22*どっちが好きかなんて -01-

(……まずいわね)


 アイリスは本能で危険を察知する。


 空気が冷たくなるような気配。相手の言葉の使い方。姿勢。士官学校で何度も見た。この後ロイは、言葉巧みに正論を重ねてくるはず。


 ロイのこの状態は、注意をしてくる前触れ。

 嫌でも分かるので当時のアイリスは参ったものだ。


 今回は隣国の姫に対し、私情が入った姿を見せてしまった。見苦しかったと、アイリスとしても反省している。あの時は思わず感情が昂ったが、今はロイの様子に肝が冷えてる。すぐに頭を下げた。


「申し訳ありません。モネ殿下にお見苦しい姿を見せてしまいました」

「それよりも、さっきはどうしてあんなことを言ったんだ」


 そんなことを言われても。どう考えても自分の発言は正しいと思うのですが、と言えるわけもなく。アイリスは再び「すみません」と謝った。だがそれでは納得してくれないらしい。


「理由は」


 しばらく黙るが、ロイは引いてくれない。

 アイリスはなんとか考えた。


「もし本当に私達が婚約者であれば、私の方がきっと気持ちが強いだろうと思ったからです」

「根拠はどこにある」


(うわ面倒くさい)


 細かいことまで追求されるパターンか。


 ロイは細かいところに気付ける人だ。一人一人のことをよく見ていたりする。教官としては優れた箇所だと思うが、ロイほど細かいところまで気付いたり調べる人はいない。それをこちらに求めるのは厄介だ。


 アイリスは正直に答えた。


「特にありません。ただそう思っただけです」

「根拠がないのにそう言ったのか。俺はある。アイリスの好きなところは他にも言える」


(は?)


 またカチン、と頭に来てしまう。


「たくさん言った方が勝ちという話ではないと思いますが」

「アイリスは迷っていたな」

「言おうとしたところで止められました。そもそも練習ではすぐに出ていました。まさかロイ殿が全部と言うなんて」


 好きなところはどこかと聞かれても、答えられるように練習していた。準備はしていた。それなのにロイが全てをかっさらった。「全部」と言われてしまったら、その後何を言っても薄く聞こえてしまう。


「全部が出た時点で俺の方が気持ちは強い」

「言ったもの勝ちじゃないですか。ずるいです」

「ずるくない。全部の後に一つずつ述べた。俺は本当のことしか言っていない」


 アイリスは途端に顔を歪める。


 今日のロイは普段に増してよく口が回る。

 答える度に正論を返される。


 だんだん喉の奥に苦いものが広がってきた。言葉に詰まりそうになる。呼吸をすることすら苦しくなってくる。それでも絞り出す。


「言った人がえらいみたいなこと言わないで下さい。そもそも私は口下手なんです。簡単に言えるわけないでしょう」


 悲痛の叫びのように言ってしまう。

 するとロイは、開けかけた口を閉じた。


 相手への想いを口にして伝えるのは大切なことだが、人によっては言葉にするのが難しいと感じる者もいる。アイリスもそうだ。素直でないから。本当に言いたいことはなかなか口にできない。好きであると、自分の中で自覚できただけましだ。


 口では絶対にロイに敵わない。それでも気持ちは負けたくない。だがそれを証明するのは難しい。ならどうしたらいい。いっそここで気持ちを言ってしまった方が楽になれるのか。


「――お前ら何してんだ?」


 急に聞こえた声に二人は振り返る。


 半眼のリアンと笑っているレナード。

 いつの間にか迎えに来てくれたようだ。


「話は終わったとメイドに聞いたのに一向に来ないと思えば。よその国でなに痴話喧嘩してんだ」

「ち、ちがいます」

「ちがわないだろ。なんだよどっちが好きとか。惚気か。どっちでもいいわ」


 冷静にツッコミされてしまう。

 思わず二人は黙り込んだ。


「二人はそんな喧嘩するんだ? 面白いね」


 レナードはおかしそうに笑っていた。


 一般的な喧嘩と比べると、確かに変わったやり取りかもしれない。リアンの言い分は最もで、指摘されるとなお恥ずかしい。居たたまれない気持ちになる。


「じゃあリアン、僕は一旦抜けるね。メイドに部屋を案内させるけど、自由に動き回って構わないよ。城の者には伝えているから。移動する場合は従者と一緒に行動してね」

「ああ」


 レナードも公務で一旦退席するらしい。時間が空けば会ってくれるようだ。ということは明日までレナードとモネ、両方から会う機会が設けられるのだろう。結局どちらに対しても婚約者の役をし続けなければならないため、アイリスは今からげっそりしそうだ。


