21*隣国の姫 -02-

「……本当に?」


 モネは訝しげな表情だ。

 アイリスは笑って伝える。


「確かによくお忍びで城下に行っておりますが、それは国民の姿を自分の目で見て、公務に活かしたいと考えておられるからです」

「王族なのに国民の前に何度も姿を現すなんて……」

「変装をしております。護衛も側におります」

「変装……?」

「ええ。それに、その場に溶け込むのもお上手です。国民も、リアン殿下が相手だと、思っていることを素直に口に出しやすいそうで。色々教えてくれて学びになるとおっしゃっていました」


 これはリアン自身が話してくれた。なぜ何度も城下に行くのかと聞けば、あっさり話してくれたのだ。リアンにとって国民と話をすることは楽しいことであり、大事な仕事にもなっている。


 モネは少しだけ動揺していた。


「女性がいるお店に行ったりは」

「リアン殿下に女性関係の噂はありません。なさすぎて心配になるくらいです」


 すると唖然とされた。


 想像と真逆だったからだろう。今の話だとリアンはただのいい王子になる。実際そうではあるが。相手は少しだけ迷うような素振りを見せた。


「……まだ、気になることはあります」

「何でしょうか」

「リアン殿下のあの顔は本当ですか?」

「え?」

「あの顔、と言うのは」


 ロイも意味が分からなかったのか聞き返した。


「何度かお話をする機会がありましたが、どこか嘘っぽいというか」


(もしかして、猫をかぶってることに気付いたのかしら)


「バルウィン殿下と話したこともあります。彼はとても気品があって柔らかく、これが普段の様子なのだと思いましたが」

「リアン殿下はそうではないと?」

「目の奥が笑っていないんですもの」


 眉を寄せて言われる。

 二人は思わず静かになってしまう。


 元々リアンは自分の思い通りに行動したい人だ。親しい間柄にはくだけた口調を使う。そんな人が必要な場面のみ王族らしい行動をしても、分かる人には分かってしまうわけか。まさかリアンも、猫をかぶっていることに気付かれているなど、思ってもみなかっただろう。


 人の第一印象は例え仮面を被っていても仮面のまま伝わるものだ。リアンも礼儀正しい時、嘘をついているわけではない。ただ、普段と差があるから少し違和感を感じさせてしまったのかもしれない。


 アイリスは苦笑してみせた。

 これは本当のことを言うしかない。


「リアン殿下はもっと気さくな方なんです。口調もいつもは違います。ただ、誰に対してもそれでは、失礼に値すると思い、気を遣ってらっしゃるのだと」

「目の奥が笑っていない時は一体何を考えていらっしゃるの?」

「それは……」


(特に何も考えていない気がするわ……)


 必要に駆られて会話をしていただけだと思うので、目の奥が笑っていないのはただ笑っていないだけだろう。普段のリアンは大きな声で笑うというよりも、鼻で笑うことの方が多い。


 どう言えばいいのだろうと悩んでいると。

 ロイが助け船を出してくれた。


「リアン殿下と私達が話している姿を見るのはいかがでしょうか。普段のリアン殿下がよく分かると思います」

「でも、私の前では」

「隠れてこっそり見ていただくとよいかと。その方がより素が見えるのではないでしょうか」


 すると彼女も納得するように頷く。


 知りたいのは本当のリアンの姿。

 確かにロイの提案なら、普段の様子が分かる。


「その前に、私からお伝えしたいことが」


 続けてロイが、恐縮するように声を落とす。

 モネは「どうぞ」と促した。


「モネ殿下に何かしてしまったのかと、リアン殿下は大変気に病んでおられます」

「え……」

「何かしてしまったならば、リアン殿下は自ら動かれる方です。ですが見当もつかない様子。どうか第二王子に向き合っていただけると、臣下として嬉しく思います」

「……」


(さすがロイ殿下)


 アイリスは感心して聞いていた。


 リアンの様子は伝えるべきか悩んでいたが、彼はすぐに伝えていた。モネの不安は分かるものの、勘違いしている面はある。本当のリアンを知った上で向き合ってほしいと、二人を繋ぐ物言いをしていた。年齢的にこの場ではロイが一番上。年長者なりのアドバイスのようにも感じられた。やはり彼もこの場にいてくれてよかった。自分だけでは対処できないところもあったように思う。


