無口。エニカがよくしゃべるので話を聞いてあげている印象がある。


 久しぶりに店に行けば「アイリスちゃん!」とエニカが手をぶんぶん振ってくれた。あとは以前ロイが言った通り、関係を見守ってほしいと伝える。二人共にやにやした顔で頷いてくれた。


 そこまではいいが一つ問題が。

 ロイの妹であるモニカのことだ。


 顔立ちは父に似て柔らかい表情を持つ少女。髪は長い亜麻色。年齢は十六。笑顔が可愛い子で、アイリスのことを本当の姉のように慕ってくれている。そんな彼女が急にこんなことを言った。


『ねぇお兄ちゃん。お兄ちゃんは貴族になったのよね?』

『そうだな』

『じゃあ私も貴族になれるの?』

『モニカが望むなら』


 ロイが爵位をもらったことにより、家族も自動的に貴族になる。が、ご両親は平民を望んだ。今更貴族になってもどうしたらいいか分からないと。王族にもその件を伝え、爵位を得たことで得られるもの全てをご両親が放棄する場合、平民のままでいいそうだ。


 爵位を受け取ったのはロイ。ならばロイの代以降から貴族として生きればいいと、お二人は考えているようだった。ロイは二人の意思を尊重した。今後とも血を分けた家族であることに変わりはない。これからも互いに助け合うところは助け合うという。


 モニカはまだ若く、貴族になるかならないかの判断がすぐにはつかない。そのためロイも、モニカがどうしたいか決めたいと思ったタイミングで決めてほしいと思っていた。


『私、貴族になりたいの。好きな人ができたから』

『『『え!?』』』


 ロイ以外の全員が驚く声を出す。

 モニカはにこにこしていた。


『その人は貴族で。でも、名前は分からなくて。顔は知ってるわ。その人に言われたの。俺に会いたかったら、貴族になって社交界の花になれって』

『…………そう、か』


 ロイは若干顔が引きつっていた。


 本当は色々言いたいことがあるだろうに、モニカの笑顔があまりに純粋で輝いていたからだろう。とりあえず話を受け入れていた。


 だがその後は質問攻めだった。


『その人とはどこで会ったんだ?』

『路地裏だよ。その人いつもそこで煙草を吸ってたの』


 煙草は平民の間では出回っていない、高価な嗜好品。ということは相手は確かに貴族だろう。お金がなければ手に入れることはできないはずだ。


『どんな人なんだ?』

『うーんとね』


 モニカはなぜかふふふ、と笑う。


『いつもだるそうだったわ。この世の全てがどうでもいいって顔をしてた』

『…………』


 この時のロイの気持ちがアイリスには分かった。


(なんでそんな奴のこと好きになったんだ、って言いたいのでしょうね……)


『なんだか猫みたいな人で、放っておけなかったの。一人が好きなのかなって思ったけど、私が傍にいてもどこかに行けとかは言わなくて。色んな話を聞かせてくれたわ』

『見た目は?』

『黒髪で目は赤。手足が長くていつも真っ黒い格好をしてるの。顔がとっても美人なのよ。あ、でも、いつも目の下には隈があったわ』

『…………嘘だろ』


 思わずロイが呟いた言葉。

 アイリスも察する。


(モニカの好きな人って……)




「まさかシリウス・イーデン公爵とモニカが会ってるなんて……」

「ロイ殿。まだイーデン公爵とは決まっておりませんよ」

「だか見た目と中身の情報で合致しているのは彼しかいないだろう」


(それはまぁそうなんだけど……)


 シリウス・イーデン。今年で二十九。

 その若さですでに公爵家当主として臨在する。


 両親と兄が事故で他界してしまい、若くして公爵家を継ぐこととなった。特に手入れをしていないだろうに綺麗になびく黒髪。ルビーのように光る赤い瞳を持つが、隈がひどくてその瞳も少し暗く見える。肌が真っ白で顔は美人。かっこいいというよりは美しい人、という表現の方がしっくりくる。その身なりから実は吸血鬼じゃないのかと言われている青年だ。


 公爵家は王族との関わりが深く、彼は確か第一王子であるバルウィンの右腕。一般の者は彼と会うことはほぼないが、貴族社会では度々顔を合わせることがある。


「爵位をいただいた日に挨拶はしたが、なんというか……」

「心中お察しします」


 シリウスは貴族社会の正式な血統を重要視している。故に平民生まれで爵位をもらった者に厳しい。結果を出さなければ信用しないほどだ。それがまた、貴族の中で平民を馬鹿にする連中が増えている原因にもなっている。


 爵位を受け取る時は王族、公爵家、侯爵家の者が見届け人になる。シリウスもその場にいたのだろう。アイリスは参加していないがシリウスのことだ。ロイに対し、あまり喜ばしい表現を使わなかったのではないか。


 ロイは考えるように少しだけ手を動かす。


「アイリスは彼と話したことはあるか?」

「顔を合わせるくらいでしたら」

「アイリスから見て彼はどんな人だ?」

「そこまでは……」


(ちょっと変わってはいる、わね)


 実は彼から声をかけられたことがある。

 が、あれは無効だ。大したことではない。


 アイリスはあえてそれを言わなかった。


「彼のことが知りたい。会えないだろうか」

「社交界なら、もしかして出ているかも」


 公爵の立場上避けることは難しいだろう。

 毎回ではなくても、出ている日はあるはずだ。


 ロイは真剣な表情になっている。


 そんな横顔を眺めていると。

 急に両手を掴まれた。


「アイリス」

「は、はい」

「一緒に社交界に出てくれないか」

「……え」


 社交界に出る計画はこっそり立てていた。

 まさかのロイと一緒に出席することになりそうだ。

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