 と、レナードはアイリスとロイを交互に見る。

 なぜか綺麗にウインクされた。


「相手に飽きたらいつでも僕のところにおいで」

「「結構です」」

「そういうところは仲良しだねぇ」


 はははと楽しそうに笑われた。







 案内された部屋は広い造りだった。休憩室のようで、大きめのソファーが並んでいる。モネと話していた部屋も、金と赤が主に使われている骨董品が多かった。この国ではこれが主流なのだろうか。


「――で?」


 どかっとリアンは勢いよく座る。

 足を組み、正面に座る二人をじろっと睨んだ。


「お前ら本当に何してんだ」

「「申し訳ありません……」」

「一緒に来てる俺が恥ずかしいぞ」

「「…………」」


 三人になったと思えばまた説教をされる。

 本当に居たたまれない。


「まぁいい」


 リアンは深く息を吐く。


「俺が気になるのはネ殿下のことだ。何を話したか共有しろ」


(共有って言われても。まず何を話せば……)


 そこそこ色んな話をしたように思う。モネだけが偶然知ってしまった話もある。リアンもまさか婚約話が進んでいるかもしれないなんて聞いていないだろう。話せる内容とそうじゃない内容がある。


 迷っている間に、ロイが話し始めた。


「モネ殿下はレナード殿下の性格に少し難を示しているようです。仲が良いリアン殿下も同じような方ではないかと、勘違いされていた様子でした」

「ああ。そういうことか」


 あっさりリアンは納得していた。

 その様子にアイリスは思わずむっとする。


「男色でもあるなんて聞いていません」


 すると意外な答えが返ってきた。


「表向きそう見せているだけだ」

「え?」

「身内にもそう見せているんだな。恐れ入る」


 リアンは淡々としていた。

 ロイは戸惑うような声を出す。


「モネ殿下は誰にでも節操がないとおっしゃっていました。その場面を見ているからでは」

「どこまで見ているかは知らないが、フェイクの可能性は大いにある。人に見られているからこそ振舞える姿もあるだろ。王族は常に言動に注目されるからな」


 リアンは随分ゆったり椅子に座っていた。まるで今は気を抜いていると言わんばかりに。同じ王子だから気持ちは分かるのかもしれない。


 確かにリアンは普段、自由な行動を取ることが多いが、それが許されない場面では必ず周りに合わせている。兄であるバルウィンともよく比較されているし、王族にしか分からない苦労はあるのだろう。


 レナードのそれは処世術というやつだろうか。

 それとも他に何か目的があるのだろうか。


「大体、自分のことを上手く隠した方が動きやすいものだ。立場的にな。俺は面倒だからそのままでいたいと思うが」

「だから私達の前ではその口調なんですか?」

「こっちの方が俺らしいだろ」

「それは確かに」

「話を戻す。モネ殿下の懸念はそれだけか?」


 急に話を戻され、二人して言葉に詰まった。


 婚約者かもしれない話は本当かどうか分からないので伏せておくとして。後は何を伝えられるだろうか。黙ったままだと怪しまれてしまう。アイリスは必死に頭を動かしながら、思い出したように口に出た。


「そういえば。リアン殿下のことをどこか嘘っぽいって言われていました」

「え」

「目の奥が笑ってないって」

「……作り笑いはやっぱり向いてないな」


 若干肩を落としていた。


 実際笑顔の時は何も考えていないらしい。

 やはりアイリスの予想は当たっていた。


「ということはなんだ。あれが嘘だって分かってるってことか?」

「そうですね。素のリアン殿下が見たい様子でした」

「素? このままの俺か? 嫌われるだろ」

「嫌われますか?」

「態度が野蛮だろ。姫に見せる態度じゃない」

「自覚はあるんですね」

「俺の方が年上だから口調も上からになる。怖がられて嫌われるの一択だ」

「そんなに自信満々に言います……?」


 思ったより断定するような言い方をしている。


「アイリスだって俺の口調によく怒ってるだろ」

「私が怒っているのは人を振り回すところです。グレイにも苦労をかけていると思います」

「お前達は対処ができるだろ。できない奴に言ったりしない。グレイだって俺の命令だから喜んでやってくれているだけだ」


(ああ言えばこう言う……)