 モネは少し視線を迷わせている。

 自分の手をさすっていた。


「……気に病んでしまうようなことをしたのは、申し訳なく思います。ですが、」


 一度言葉を止める。

 彼女は諦めたように、再度口を開いた。


「もしかすると、私はリアン殿下と婚約する可能性があるかもしれなくて」

「えっ!」

「アイリス」


 思わず声を出してしまい、ロイに窘められる。

 口に手を動かすが遅かった。


 モネは小さく苦笑する。


「この話は決定ではありません。ですが両国の国王はとても仲が良く、そのような話も出ているみたいです。バルウィン殿下かリアン殿下、どちらかを婚約者にしようと考えているみたいで。年齢的にリアン殿下と近いので、リアン殿下と婚約する可能性が高いです」


 バルウィンはロイと歳が近く、モネは十七のはずだ。確かにリアンの方が年齢的にあまり差がない。しかしまさか、子供達が知らぬ間に大人がそう考えていたとは。


「……いつか婚約するかもしれない相手が、もし兄のような人だったらと思うと」


(それは嫌だと思うわね)


 自分だけではなく他の人にも目を向けられるとなると、居心地も悪く気持ちも落ち着かないだろう。別の国に嫁ぐことになるのだから、頼れる人もそう多くないはず。リアンがレナードと友人であるから、だけでなく、未来の夫になるかもしれないから、よりモネは見定めようとしていたのか。


「てっきりそういう人だとばかり思っていましたから。先に嫌われた方がいいと思って、冷たい言動を取ってしまいました」

「心中お察しいたします……」


 そういうことがあるなら嫌われる態度を取った方がいいと思ってしまうだろう。こっそり話している国王と王妃の様子を目撃してから、ずっとモネは悩んでいたという。


「ですがそうですね。自分の憶測で判断してしまって、今思えば恥ずかしい話です。申し訳ありません」

「いえ。私も同じ立場なら、同じことをしていたように思います」

「お一人で抱えて辛いところもあったと思います。少しでも吐き出して楽になってくださったら、嬉しいことはありません」


 アイリスとロイは順に労いの言葉を述べる。


 するとモネは、ほっとするように緩む。

 少し微笑んでくれた。笑うと可愛い人だ。


「お優しいのですね。息が合っているのも婚約者同士だからでしょうか」

「!」

「お二人を呼んだのは、リアン殿下のことだけではありません」

「「?」」

「婚約者同士と聞いて……どうしてもお会いしたくて」

「それは、なぜでしょうか」


 するとモネは、少しだけ前のめりになる。

 反射で二人は、上半身を少し後ろにしてしまう。


 彼女は大きい瞳を、真っ直ぐ向けてきた。


「その。お二人は、どうやって出会って、婚約までに至ったのですか?」

「………え?」

「わ、私」


 モネは恥ずかしそうに少しだけ顔を逸らした。


「メイベル殿下と文通をしているのです。お互い、恋愛小説を読むのが趣味で」


(まさかの恋愛小説繋がり)


「私は王女という身。国王が決めた相手と婚約することは決まっています。それは覚悟の上ですが、恋に憧れがあって。世の人々は、どのような出会いで相手を好きになり、婚約するようになったのかと、知りたくて」


 相手は続けて勢いよく言う。


「ですからお二人の馴れ初めから、色々と教えていただきたく」


(え!?)


 まさかの展開にアイリスは耳を疑う。


 元々レナードに向けて色々と準備をしてきた。結果、何か披露することはなくなった。のに、まさか妹姫に聞かれるとは。予想外なことばかり起きて、若干焦ってしまいそうになる。


「そういうことでしたら、私からお話します」


(ロイ殿!?)