 能力を買ってくれているのはありがたいが、どうにもリアンの手の上で転がされているような気持ちになる。だから少し反抗心が出てしまう。


「私は、リアン殿下の態度を野蛮とは思いませんが」


 柔らかいロイの声色が間に入る。

 リアンはあからさまに眉を寄せた。


「それはお前が優しいだけじゃないのか?」


 ロイは小さく笑っていた。


「そう言っていただけるのはありがたいですが、殿下の場合は根底に思いやりや優しさが含まれています」

「え。そうですか?」

「おいそこ、反応するな」

「臣下思いだと思います。一番身近にいるデニールのことを気にかけていますし、剣術大会の報酬についても、フェイシーに対して気を遣っていました。今回アイリスと共に隣国に来ましたが、婚約者役を私にしてくださったり、フェイシーからの助けを用意したり。放り出すことはせず、一緒に考えて動いてくださる。そういうところが、殿下の美点だと思います」


 リアンはまだ眉を寄せたままだ。

 が、若干それが緩みそうにもなっている。


「……お前に褒められると素直に照れるな」


(分かる)


 ロイは人の良いところを見つけるのが上手い。

 人に伝えるのも上手い人だ。


 そもそも、伝えてくれるのがありがたくて嬉しい。ちゃんと見てくれているのだと。この人にもっと見てほしいと、自然に思ってしまう。


 するとリアンは悩むように声を出す。


「素な……。それはお前達がフォローしてくれ」

「え」

「どうせまた会って話すんだろ。いいところもあるって言っておいてくれ」

「十分伝えましたよ。実際見ていただいた方がいいじゃないですか」

「無理だろ」

「……何をそんなに怖がっているんですか?」


 アイリスは少し疑問に思った。


 いつものリアンなら、誰に何を言われようがあまり気にしていない。何かに怖がる様子も怯える様子もなく、堂々としている。彼も王族で、一国の王子だ。公務は必ずこなすし、責務も理解している。奔放なところはあっても、責任や覚悟を投げ出す人ではない。だからアイリスも従っているところがある。


 今のリアンは、モネのことを異常なくらい気にしている。あまり話したことがない間柄なのに、どうしてそんなに嫌われたくないのだろう。友人の妹だから、とか、隣国の姫だから、という点を除いても、気持ちが強い気がする。


 するとぎくっ、とリアンは体を強張らせる。

 と思えば、急に立ち上がった。


「ちょっと散策してくる」

「え。何言ってるんですか。お邪魔している身なんですから大人しくしないと」

「レナード殿下から自由にしていい許可はもらってる。ガクも傍にいる。何の問題もないだろ」

「待ってください。ガク殿いるんですか?」

「いるぞ。この部屋にはいないけどな。あと顔もよく変えるから、言われないとお前達は分からないと思うぞ」


 変装の達人でもあるということか。

 ますます気になる人だ。


 アイリス達は馬車を利用してここに来た。聞けばガクは一人でここまで来たらしい。馬術もできるということだ。側近として来ているのは知っているが、近くにいるのは気付かなかった。リアンに言われるまで存在を忘れていたかもしれない。


「じゃ、俺は行く」


 逃げるようにすたすたドアまで歩く。


「ちょっと待ってください。モネ殿下のことは」

「お前達に頼む。むしろ丁度いいだろ」

「丁度いいって何が」


 リアンはドアノブに手をかけていた。

 振り返ってにやっとする。


「二人きりになるんだから、さっきの話の続きでもしたらどうだ。どっちが好きかってな」

「っ。殿下っ!」


 アイリスが声を荒げるが、彼は行ってしまう。

 隣国に来てまで自由な人だ。


(せっかく忘れかけていたのに)


 しん、とその場が静かになってしまう。

 アイリスはドアから目を動かせなかった。


 ロイと言い合う形になり、空気が悪くなりそうなところを、リアン達が助けてくれた。このままその件は保留というか、流されるのかと思ったのに。リアンがわざわざその話題を振ってきた。自分に都合の悪いことがあるとすぐに逃げる。そういうところに苛立つのだ。


 アイリスは少し首を下に傾ける。

 気まずくてかなわない。


「――すまなかった」


 すると隣から、呟く声が聞こえる。

 アイリスはちらっとロイに目を動かす。


 彼も同じように、視線が少し下になっている。


「今思い出しても、大人げなかった。リアン殿下の言葉通りだな。どちらでもいい話だ。ついムキになって……恥ずかしいな」

「……いえ、それは私もです。申し訳ありませんでした。確かに、どちらでもいい話ですね」


 お互い今は冷静だからか、大人だからか、静かに言葉を交わす。お互いにごめんなさいはできたわけだが、それでもこの空気がすぐに改善されるわけもなく。まだ少し重苦しい。


「……アイリスも言っていたが、もし本当に婚約者の関係だったら、俺の方が気持ちが強いと思ったんだ。だからあんな言い方になった」


(同じことを考えていたの? でもそれは……剣の師だからでしょうね)


 自身が十四の頃から知ってくれているのだ。空白の三年はあっても、元々の性格は変わりようがない。理解もあるし、気持ちが強くなる、というのは分かるかもしれない。成長を見守るお兄さんのような、家族のような間柄に近しいから。


(……恋愛的な意味では、きっと私の方が強いけど)


 それを今言ったところで、どうなるのか。


 今のアイリスは、気持ちを言おうなどと思えなかった。少し、疲れてしまったかもしれない。自分の気持ちが揺れ動くことに。自分だけが振り回されているようで、切なくなる。


 コンコン。


 そう思っていると急にドアがノックされる。

 二人が返事をすると、誰かが中に入ってきた。


「失礼いたします。ああ、アイリス殿」

「! フレディ殿」


 アイリスは立ち上がった。


 近付いてきたのは、この国の騎士であるフレディ・マーティソンだ。両国は国王、王子のみならず騎士同士も交流がある。隣国から王族が来日した際、騎士も何名か来ていた。そのうちの一人が彼だ。騎士の代表メンバーとして、アイリスも場に同席したことがある。


 亜麻色の短い髪を持ち、優しそうなたれ目を持つ彼はアイリスと同年代。両国で剣の試合をした時、相手をしてくれた。結果は引き分けだったが、アイリスの剣の腕を褒めてくれた人だ。あの頃と変わらず、人懐こい笑顔を見せてくれる。


「お久しぶりです。レナード殿下からアイリス殿が来られると伺っておりました。時間がある時に挨拶をすればいいと」

「久しぶりに再会できて嬉しく思います。お元気ですか」

「ええ、元気過ぎて困るくらいに。アイリス殿は……以前にも増してお綺麗になられましたね」

「え。あ、ありがとうございます」


 少しだけどぎまぎする。


 フレディとは剣の話で盛り上がったことがある。女性として、というよりは同じ騎士としての対応をしてくれたので、まさか久しぶりに会って外見のことを褒められるとは思わなかった。そういうタイプでもないので、意外だ。


「本日は制服ではないのですね。そのお姿も拝見できて嬉しいです」

「ありがとうございます……」


(やたら褒めてくれるわね……)


 内心アイリスは苦笑してしまう。


「――失礼。私も話に混ぜていただけますか」


 いつの間にかロイも立ち上がって傍に来ていた。

 微笑んでいるのに、なぜか声が少し硬い。


 フレディはすぐに敬礼していた。


「大変失礼しました。私はフレディ・マーティソン。近衛騎士です。アイリス殿とは以前、シュダリアル王国にて剣の試合をさせていただきました」

「私はロイ・グラディアンと申します。建国記念日に来ていただいた時ですか。私も遠くで拝見しておりました。剣の扱いに長けていらっしゃいましたね」


(え。ロイ殿も見ていたの?)


 一年前の話なので、その頃ロイが何をしていたのかは知らない。だが、見てはくれていたのか。試合についての感想を、少し聞きたいと思ってしまった。


 するとフレディは目を輝かせる。


「ロイ殿……! シュダリアル王国一の騎士であると聞いております。お時間が許すのであれば、ぜひ色々とお聞きしたいことがあるのですが」


 さすがロイの名前は隣国にも届いているらしい。

 すると本人はにっこり笑う。


「私でよければ。ただ」


 すっと彼は隣に並ぶ。


 そのままアイリスの腰に手を回し、自分に引き寄せた。ぴったりくっつくような形になり、思わず困惑する。


「婚約者のアイリスが寂しがるかもしれないので、手短でよければ」


(寂しくはないですけど)


 内心むっとしながらも、確かに剣の話に入れないのはちょっと悔しいと思うかもしれない。するとその様子を見たフレディは、少しだけ表情が固まった。

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