 あっさり言った隣の人物にアイリスはぎょっとする。リアンから急に命令されていた時も落ち着いていたが、ここでもさすが落ち着いている。順応性が高すぎるとも思うが。


「本当ですか!」


 モネが嬉しそうにぱぁっと明るい顔になる。


 どうやら彼女は表情が乏しいわけではないようだ。緊張や不安が顔に出ていただけなのだろう。笑顔になってくれたのは嬉しいが、このまま話が始まってしまうのか。アイリスは何を聞かれるのだろうと一人、どきどきしてしまう。


「まず、お二人はどのように出会ったのですか?」

「士官学校を卒業後、アイリスの剣の指導をすることになりました。それが最初です」

「まぁ! つまり師弟関係?」

「ええ」

「アイリス様はその頃から騎士になりたかったのですか?」

「え、ええ」


 かろうじて返事をした。


「アイリスが士官学校に入学した時は、教官もしていました」

「まぁ! 先生と生徒?」

「はい」


 ふふふ、とモネはなぜか嬉しそうに笑っている。楽しいと思える要素があったのだろうか。その姿は可愛い。とても可愛いが、自分達の話を聞かれるのは若干気恥ずかしい。


「それで、どうやって二人の恋は発展したんですか?」


(発展はしてないです……)


 アイリスは心の中でツッコミする。


「私は教官時代にアイリスが好きであると自覚しました」


 ロイがどこか遠くを見つめているような目をする。

 表情も合わせて優しく映った。


 アイリスは思わず聞き入ってしまう。


 レナード対策で何か聞かれたらどうするか、という話があったのが、ロイが自分から話したいと言ったのだ。だから任せていた。もちろん嘘であることは分かっている。生徒の間、他の生徒よりも厳しい指導をされた。それが教官としてのロイなりの愛情であることも分かっているし、当時アイリスはそれが嬉しいと思っていた。


「仕事の関係で三年ほど会えなくて、最近やっと再会しました。その時に想いが溢れたんです」


 吐息を感じるような物言いにどきっとする。


「まぁ~!」


 モネは黄色い歓声を上げ、盛り上がっている。自分の両頬に手を置いて、そわそわしていた。その様子を見て、アイリスは逆に冷静になれた。


「アイリス様は?」

「えっ?」

「いつからロイ殿のことを好きに?」

「え……ええと」


 ここでこちらにバトンが来るのか。

 アイリスは慎重に言葉を選ぶ。


「あまりよく覚えていないのですが、元々騎士としても人としても憧れておりました。好き……そうですね、最近のように思います。久しぶりに再会して、一緒にいる時間が増えて……その時の成り行きというか」


 最後は曖昧にしてしまう。


 あまり決めすぎると後でロイが困るのではと思ったのだ。その返答でモネがどう思うだろうかと心配したが、彼女はにこにこしていた。何度も頷いている。


「そうだったのですね。ふふふ、素敵ですわ。お互いのどこが好きなんですか?」


(……まだ続くんですねこの話)


 簡潔にまとめたつもりなのだが。

 ロイはすぐに口を開く。


「私は、全部です」


 アイリスは吹き出しそうになるのをこらえる。


「まぁ! 全部!? 教えてほしいですわっ」


(聞かないで……)


 アイリスは顔が見られない。

 ロイはモネに微笑んで見せた。


「たくさんあり過ぎて困りますね。努力家であるところ。周りに流されないところ。甘い物が好きなところ。自分の芯を持っているところ。男性よりもかっこいいところがあるところ。可愛い人です。可愛いところがあるのに自覚がないところも好きですね」


 どうしてこうぽんぽん出てくるのだろう。

 嬉しいようなちょっと複雑なような。


「あとは、素直じゃないところも。自分が引き出してあげたくなりますね」


(確かに無理やり引き出されたわ)


 パーティーであったり社交界であったり。

 困らせてくることも多かったように思う。


 でもロイは、アイリス自身が好きでない部分も、どうやら好きだと言ってくれるようだ。それが例え嘘であっても、アイリスの心に響く。人と比べて好きになれない部分でもあり、人から指摘されたこともある。性格なのだから仕方ないと割り切りたくても、なかなかできない。それをロイは全て、いいと言ってくれる。アイリスは胸が締め付けられそうになった。


 モネも感嘆するような声を出す。

 そしてアイリスに微笑みかける。


「愛されていますね」


 一瞬言葉が詰まるが「ええ」と笑ってみせた。


 本当は嘘であるが、今だけは。

 今だけはロイの言葉に浸りたいと思った。


「アイリス様は? どこがお好きなんですか?」

「そうですね……」


 彼みたいにすぐ言葉にできない。

 それに改めて聞かれると、難しい。


 憧れや尊敬の気持ちはあるが、好きなところを言葉で表現するのは、なかなか難しいことだ。現に今、どう言えばいいのか分からない。正解が、分からない。


「アイリス、無理はしなくていい」

「む、無理だなんて」

「俺の方がアイリスのことが好きだから。たくさん出てしまうだけだ」


(は?)


 思わずカチンと来る。


 それはつまり、同じようにたくさんは出ないだろうと言っているのか。確かにその通りなのだが、好きな気持ちは絶対にアイリスの方が大きい。それだけは譲れなかった。


「そんなことありません。私の方がロイ殿のこと好きです」


(だって本当に好きだし)


 するとなぜか息を吐かれる。

 少し困ったような顔をして。


「君は、俺がどれだけ君のことを好きか分かっていない」


(なんでそんな風に言われないといけないの? 本当に私は好きなのに!)


 ただ嘘をすらすら並べているだけじゃないか。

 気持ちの大きさは絶対に負けていない。


「私の方が絶対好きですっ! 年上ならこれくらい譲ってくださいっ!」

「いや譲らない。他のことなら譲るが、この件に関しては譲らない」

「なんでっ!?」


(好きでもないのにどうしてそんなこと言うの? 好きだと大袈裟にアピールする必要がどこにあるの?)


 アイリスはまた言い返そうとするが。

 先にロイの指が唇に迫る。


「アイリス。これ以上は抑えてくれ。モネ殿下の前だ」


 はっとして顔を動かせば、モネはぽかんとするようにこちらを見ている。つい熱くなってモネの存在を忘れていた。慌てて「申し訳ありません」と頭を下げるが、相手はくすくすと笑いだす。


「痴話喧嘩と呼ばれるものを初めて見ました」


(恥ずかしい……。全然痴話喧嘩じゃないです……)


「相思相愛でも、このように喧嘩をすることがあるのですね」

「互いの気持ちが強くなってしまうと、起きてしまうのかもしれません」


 ロイが苦笑してそう言う。


 余裕ある様子にアイリスはむっとする。

 ぼそっと呟いてしまう。


「でも絶対私の方が好きです……」

「アイリス。その話は後でしようか」

「嫌です」

「なんでだ」

「ふ、ふふふふっ」


 モネはずっと笑っていた。


 最初の表情とは打って変わって。

 楽しそうな姿が印象的だった。


「モネ殿下。そろそろお時間が」


 少し遠い距離にいたメイドが、モネにそう告げる。

 途端に彼女は少しだけ顔を曇らせるが、頷いた。


 二人に向けて口を開く。


「たくさんお話をしてくださってありがとうございます。一泊されるのでしょう?」

「はい」


 今回は元々泊まることが決まっていた。というのも王族は基本的に忙しいので、合間合間、話せる時に話そうということで、じゃあ一泊してほしいとレナードに言われていたのだ。モネも王女としての仕事がある。一旦この場は仕舞いになる。


「またお声をかけますわ。リアン殿下のこともありますし、まだまだお二人のお話を聞かせてください。私も話したいことがあります」

「はい」


(私達のことは、もうこれ以上は……)


 身が持たないから遠慮したいところだが、モネ的にはきっと聞きたいことがたくさんあるだろう。とりあえず今日と後一日さえ乗り越えれば大丈夫のはず。一旦この場から離れられるので、それはありがたかった。少しは休憩できる。


 笑顔で手を振ってくれるモネに見送られながら、アイリスとロイは元の道に戻っていく。アイリスは周りに聞こえないように深い溜息をついた。一旦はミッションクリアだろうか。いやまだ油断ならない。ひとまずリアンのことは解決しそうだ。


「よかったですね。リアン殿下の誤解は解けそうで」


 本人も気にしていた。モネが見定めるミッションがまだ残されているが、リアンの素を見てもらえば、レナードと同じだとは思わないだろう。きっと大丈夫だ。


「――それよりアイリス」


 なぜかロイは低い声を出す。


「え?」


 彼は顔を斜めにしてアイリスの顔を見る。

 なぜか少しだけ冷たい目をしている。


「誰が誰より好きだって?」

「…………え」


 まさか蒸し返されるとは思わなかった。

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